深い深い群青の幕の上にばら蒔かれた星たちが燦然と輝き、月は全てを照らすように浮かんでいる。。そんな風景を真新しいとライトニングは思う。恐らくこういった風景には『覚えがない』のだろう。自分の世界との違いに改めて身震いし、また、美しいと思った。
複雑な心境も自分らしくない、今はただ、この戦いを終わらせるために戦うだけ――決意を改めるために目を閉じ、少し冷静になってから開くと、先程とは違う風景が飛び込んできた。
「フリオニール…?」
木の幹にもたれかかった青年の名を紡ぐ。返答がないのを訝しく思って近付くと、成る程、彼の瞼はきっちりと閉じられ、鎧に覆われた胸は小さく、しかし規則的に動いていた。
寝ている。
ライトニングは思わず眉根を寄せた。見張りとしての仕事をひとつこなした気分になる。何故こんな所にいるのだろうか。いつイミテーションの襲撃を受けてもおかしくないというのに寝ているなんて暢気なものだ。
何はともあれフリオニールを起こさなくては。さっさと戻れと怒るついでに軽く小突いたって文句は言えまい。
「おい、フリオニール」
もう一度声を掛けてみたがぴくりともしない。額に手をやり大きく息を吐くと、その身体を揺すろうと手を伸ばした。
その瞬間、ぱち、と肌が肌を打つ音が響く。ライトニングは自分の右手を…正確にはその右手首を掴んでいる大きな手を呆気に取られて見ていた。その手の持ち主がフリオニールであると判断するやいなや、ライトニングの視界はぶれた。
ぐい、と引っ張られて前のめりになる。反射的に空いた手が腰の剣に伸びたが理性で止める。宙ぶらりんになった手は抵抗の形を示すこともできないままで、そのままライトニングの身体は地面へと沈んでゆく。反転するようにフリオニールが片足でライトニングの動きを止め、そのままのし掛かった。仰向けになった彼女の目の前に剣の鞘が現れる。眼前で鈍く光る刃に確かな寒気を覚えながらも、ライトニングは怯まずその向こうを見つめた。
「フリ、オニール」
驚きで少し声が掠れた。
月明かりに照らされたためか、その双眸も、普段は柔和な微笑みを浮かべている顔も、ひどく冷たく見える。しかしよく見ると、彼の目の焦点は合っていない。やがて瞳が動き、その網膜に青い瞳が像となって結ばれる。
刹那、フリオニールはライトニングの首もとにあった剣を投げ飛ばし、大きく退いた。
「ご、ごめん!!ライト!!あ、け、怪我とかしてないか!?痛くなかったか!?」
自分から飛び退いたくせに、今度はおずおずと寄ってくる。ライトニングの右手首にうっすら残る跡を見付ければ、フリオニールは今にも泣きそうな顔をしていた。
「ごめん…ごめん…」
「大丈夫だ。これくらい何でもない」
自分の手を握るフリオニールの手をそっと離し、ライトニングは彼の代わりに剣を拾ってやった。ほら、と差し出せば、彼は少し戸惑った後小さな声で礼を述べ、その愛剣を腰に指した。
そのあまりにも不安気な顔にライトニングは溜め息を吐く。一方フリオニールはその溜め息を自分への呆れと取ったようで、ますます表情を暗くした。
「おい」
「何かな、ライト……」
「一体どうしたんだ、お前らしくもない」
そう言ってライトニングはフリオニールの隣に腰掛ける。また黙ってしまいそうだったので、ライトニングは脚注を加えた。
「こんな所に一人でいるし、寝ているし…危機感はないのか。仲間はとっくに寝ているはずだろ」
ちらりとフリオニールを見れば何故か彼は驚いた顔をしている。それに逆に驚いて怪訝そうな表情を浮かべると、やっとフリオニールは口を開いた。
「さっきのあれについては…?」
あれ、とはまさにあれの事で。フリオニールが覚醒したのは確かにライトニングを押さえ付けた瞬間だったが、彼には自分が何をしたのか分かっていた。―――また、やってしまったのだ。
「私は大丈夫と言ったはずだ。それとも、聞いて欲しいのか?」
「……いいかな、話しても」
「最初からそう言えばいいだろう」
相変わらずの物言いだがその中に彼女なりの優しさが垣間見え、思わずフリオニールは表情を緩めた。それを見てライトニングも少しだけ表情から厳しさを取り払う。相談、なんて柄じゃないが、今の状況を改善するのには最善かもしれない。ライトニングは聞き上手だ。胸中で段取りを踏み、いよいよフリオニールは話し始めた。
「あれをやったの、これが初めてじゃないんだ」
「まあ、そんな予想はしていた」
「なっ……本当かそれ?」
「お前の反応を見ていれば大体分かる」
じゃあ話す必要なんかないんじゃないか、と思ったが、ライトニングはほら、と続きを促してくる。フリオニールの口から聞きたいらしく、またそんなところに彼女の優しさを感じてしまい、急速に恥ずかしさが増してくる。
「やっぱり話さないと駄目か?」
「お前から言ってきたんだろう。中途半端は嫌いな男だと思っていたが?」
そんな視線を向けられては堪らない。苦笑しながらもう一度話し出した。
目覚めたのがあの場面現象。最初にフリオニールが押さえつけていたのは同じテントで休んでいたセシルだった。フリオニールを起こそうとしていたらしい彼はきょとんとした表情でフリオニールを見つめ、そんな視線で我に帰ったフリオニールは今よりも取り乱していたらしい。まさか自分が仲間を傷つけそうになるなんて…ショックやら驚きやら、はたまた恥ずかしいやらで暴走しかけた彼を宥めたのは、他でもない被害者のセシルだった。一部始終を見届けていたカインもフリオニールの肩を叩いた。そういった意味では、初めてしでかしたのがセシルでよかったのかもしれない。
