(転生で学パロ)




トラファルガー・ロー。
クラス分けの張り紙に記された名前を三回読んだ。
ゆっくりと目を閉じて、記憶の海に潜っていく。海底に横たわる沈没船で写真立てを拾い上げる。
何もかもが朽ちたような中で、それだけはまるで色褪せていない。ずっと昔から俺の一番深いところで、羊水の温度に包まれて眠っている。
トラファルガー、やっとお前に逢えるのか。



教室に駆け込んですぐにトラファルガーを見つけた。
後ろの窓際の席。まっすぐ駆け寄った俺に驚いたようにこっちを見上げる群青の瞳に、言いたいことは山のようにあったはずなのに、咽喉の奥に熱い塊をつめたように声が出ない。
目の前にいるのは、記憶の中のトラファルガーより少し幼い。でも確かにトラファルガーだった。制服のベストの中で相変わらず細い身体が泳いでいる。ちゃんと飯食えってあれほど言ったのに。不健康そうな面。目の下の隈だって記憶のままだ。
手を伸ばしてそっと指で目許をなぞると群青が丸くなったが、振り払われはしなかった。

「…トラファルガー」

「なんだ?ユースタス屋」

予想通りの、懐かしい奇妙な呼び方だ。
いままでそんな変な名前で呼んだのはお前しかいねえんだよ。もういちいち突っ込まなくていいか?面倒くせえし、俺にとっては珍しくもねえんだ。
けれど何だか妙だった。トラファルガーはごく自然体で俺の返事を待っている。俺を見てるのに、俺の名を呼んだのに、何の反応もない。
…なあ、もしかしてお前は。

「俺の名前、知ってるんだな」

「まあな、その派手な見た目で有名だもん、ユースタス・キッド。自覚ねえの?」

あぁそうか。
お前は昔のこと、覚えていないんだな。



それで俺がすっぱり想いを断ち切ったかというとそんな訳もなく、かといって何も知らない相手に突然、前世は海賊でした、なんて荒唐無稽を大真面目に言い含めるはずもなく、ずるずるとごく普通の友人付き合いを続けていた。
俺は自分がトラファルガーのことを覚えている時点で、きっとあいつもそうだと根拠もなく思い込んでいた。事実が違ったからといって、まぁそれは仕方ない。俺を知らないトラファルガーに、心臓の柔らかい部分にトゲのように刺さる痛みは確かにある。きっと死ぬまで消えないだろう。
それでも、普通の友人と言い切るにはあまりにも気が合いすぎて仲が良いのがせめてもの救いで、またトラファルガーの側にいられることに満足していた。
少なくとも、置いていかれたあの時に比べればずっといい。

「ん、ユースタス屋なに見てんだ?口紅?」

「あー、新色って出てたから」

ソファでごろごろとゲームをしていたトラファルガーが、身を乗り出して雑誌のページを覗き込む。
いつのまにか、放課後はこうしてどちらかの家で過ごすようになった。成績の良いこいつに勉強を教わったり、放っておくと案の定まともな食事をしないトラファルガーのために飯を作り一緒に食って、時間次第で帰宅するなり泊まるなりする。
気紛れに買った雑誌の、秋冬コレクションと大きく銘打たれた色とりどりの広告は男が見るようなものではないが、からかわれるかと思いきや、ふぅんと納得した声がした。

「お前こういう赤い口紅好きだったもんな。髪も真っ赤だし結構似合ってたぞ。もう塗ら、ねえ…の…」

「え…?」

一瞬、何を言われたのか分からなかった。
どくん、と心臓が大きく震える。赤い、口紅?
振り返った先には、しまった、という顔をしたトラファルガーがいた。
言葉を捜すように薄い唇がはくはくと動き、ゆっくりと顔が青褪めていく。トラファルガー。呆然と名前を呼ぶと、泳ぐ目線が退路を探すように玄関のほうを見た。やばいと思って咄嗟に腕を掴んだのと、トラファルガーが立ち上がろうとしたのは同時だった。
加減ができず、思い切り引っ張ってしまった身体が簡単によろける。それでももがくトラファルガーを逃げられないように背中から抱え込んだ。
無理やり押さえつけて覗きこんだ表情は、怯えたようにも泣きだしそうにも見えた。

「トラファルガー、お前…」

「な、んでもない…忘れろ」

「覚えてんのか」

俺は今、口紅なんて塗っていない。トラファルガーに会うずっと前からやめてしまって、こいつの前で塗ったことも、わざわざこいつに口紅が好きだなんて話したこともない。
赤い口紅。キスするとべったり移って、不味いと笑いながら悪態ついたトラファルガーがフラッシュバックする。懐かしい色。なんで。
お前、俺のことなんて忘れたんじゃなかったのか。

