ザクースカに間に合わせよ

聞こえてくるワルツに合わせて、彼女をリードする。最近は、足を踏まれることもなくなった。彼女は本当に物覚えがいい。

「ふふっ、上手いものでしょう」

僕の思考を読み取ったかのように、彼女がそんなことを言う。自信有り気な顔に、僕は小首を傾げることで応えた。それに、彼女の顔が一変して不満気なものへと変わる。

「まだまだ下手くそだって言いたいのね」
「そんなことは言っていないよ」
「顔に書いてます」

ジトリと睨まれても、何も怖くない。迫力に欠けるのは、彼女の顔の造形のせいかな。どうにも隠しきれない柔らかさがある。

「ねぇ、私に機嫌を直して欲しい?」
「そうだな……。うん、それがいいね。今日の礼も兼ねて、何が欲しい?」

今日の舞踏会に参加したのは、勿論仕事だ。でなければ、僕が態々こんな場に来ることはない。参加条件にパートナーが義務付けられていたため、僕が彼女を選んだ。

「そうこなくちゃね。何でもいいの?」
「構わないよ」
「じゃあ、貴方との朝食を望むわ」

それは、この前も聞いたセリフだ。その時は結局、朝食には間に合わなかったのだったか。

「君も懲りないね。晩食では駄目なの?」
「ダメなのよ」
「そう……」
「明日の朝ね?」
「分かったよ」
「ふふっ、約束」

タイミング良く曲が終わる。部下に視線だけを遣れば、ターゲットが動いたとのサイン。あぁ、やっとか。

「楽しそうな顔」
「君との朝食が楽しみでね」
「嘘つきなんだから」
「嘘ではないよ」

彼女をエスコートしながら、会場を出る。外に控えていた使用人を装った部下から、いつものコートを受け取り羽織った。その部下にそのまま彼女を任せる。
彼女は特に何も言わず、ただ僕に向かってヒラヒラと手を振った。美しく隙のない微笑は、腹の内を読ませてはくれない。嘘つきなどと、よくもそんな事が言えたものだ。
後ろを振り返ることなく、歩を進める。どうせ彼女の表情は、あの微笑から変わることなどないのだから。

「予定が入ってね。手早く済まそう」
「承知致しました」

このまま面倒事が起こらなければ、今回こそは彼女との約束に間に合う筈だ。いや、何が起こっても間に合わせなければならない。何故か、そんな気がした。

最後の獲物が膝から崩れ落ちていく。そこそこは楽しめたかな。
端的に言うと、面倒事は起きた。しかし、まだ朝日が昇っていないのを見るに、彼女との朝食には間に合いそうだ。

「こ、の……化け物が」

まだ意識がある者がいたらしい。こういう事は、きっちりしておくべきだ。倒れている男を蹴り上げれば、今度こそ静かになった。

「彼は、お喋りがしたいらしいよ」
「そのようで」
「うん。後はやっておいて」
「承知致しました」

懐中時計の時刻には、まだまだ余裕がある。少し仮眠しようかと考えて、視界に入った靴に溜息を吐いた。あぁ、靴が汚れている。血生臭いままでは、彼女の機嫌を損ねそうだ。

「着替えた方がいいね」

彼女のために血を洗い流し、綺麗なスーツに袖を通す。磨かれた革靴まで用意して……。彼女は理解しているのだろうか。こんなにも特別なのだと。
彼女の家の扉をノックしながら、小さく欠伸を溢す。馬車の中で少し寝たせいか、微睡みから抜けきらない。

「……?」

直ぐにでも出てくるかと思っていたのに、彼女は姿を現さなかった。仕方がないので、合鍵で家の中へと入る。
家の中が静まり返っているということは、彼女はまだ寝室だろうか。朝食に誘ってきたのは、彼女の方だというのに。困った子だ。
真っ直ぐに寝室へと向かい扉をノックすれば、今度は返事が返ってきた。寝起き特有の声に、驚きと警戒が乗っている。

「僕だけど」
「アラウディ? え? どうして」
「入るよ」
「えぇ!?」

彼女の返事を待たずに、扉を開けた。ベッドの上で掛け布団に丸まった彼女が、僕をジトリと睨み付けている。

「合鍵なんて、渡したかしら」
「この前の晩食で、酔った君がくれたんだよ」
「記憶にないわ」
「飲み過ぎるからだよ」

本当に記憶にないらしい彼女が、困ったように眉尻を下げた。これは、本格的に気を付けさせた方が良さそうだ。
彼女の寝転ぶベッドに近寄り、縁に腰掛ける。二人分の体重に、ベッドが軋んだ。

「おはよう」
「えぇ、おはよう。まさか間に合うと思ってなかったの」
「そのようだね」
「ごめんなさい。直ぐに用意するわ」
「……うん」
「アラウディ? どうかした?」

いつもよりあどけない彼女の瞳が、僕を覗き込んでくる。無防備に見えるのは、寝起きだからか。化粧のせいか。

「別に……」
「そう?」

昨日はルージュで飾り立てていた唇が、ゆったりと弧を描くのが目につく。その唇から楽しそうな笑い声がこぼれた。

「何だか、恋人みたいね」

彼女の言葉が、妙に心を浮わつかせる。まるで誘われるように、彼女のまろい頬に手を滑らせた。緩慢な動きで、彼女に顔を寄せる。

「ここで君に口付ければ、そんな甘やかな関係になると思うかい?」

キョトンと目を瞬いた彼女は、ゆったりと目を細める。いつもの隙のなさが嘘のように、無防備なまでの喜色がその瞳に宿った。
布が擦れ合う音がやけに鮮明に聞こえる。首に回った彼女の腕の熱が、これを現実だと証明した。

「試してみる?」

あぁ、また朝食には間に合わないかもしれない。重なった唇にそんな事が頭を過った。

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