カフネに囚われ

誰もいない忘れ去られた小さな教会。美しいステンドグラスが陽の光を受け、神秘的に煌めいている。静かなこの場所を気に入って、私が手を加えたのだ。
誰も神に祈りを捧げない。教会とは名ばかりの私の小さな秘密基地。そのうちの1つ。最前列の長椅子に腰掛け、十字架をぼんやりと眺める。さて、彼はここに来るだろうか。
そんな事を考えた瞬間、タイミングを見計らったかのように出入り口の扉が開いた。カツカツと鳴る靴音が、真っ直ぐこちらに近づいてくる。
私の座る長椅子のすぐ横で靴音が止まった。それに、顔をそちらへと向ける。さらりとプラチナブロンドの髪が揺れた。

「ごきげん麗しゅうございます、アラウディ様」
「やあ」

美しい青色の瞳がゆるりと弧を描く。そこに滲んだのは、勝利の愉悦。本当に、この方には敵わない。

「今回は自信作でしたのに」
「そうだな……。悪くはなかったよ。あの暗号は使える」
「左様ですか。それは、良かったです」

アラウディ様は、空けていた私の隣に腰掛けた。流れるように、すらりと長い足を組む。その動作を追いかけながら、私は態とらしく溜息を吐き出した。

「不服そうだね」
「そのようなことは……」

彼は私が所属する諜報機関のトップ。単独行動を好む戦闘狂。私は主に我々が使う暗号を考えたり、暗号文を作成したり。逆に相手方の暗号文を解読したりといったことをしている。
つまりは、住む世界が微妙に違う方。私の溜息の理由など、この人が知る由もないのだ。この捨て場所のない恋心など。いや、捨て場所などいくらでもあるのだろう。私が捨てたくないだけで。
それもこれも、全てはこの方のせいだ。私が始めたことだけれど……。毎回毎回、アラウディ様はどうして私の所に来てくれるのか。
最初はちょっとした悪戯のつもりだった。完成した暗号を使った“かくれんぼ”をアラウディ様に仕掛けたのだ。暗号が解けたとしても遊びには付き合ってくれないと思っていたのに……。

「白百合」
「え?」
「誰か亡くなったのかい?」
「どうして……」
「“死者に捧げる花”、だろ?」

アラウディ様の指が、私の手元を指差す。それに、視線を白百合のブーケに向けた。ずっと膝の上で持っていたブーケからは、買った時と変わらず芳しい花の香りがし続けている。

「1本なら、そうでしょうけど」
「違うの?」
「はい。これは、カサブランカ。ゆりの女王と呼ばれております」
「ふぅん」
「花言葉は、“永遠の絆”」

妙な沈黙が落ちた。それを不思議に思うより先に、ガチャンッという金属音が耳を打つ。手首に金属特有の冷たさが触れた。

「はい??」

その金属が手首を強く引く。私の視線がアラウディ様に向いたのを確認した後、アラウディ様は見せ付けるように自身の手首にもそれをかけた。
私とアラウディ様を繋ぐようにかけられた手錠が、存在感を示すように音を鳴らす。何が起きたのか処理しきれなかった私は、ポカンと口を開けた。

「これでもう、君は僕から逃げないかな」
「え? あの??」
「毎回、探すのも一苦労でね。僕は暇ではないんだ」
「それは、申し訳ありません。でも、無視して下さってもよろしかったのですよ」
「その選択肢は存在していない。本当に逃げられでもしたら困るからね」

アラウディ様の体がこちらを向く。手錠をしていない方の手が伸びてきて、私の頭に優しく触れた。ゆっくりと、確かめるように。アラウディ様の綺麗な指が私の髪を撫でていく。
まるで、愛する人の髪にそっと指を通すような。そんなしぐさだった。それに、顔が一気に熱を持つ。そんな訳がない。そんなわけ……。

「僕にあんな言葉を贈っておいて……。誰にその白百合を渡すつもりなんだろうね、君は」
「え?」
「それとも、あれは僕の勘違いかな?」

まさか。そう思った。その感情の揺れを彼が見逃してくれる筈もなく。ゆるりと笑んだ彼の瞳には、獲物を前にした肉食獣のような獰猛さが滲んで見えた。

「あ……」
「どうやら、勘違いではなさそうだ。その白百合は、僕にくれるのかな? それとも、ここで結婚式でもあげたかったのかい?」
「ち、違います。これは、あの、ただ綺麗だったから買っただけでして」

まるで尋問のようだ。しどろもどろになりながら、弁解してみるが無意味なのだろう。思わず逃げるように自身に引き寄せた手は、手錠に阻まれ戻ってこない。
私の行動がお気に召さなかったらしい。宙ぶらりんになっていた手が、アラウディ様の手に捕らえられた。握られた手に、口から情けない声が漏れる。

「君が始めたことだろ?」
「そ、れは……」
「責任は取ってもらう」

アラウディ様が、一気に距離を詰めてくる。戦闘要員ではない私には、何がなんだか。気づいた時には、眼前にアラウディ様の顔があった。

「暗号を解く前の文章。最初のものから今日のものまでの頭文字」

答え合わせをするように、アラウディ様がゆっくりと言葉を紡ぐ。あぁ、だめ。それ以上は駄目なのに。

「T、I、A、M、O」

楽しげに歪んだ瞳が、近すぎて霞んだ。私の息を飲み込んだ彼は、少しだけ唇を離して囁くように「君のためのドレスを誂えさせよう。その白百合のように真白なものを」とそう言った。

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