今日は日曜日。
恋人である貴女はまだ眠っている。
ストロベリーピンクの髪を振り乱して眠っている。
隣の部屋で眠っている。
昨夜は電話で明日、都合がいいならそちらへ行ってもいいか聞いたところ、二つ返事で難なく了承を得た。
連絡はこないから、きっとまだ寝ているのだろう。

防犯上よろしくない、鍵のかかっていない貴女の部屋のドアに憤慨しながら開けた先、貴女がソファで寝ていたのを呆れて寝室まで運んだ。

部屋から出て、少し笑ってしまいそうになるのを堪えて、持ってきた手元の小さな包みを見やる。
セピア色に染まった古新聞のデザインがプリントされたセロファンは片側が透明で、何か入っているのが窺える。
中身はチョコレートを練り込んだカップケーキ。
今まで作ったので、一番出来のいいやつだ。って勝手に食べた後輩は言っていた。
そういえば貴女はまだ起きないのか。



しばらくして隣の部屋を覗く。
午前の日光で金色に煙る部屋を意に介さず、貴女はまだ眠っている。
真っ白な腕を投げ出して、真っ白な足をかけ布団からはみ出させて気持ちが良さそうに眠っている。
布団だってきちんとかけてやったのに、寝相が悪くてまるで殺人現場みたいだから、一瞬冷や水をぶっかけられたような気分になった。
寝息は立てているからほっと息をつく。

枕元にあるデジタル時計をちらと見る。
アラームは四時間前に鳴った跡があり、黒い板に付く蛍光色の数字は午前十時と少しを指している。
コーヒーでも蒸らそうか。
リビングに戻って勝手に豆を取り出し、砕く爆音にひやひやしながらサイフォンに放り込んだ。
彼女はまだ起きない。



しばらく後、湯が沸いて可愛らしい電子音のメロディが流れる。
後輩たちに借りっぱなしだった漫画を持ってきていて良かった。
無ければ暇で死ぬところだ。
小説なんかは読むと眠たくなってしまうから、俺には向かない。
絵があれば何とか読める。

ああ、そうだコーヒー。
折角だから淹れてみる。
濃く、深い香りが鼻をつく。
一口口に含めば、少し焦げ付くような味がこびりつく。
底なしに黒くなったカップの縁をつるりと撫でてみる。
何か足りない。試しにミルクを入れる。
白い煙が闇を柔らかく裂いて出てきた。

思わず魅入ってしまったが、ふと台所を探って爪楊枝を探す。
すぐに見つかって、また椅子に座り、薄いカップと向き合った。
引っ掻くようにしてそれで薄くかき混ぜた。
闇を裂いたうっすらした白いモヤは鋭く裂かれ、また闇が現れた。

昔テレビでやっていた、コーヒーの表面に絵を書くアート。
これはいい暇潰しが出来た。
貴女が起きるまではいいだろう。



ライトニングが起きたのは、それから数時間は過ぎた、俗にいうおやつの時間である。
呻きながらデジタル時計をぼんやり眺め、一拍後には、あっと大声を出して飛び起きた。

まずい、フリオニールに連絡を入れていない。
金曜日、友人が日曜日にやってくるバレンタインまでに好きな人に何か作ってあげるのだと楽しそうに喋っていたのを聞き、帰宅前に慌てて材料を買い込んでは土曜日に一日中、徹夜してまで菓子を焼いたのがいけなかったのか。
悪戦苦闘する内に疲れきって、いつの間にやらそのままベッドに倒れ込んでいたらしい。

半ば泣きそうになりながら傍にあったカーディガンをひっかけ、走ってリビングに向かう。
扉を開けて、ライトニングは今日二度目となる悲鳴をあげた。
だってコーヒーのいい匂いが立ち込める部屋の中、連絡を入れるべき恋人がキッチンの小さなテーブルに突っ伏していたものだから。

右手にはカップ、左手には爪楊枝。
ダイイングメッセージかと思ったが、息はしているから無事らしい。
そっとカップを取り除いてやるが、やり方が悪かったらしく、


「…あ、ライト。おはよ」


起こしてしまった。


「すまない」


一日を潰した意味も込めて。
表情が強ばるのが自分でもわかるが、フリオニールは可笑しそうに、寝ぼけているのかまだどこか夢見がちに笑った。


「なんで謝るのさ。ほら、せっかくのバレンタインだ。お菓子作ってきたから食べようよ」


ああ、なんていい奴だ、と抱き締める前に彼女の体が固まった。
彼が何かを問う前にオーブンのある場所まで走って、キッチンマトンすらつけずに中身を引きずり出して確認し、その場で膝をつく。


「何か作ってたの」

「ああ。でも焦げ…失敗だ。入れた後すぐに寝たから…」

「…失敗以前に危ないだろう、火の元も確認せず寝たら。今のだって下手すりゃ火傷するぞ」


もっともだと自分に呆れる。
苦し紛れにコーヒーの入ったカップを口元に運ぶ。
フリオニールが寸でのところで制して中を覗いた。
しかし彼は一瞥して呻き声を上げただけで、すぐに彼女へカップを返した。


「どうした」

「ごっこ遊び。ミルクかクリームを入れたコーヒーの水面を引っ掻いて模様を出すってやつの真似事。店とかであるじゃないか。でも、時間が経って消えちゃった」


頑張ったのに、と涙ぐむ彼の背中を、気がついたら柔らかく握った拳で軽く殴っている彼女がいた。


「もう一度作ればいい。…一緒に」


待ってましたと言わんばかりにこちらを見た彼の、濡れたような大きな瞳に期待の色が輝いてくるのが確かに見えた。
幼いこどものようにはしゃぎ回る彼は踊るように彼女の手を取って、歌うように言った。
部屋は暖かいのに彼の手は氷のように冷たい。


「本当?じゃあ俺も約束するよ、ライトのお菓子作りを手伝うって!今日はもう遅いから、そうだ、次予定が空いてるのはいつ?」


手を取ってくるくる回るフリオニールに振り回されるライトニングの頭の中に、お湯を沸かす慣れ親しんだポットの刻む電子音のワルツが響いてくる。
景色が歪んで溶けていく。このままでは酔ってしまう。
急いで頭の中のスケジュール帳を開く。


「次空いてる、のは…三月の、十四日…」

「そりゃいい、調度ホワイトデーじゃないか。で、何つくる?」


回転する世界でフリオニールの笑顔以外何も見えない。
そろそろ何かしらもどしてしまいそうだ。
何を作ろう。そうだ、どうせなら今日失敗したものをマスターしたい。


「チョコレートマフィン。今日失敗してしまったから…」


ライトニングの返答にフリオニールは口をあんぐり開けて回る足を止めた。
何ということだ、作ったものが被ってしまっていた。

彼は吹き出した。それから楽しそうに笑う。
彼女の怪訝そうな仏頂面はみるみる内に紅潮する。
馬鹿にされた。虚仮にされた。
やがて目一杯彼を殴る為、勘違いをしたままの彼女は左手で彼の肩を抑え、右半身を引き、構え始めたのだった。



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