トラファルガーは読書をするとき、よく下唇を噛んでいる。多分癖になっているんだろう。
飲み物を口にするときだけ離される薄い唇にはかすかに歯型が付いていて、これだからしょっちゅう皮が捲れるんだと溜息をつきたくなる。トラファルガー、と呼びかけるとちらりと視線を寄越したが、すぐにまた文字の群れへと没頭しだした。
せっかく人が逢いに来たというのにこのざまだ。
それでも帰ることもできないのはこいつが俺に思いきり寄りかかっているからで、もっというと完全に座椅子代わりにされていて飲みかけのマグカップまで持たされている。ぞんざいすぎる扱いが腹立たしいのに、短い髪がふわふわ鼻先を擽ると、まぁいいか、という気になってしまうのだから俺も大概救えない。
つむじに顎を乗せるとうるさそうに頭を振られて危うく舌を噛みかけた。仕方ないから脚の間にいたトラファルガーを膝に乗せ、高さを合わせた肩に顔を埋めると今度は嫌がられない。
トラファルガー、もう一度呼ぶと、吐息が首筋にかかってくすぐったかったんだろう、びくりと肩を震わせたあと、ようやくこっちを向いた。なめらかな頬がふに、と鼻先に触れる。顎を捉えて少し無理な体勢で唇を合わせると、椅子のくせに、と含み笑って額のゴーグルを奪われた。自然すべり落ちる髪をぐしゃぐしゃと掻き乱されれば目の前は赤一色で、鬱陶しい前髪を払ったときにはトラファルガーはもう何事もなかったかのように読書に戻ってしまっていた。すぐ目の前でぎゅっと唇が噛み締められてひどくつまらない気持ちになる。これ以上邪魔をしたら、きっとトラファルガーは本当に機嫌を損ねてしまうだろう。
ふと横を見ると、シーツの上に封の開いたチョコレートとビスケットが転がっている。ベッドの上でなんてもの食ってるんだと思いながら、ぎりぎり指先が届くそれを引き寄せてパキリと割った。
ナッツの覗く黒い欠片をトラファルガーの唇に触れさせると、素直に口が開いて菓子を攫っていく。丸いビスケットも四半分に割って同じように出してやるとやっぱり素直に食べた。
あの可愛げのないトラファルガーに餌付けしているようで面白いのと、滅多にないくらい素直な様子に嬉しくなって次々に菓子を与えていった。四度目くらいにチョコレートを出したら嫌そうに唇を尖らせたので、あぁそうかとすっかり冷めたマグカップを口元に持っていってやるとこれも素直に飲んだ。もう一度差し出したチョコレートは指ごと咥えられ、少し溶けて指先を汚した分まで綺麗に舐められて開放される。
触れた舌の温かさに、もう一回キスしてえなぁと思ったが、名前を呼んでも案の定きれいに無視された。
あんまりにもつまらなくて再度菓子を手に取ったが、これ以上食わせたら食の細いこいつはきっと夕飯が入らなくなる。申し訳程度にスープを二匙三匙すくって、サラダのレタスを少しだけ摘む様子がありありと浮かんだ。ただでさえ薄い身体のトラファルガーがほんのちょっぴりしか食べないと、見ているこっちが不安でそわそわして落ちつかなくなるのだ。自分の食事そっちのけであれこれ食わせようとしたら終いには喧嘩になったことを苦く思い出す。
とにかく、こんな無闇に腹に溜まりそうな菓子はもうやめだ。
手持ち無沙汰にポケットを探ると、派手な包み紙の丸い棒付きキャンディといつも持ってるボルトが数個転がり出てきた。キャンディは確か一昨日トラファルガーが寄越したもので、俺はこんな可愛らしいもの食うわけもなくて放置したままだった。
今差し出してやったらこれも食うだろうか。こいつの口には少し大きい飴だから、きっと頬が膨らむんだろうなと想像すると可愛くて仕方ない。
見てみたかったが、これはどう考えても夕食の敵だった。少し迷って、セロファンを剥がさないまま目の前の唇に押し付けてみる。さすがに拒否すると思っていた口が開いて、赤い舌がべろりとセロファン越しに飴を舐めたものだから驚いた。慌てて引っ込めたが、トラファルガーは素知らぬ顔でページを捲っている。
その横顔は何も気付いていないようにも見えて、手元に転がしていたボルトを一つ摘んでそっと唇に触れさせた。どう考えても感触で分かりそうなのにごく自然に銜えられ、うっかり指先からすべり落ちた金属に冷や汗が出て、焦って唇を抉じ開けた。

「ちょ、お前それ吐き出せ!俺の出したもんなら何でも口に入れるのか!」

「ん?」

べ、と差し出された舌の上に濡れた銀色が載っていて本気で安堵した。トラファルガーなら本当に飲み込んで「だってユースタス屋が」なんてにやにや笑いながら責めてくるんじゃないかと思ったのだ。こいつなら、責任取れ、とか言いたいが為にやりかねない。
ボルトを摘み上げる指先が舌に触れるとき、トラファルガーが猫のように目を細めた。
とろりと煮詰めたような笑みの浮かぶ瞳に一瞬眼を奪われた隙に、取り返したボルトごと指に食いつかれる。逃げられないように噛み付いて、温かく濡れた舌が爪と肉の境をなぞるように這った。金属の欠片をぐっと舌先で押し出し口から出すと、そのまま人差し指にしゃぶりつかれる。舌を添えたまま唇をきつく締めてゆっくりと頭を前後させ、上目遣いに俺を見てにやりと眼だけで笑った。別の行為を彷彿とさせる動きに、確信犯だと分かっていながら頭の芯がぐらりと揺れる。

「はは、なんて顔してんだよ。興奮した?」

「す…るか、馬鹿!」

「なんだよ、ずっと俺の唇ばっかり見てたくせに」

図星を突かれてぐっと答えに詰まった。
退屈してたんだよなぁ、目の前に俺がいるのにお預けくらって可哀想に。諸悪の根源がわざとらしく頭を撫でて、猫撫で声で笑っている。
菓子の欠片を舐め取る舌の赤さと、濡れた唇の柔らかさがぐるぐる渦巻いて咄嗟に反論が出来ない。

「なぁ、咥えてやろうか?ユースタス屋」

この野郎。お前じつは本なんてどうでも良かったんだろ。






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