アコルダールに眩む
ガンッとソファーに走った衝撃で目が覚めた。私を見下ろす鋭い双眼が見えて、目をゆっくりと瞬く。ソファーに寝転んだままで、今の状況を整理した。
ここは、学校。応接室。この部屋の主が不在だったので、待っていたはず。でも全然帰って来ないから、暇すぎて……。どうやら、うたた寝してしまったらしい。
「おはようございます」
「君、なにしてんの?」
不機嫌そうな声音に、目を細める。機嫌を損ねてしまったらしい。まぁ、仕事して帰って来て、部屋でうたた寝している奴がいたら誰でも怒るか。
なら、さっきの衝撃はこの人が原因なのかもしれない。ソファーを蹴ったのかな。……寧ろ、蹴った方が負傷しそうな立派なソファーなのだけれど、大丈夫なのかな。いや、この人の事だから、何の問題もないのだろう。蹴りでソファーを破壊出来そう。
「雲雀さんを待ってました」
「なぜ?」
「お会いしたくて?」
「僕に聞かないでくれる」
「ふふっ、お話も出来るなんて素敵な日ですね、今日は」
なにそれと言いたげに睨まれて、ニコニコと笑みを返す。更に眉間に皺が寄った。
特に用事があった訳ではない。本当に、一目見れたらそれで良かったのだ。なので、会いたかった。は、正しいようで正しくない。しかし、応接室で待っていたのだから、一目見る以上の事を期待していたのだろうと言われれば、それは正解と言うしかない。
いつまでも寝転んでいるのも失礼なので、上体を起こしてソファーにちゃんと座る。脱いでいた上靴もきちんと履いて姿勢を正した。
「夢から覚めて1番に雲雀さんを見れるなんて、素敵な目覚めでした」
「応接室でうたた寝をするなんてね。君は神経が図太いのかな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めてないよ」
「あら、残念です」
にこりと笑えば、雲雀さんは疲れたように溜息を吐く。
「君と話していると疲れる」
「それは大変。では私はお暇しますね」
ソファーから立ち上がり、机に置いていたスクールバッグを手に取る。「失礼します」と頭を下げた。
「ねぇ、きみ」
「はい?」
まさか引き留められると思っていなかったので、首を傾げる。遂に我慢の限界が来たのかもしれない。トンファーで殴られる覚悟なら出会った時からしている。彼に近付きたいなら、そのくらい。
「どうして僕に会いに来るの?」
それは、単純な疑問として彼の口からこぼれ落ちた。本当に、何気なく。ただ不思議だと言いたげに。
「そんな事を知りたいんですか?」
「どういう意味だい?」
ムッとへの字に曲がった口に、思案する。この人が、私の行動に興味を持つなんて思っていなかったのだ。なので、私も単純な疑問として言ったのだけれど。
「良いですよ。雲雀さんにだけ特別に」
「……?」
口元に態とらしく笑みを貼り付けて、人差し指を一本だけ添える。しー……と秘密の話を主張するように。
雲雀さんに近寄って、こそこそ話をしたいと暗に伝えるように両手で口を囲う。雲雀さんの耳に向かって背伸びをすれば、少し屈んで耳を寄せてくれた。
あぁ、ほら。そういう事をしてくれる。そういう所が好きですよ。とても、とても。悪い人。
「私のね」
「うん」
「一目惚れです」
しん……と静寂が落ちた。何の反応も返事もなかったので、失恋かぁ……。と、分かっていたとはいえ、少しショックで眉尻が勝手に下がる。まぁ、気にしない。遠くで貴方が見れるだけで、それだけで、私は幸せになれるのだから。
そっと離れようとした瞬間、勢い良く雲雀さんの方から離れていき、驚いて肩が跳ねる。どうしたのだろうかと顔を覗き見て、目を瞠った。
口元を手の甲で隠した雲雀さんが、目を見開いて固まっている。微かに頬が色付いて見えるのは、都合の良い幻なのかもしれない。見たいものを見てるのかな。
「雲雀さん?」
「……っ、」
「あの……?」
「ばか、じゃ、ないの」
「へ?」
雲雀さんはプイッと顔を逸らすと、ツカツカと扉の方へと歩いていく。さっき見回りから帰って来たのではないのだろうか。もう一回行くのかな。
「また見回りですか?」
「ほっといて」
扉の向こうに雲雀さんが消えて、足音が遠ざかって行く。応接室にひとり、取り残された私は首を捻った。これは、もしかして……。失恋ではないのかもしれない。
本当に、悪い人。私の心を掴んで離さない。乱しに乱す。彼の人の春の目覚めを期待して、火照る頬を両手で覆った。