やっと落ち着いて整理をした結果、思い当たる節がないことからも、それは所謂『本能』だろうという事になった。職業軍人やら兵士やらは秩序のメンバーにも沢山いるが、フリオニールにはそういった正規の軍隊に所属していた覚えがない。
「ひょっとしたら眠るのも命懸けだったのかもね」
困ったように、けれど少し悲しそうにセシルが言ってくれるものだから、逆にフリオニールは困ってしまった。
以来、フリオニールは眠るのにどこか抵抗を感じていた。そうしているうちに朝を迎え、微妙な倦怠感を残してまた歩き始める。身体と頭脳には誤差が生じ、それが戦闘において枷になる。ならばいっそのこと起きるつもりで起きていようと決心し、しばらくそうしてみたのだが、限界は思いの外近かった。仲間たちの寝息が渦巻く中で一人だけ覚醒し、見張りの者がそろそろと抜けていくのを見送るのにも疲れてしまった。
かといって、今さら眠りの世界に身を投げる事もできない。フリオニールが思いを巡らせ、そうしてたどり着いたのが…
「こうやって一人なら、寝れるかなって…思ったんだけどな」
「悪いが見張りの仕事だ。責められる謂れはない」
「分かってる」
苦笑いを浮かべてはいたが、一通り話し終えてフリオニールは少しすっきりしたようだ。彼は改めてライトニングを見た。
「聞いてくれてありがとう」
「いや、別に大したことじゃない。お前の知らなかった部分を知れたんだ、無駄な経験じゃない」
そこまで言ってライトニングははっと口元を押さえる。少しずつ頬が熱を帯びてきた。今、何かは分からないが何だかとても恥ずかしい事を言ってしまった気がする。フリオニールを見ると照れたように頬を掻いていた。
「ライト?顔赤いぞ?やっぱり俺さっき何かしたんじゃ…」
「ないっ。な、何もしていないから安心しろ。それよりっ」
恥ずかしさのせいか、ライトニングの口はよく回る。フリオニールを指差し、首を傾げる彼に向かって言い放つ。
「見逃せないな、その睡眠不足というのは。迷惑掛けられるのはこっちなんだ。自己管理くらいしてもらわなくては困る」
「……ごめん」
「今だって万が一イミテーションに襲撃されたらどうするつもりだったんだ、しなくていい怪我をするな、馬鹿」
「…返す言葉もありません」
「……最近妙に顔色が悪いと思っていたが、まさかそんな理由があったなんて知らなかった」
「ライトっ…」
「馬鹿」
「…はい」
「馬鹿」
「ごめん」
「本当に反省しているのか」
「えっ…と」
「怪しいな」
「えっと…寝たいのはやまやまなんだけど、だからって眠れるかっていうと…」
フリオニールが言えばライトニングはむすっとしてこちらを見た。訳が分からずまた首を傾げると、大袈裟に息を吐かれる。分かってない、そう言わんばかりに竦められた肩にフリオニールは肩身が狭くなった。
「寝ていけ」
「え?」
「ここで寝ていけばいいだろう」
「えぇ!?」
驚いて身を退くが、ライトニングはそのまま続ける。
「お前の導き出した結論は間違っていない。なら、その通りにすればいい」
「でもっ…」
さっきライトニングはそれを諌めたばかりじゃないか、そう続けるのはもろにバレていたようで、彼女は薄く笑った。
「今日の見張りは私とカインだ。カインは野営の近くにいる。皆の最低限の安全は確保されている、問題ない。
勿論特別なのは今日だけだからな」
完璧主義のライトニングから最低限の確保という言葉が出たことに違和感は覚えたけれども、その彼女の申し出が、気遣いが、優しさが、あまりにも尊すぎて。最後に加えられた言葉が照れてるみたいで少しだけ可愛くて。
「…女の子に守られるってちょっと情けないな」
「言ってろ。今日お前の背中合わせが誰だったか思い出すまではな」
「…とても頼りになる桃色の髪の女剣士だったよ」
「思い出したならいい」
鼻を鳴らしたライトニングの顔はやはり少し赤い。照れているんだろうと思った瞬間何だか心臓が騒ぎ始めた。理由の分からないその動悸は悪くない居心地だった。
その心地よさに身を委ねようか、そう考えると不意に身体から力が抜けて、あれだけ強情に閉じなかった瞼が重力に従って落ち始める。
眠い。
フリオニールが身体と心、どちらからもくる欲求に素直に従うと、自然身体は大木に寄りかかり、頭は垂れた。
「朝まで時間はある。ゆっくり休め」
「ああ…ありがとう。お休み、ライト…」
「…………………お休み」
耳元で小さく響く声に、頭をぽんぽんと軽く叩く手。恥ずかしいよりも心地よくて、フリオニールは完全に意識を飛ばす。まるで恋人みたいだ、何て心の片隅で思いながら。
「…寝たか」
先程よりも大きな寝息を立てているフリオニールに思わず笑みが溢れる。こういう時に浮かべるあどけない表情が好きで、まるで弟のようだと思う。
フリオニールの顔を至近距離でまじまじ見つめていた事に気付き、慌てて立ち上がる。顔がやはり熱かった。またその事実が恥ずかしくて、更に顔が熱くなる。
雑念を頭を振って飛ばし、空を見上げた。相変わらず深い深い群青の幕に星は輝き、少し傾いた月がこちらを見て微笑んでいる。
「…夜は長い、からな」
もう一度座って、ほんの、ほんの少しだけ、フリオニールの方に寄る。
月が隠れ、幕が開ける、そんな朝まで、少しだけ。
剣を傍らに置くと、ライトニングもまた、彼の寄り掛かる大木に身を預けた。
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