「…なんで言わなかった」

「………」

「気付いてた、よな?俺がお前のこと覚えてるって」

「ユー…スタス、屋」

「…もう、俺とは関わりたくなかったか?」

「違…っ…!」

「…お前が嫌なら…仕方ねえと思う。全然違う人生だし、あの頃は…腐れ縁といえばそれまでだもんな」

「違う、違うんだ、嫌なんてそんなわけねえだろ!でも…でも俺は、お前が…」

振り向いた深海みたいな瞳にみるみる涙の膜が張り、それを隠すように俯いた拍子にパタパタと水滴が落ちた。

「ユースタス屋…が、俺をどう思ってんのか分からなかったんだ」

いつも皮肉げな笑みを浮かべていたトラファルガーの泣いているところなんて初めて見た。
手を伸ばして涙を拭ってやったのは無意識だった。思考なんて半分止まっていた。頭は真っ白で、指先の水の温度ばかりが生々しい。俺はトラファルガーにとてつもなく酷いことをしているんじゃないかと思った。

「…なぁユースタス屋。俺がいなくなったあと、お前はどうしてた?夢は叶ったのか?ちゃんと悔いを残さず生きたか?満足な人生だったか?」

震える指先がほんの一瞬俺の手に触れてすぐに離れる。


「俺じゃない誰かのこと、好きになったか?」


無理やり冗談のように笑おうとして失敗した、掠れた声だった。

「……馬鹿じゃねえの、お前」

なんだそれ、他の誰かって。そんなことぐだぐだ考えてたのかよ。そりゃあ俺は、さっさと俺を置いて逝っちまったお前と違ってたっぷり人生謳歌したぜ。飽きるほど長くもねえが、短くもなかった。美味いもん食って浴びるほど酒飲んで血が騒ぐままに暴れて。
それでお前じゃない誰かと添い遂げたとでも言いてえのか。
お前のこときれいさっぱり忘れて?もう一度同じ世界に生まれてやっと逢えたのに、もうお前への興味をなくしたんじゃねえかって?そんなこと、本気で思ってたのか。
どれだけ馬鹿なんだよ。馬鹿すぎて怒る気にもならねえよ。
だから、頼むからそんな顔すんな。

「ユースタス、屋」

「うるせえ、もう何も喋るな。どうせろくでもねえ」

「なん、だよ…!俺は、」

「俺はお前のこと一日だって忘れたりしてねえ」

かつて俺が力いっぱい抱きしめると、トラファルガーは決まって痛いだの馬鹿力だの罵倒してきたものだ。それでも押しのけられたことなんて一度もなかった。耳元でぎゃあぎゃあ喚きながら、その両腕はちゃんと俺の背中に回されていた。
だからちゃんと全部伝わっていると思ってたのに、お前実は知らなかったんだろ。
俺がどれだけお前のこと好きなのか。

「女抱かなかったとは言わねえよ、男だしそれは許せ。でもそんなのは愛だの何だのじゃねえ、誰と寝ても誰を殺しても、お前を忘れた日なんてねえよ。お前がいなくなってから俺が死んだ瞬間まで。この世界に生まれて今の今まで。ずっとだ」

遠慮がちに服の袖をつまんでいたトラファルガーがようやく俺の手を強く握った。
拘束していた腕を緩めても、もう逃げようとはしない。指と指を絡めて、後ろから抱いていた身体を向き合わせて額をくっつける。

「それでも不安なら、ここで俺を殺して次を待つか?そしたらもう一回同じ事言ってやるよ」

「…ふざけんな、やっと逢えたのに」

まだ涙の乾かないまま、それでもいつものように笑った顔を見て、心臓に突き刺さっていたトゲがするりと抜けた気がした。
どちらからともなく重ねた唇の温度がゆっくりと胸を満たしていく。「ユースタス屋、俺ファーストキスなんだけど」、可笑しそうに笑うトラファルガーの短い髪をぐしゃぐしゃにして、抱き合ったまま床に転がった。触れるだけの口付けを何度も繰り返して、時折舌を絡める。次第に乱れていく息の合間に、置いていってごめんなユースタス屋、とトラファルガーが呟いた。「酷えことしたのに、俺はお前がいてくれてすごく幸せだったし、今もそうだ」どうしていいのか分からないといった風に、けれどふにゃりと本当に幸せそうな顔をするから怒る気なんて失せちまう。
俺はトラファルガーを思い切り抱きしめたし、トラファルガーは昔のように痛いだの馬鹿力だの文句を言いながら俺にしがみついた。



さようなら、また逢う日まで。
こんにちは、待ちわびました。
めぐる世界でここだけまるで変わりませんね。
きっと逢いにいくから、まってて。



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