眠った覚えなど全くないのに、気付いたらベッドの上にいてキッドは首を捻った。
頭がぼんやりしてズキズキ痛む。何気なく手で触れると布の感触があって、なんだこれと引っ張ると白い包帯がずり落ちてきて思わずぎょっとした。
疼くような痛みといい、いつの間にか怪我でもしたのだろうかと必死に考えるが、奇妙なほど前後の記憶が抜け落ちていて、今の状況がさっぱり分からない。
軽いパニックに陥りかけたとき、控えめなノックの音がして返事を待たずにドアが開いた。入ってきたキラーがベッドの上のキッドに目を留めて、起きたのか、と驚いた声をあげた。同時にすぐ隣で毛布がもぞもぞ動き、ひょいと唐突に覗いた人間の腕にキッドは思わず飛び上がりそうになる。
恐る恐る毛布をかき分けてみると、ベッドの端でローが丸くなって眠っていた。
一体いつから、という狼狽を的確に読み取り、「お前を運んだのは白熊で、傷の手当てをしてくれたのはそいつだ」とキラーが丁寧に教えてくれた。
話し声がうるさかったのか、ローが不機嫌そうに唸って眼を覚ます。
「…ぁ…起きたのか、ユースタス屋」、寝足りないといった風に目を擦りながら、キッドの解けて首元に引っかかった包帯を見て眉を顰めた。

「…キラー、何がどうなってんだか全然分かんねえんだが」

キラーは運んできた新しいタオルや包帯に水差し、小さな鍋と切り分けた果物をのせた盆をサイドテーブルに置いて、湯気を立てるリゾットを皿によそいながら簡潔に答えた。雨上がりの濡れた階段で足を滑らせて転んだ。そして頭を打ったと、そういうことらしい。
それで丸一日寝ていたなんて我ながら間抜けすぎるとキッドは頭を抱えたくなった。悪名高いキャプテン・キッドが街中で無様に気絶した挙句、熊に担がれて船に帰るなど。

「…もう俺、出航するまであの街には行かねえ…」

「構わないが…銃弾の補充と、新しいパーツが見たかったんじゃないのか?」

「…あー…そうだっけか?なんか頭が重くてうまく思い出せねえ」

「派手にぶつけていたからな。一応異常はないといっていたが、記憶が飛んでいるなら後でもう一度見てもらえ」

リゾットはそもそも看病していたローに持ってきたものらしかった。起きたなら二人で仲良く食べろ、とローに皿を、キッドには鍋ごとを押し付け、キラーはさっさと部屋を出てしまった。

「あ、これ美味いな。俺キノコ嫌いだけどマッシュルームは食える」

ローは乾燥パセリを避けながら三口ほどリゾットを食べ、皿を置いてキッドの包帯に手を伸ばした。
クシャクシャの包帯を巻き取って、キラーの持ってきた新しいものと交換する。細い指が髪をかき上げ、ときおり耳や頬を掠めるのを大人しく享受した。

「馬鹿だな、ユースタス屋。あんなに派手に足滑らせるなんて。俺に会えたのがそんなに嬉しかったのか」

にやにやと笑うローを眺めていると、靄のかかった頭にぼんやりと浮上してくるものがあった。石畳の大通りに、広場に続く階段、ふわふわの帽子と長い刀、キッドに向けて挑発的に吊り上がった口元といくつかの罵声に嘲笑。そちらに一歩踏み出そうとして身体が宙に浮く感覚と、ひっくり返った視界に飛び込んだ雨上がりの空。暗転。
原因てめえじゃねえか!と怒鳴りたくなるのをぐっと堪え、包帯を巻き終えたローの手首を掴んで顔を覗きこんだ。わざと訝しげな表情を作って沈黙していると案の定、ユースタス屋?とローが首を傾げる。

「さっきから思ってたけど、お前誰だ?」

「……え?」

キッドにしてみれば、ほんの意趣返しのつもりだった。しかしローの無防備に見開かれた瞳を見た瞬間に、もう後悔した。これはあんまりにも意地が悪くてひどいのではないか。キラーがいたら、して良いことと悪いことがある、と叱られただろう。白熊までいたらもっと悲惨だったに違いない。
ユースタス屋?と小さな声で呟いて、そろりと頭の傷を撫でるローの様子に罪悪感で一杯になり、謝罪して拳の一発くらいは甘んじて受けようと覚悟を決めた瞬間、どこか呆然としていたローの表情が変わった。あろうことか目を細めて笑みを湛えている。断じて微笑んでいるわけではない、どうみても良からぬことを企んでいるような。

「そっか…ユースタス屋、俺のこと覚えてねえのか」

「いや、ちょっと待て、あのな」

「頭打ったせいだなきっと…心配するな、そのうち思い出すと思うけど、一応教えておくな。俺はユースタス屋のご主人様なんだぞ」

「ごしゅ……え?…そこは恋人…とかじゃ、なくてか?」

「何言ってんだ…本当に分かんないのか?ユースタス屋が街中で迷子になるからやっと見つけて呼んでやったら、俺に会えたのが嬉しすぎて慌てて足踏み外したんだろ。馬鹿だなぁ、別に逃げやしねえのに」

「あのな、ちょっと落ち着いて俺の話を、」

「いきなりで受け入れがたいかもしれないが事実だ、ユースタス屋。俺たち仲良かったんだぞ、お前はすっごく良い子でご主人様によく尽くしてくれたしな。安心しろ、ちゃんと思い出すまで今までどおり俺が世話してやるから大丈夫だ!」

「なにが大丈夫なんだよ!ごめんトラファルガー、忘れたってのは嘘だ!」

とめどなく捲くし立てるローとその内容に閉口して声を張り上げると、また無防備に青い目を瞠って、嘘?と問い返された。ひどくばつの悪くなったキッドが、ごめん、ともう一度謝るとローの唇が不満そうに尖る。

「えー…」

「何で微妙に残念そうなんだよ、てめえは!」

「だってな、ユースタス屋…刷りこみって結構有効だと思うんだ」

「……それで?」

「最初にちゃんと教え込んでおけば、思い出した後もめくるめく夢の生活が待ってたかもしれないのに」

「怖ぇこと言うな!!」

悪くねえのに、と往生際悪くぼやくローを抱えてベッドに潜り込んだ。大声を出したせいか、血圧が上がったのか、ぶつけた箇所が少し痛む。
しっかりと抱き込んで短い髪に顔を埋めると、眠ってしまえというようにローがぽんぽんと背中を叩いてくれた。薄手のパーカー越しの鼓動と、優しく背中を叩くリズムになんとなく眠たくなってくる。
「怒ってねえの?」とぽつりと訊ねたキッドの声がしおらしくて、ローは思わず苦笑した。

「俺は医者だぞ、そんな都合の良い記憶喪失なんてそうそう信じるか」

キラー屋のことはしっかり覚えてたくせに、と笑われる。

「まぁ、本当ならそれはそれで…ユースタス屋は嫌いな人間の手当てを大人しく受けたりしねえだろ?記憶なくても俺のこと好きなんてめちゃくちゃかわいいと思った」

口先でローに勝てたためしのないキッドは、反論の代わりに短い毛先を噛んで引っ張った。怒るでもなく、おかしそうに身体を震わせて背中を撫で続けるローの子供に対するような所作が気に食わない。
「あ、リゾット冷めちまったな」と暢気な声を聞きながら、宥められて眠ってしまうまでキッドは一人むくれていた。



診察代は、いりません



(これが逆の立場だったらキッドさんは半端なくうろたえると思います)
(ローさんはパニックが一周回ると変にポジティブ)


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