メモリアに刻み込め

授業の課題が水彩画を描きなさいだった。景色でも人物でも何でも良いらしい。なので、私は中庭の景色を描くことにしたのだ。しかし、なかなかどうして難しい。
下書きを何とか描き終え、今は色を付けているわけだが……。水彩画の淡い感じが出ない。水分量の調節が上手くいかないのだ。
筆に水を含ませ、パレットに出した絵の具を解きほぐしていく。空の青。少し、白を混ぜるべきだろうか。こういうのは、こだわり出すと時間がいくらあっても足りない。

「うーん……」

元の世界の授業で、ここまで頑張った記憶はないというのに。何をそんなにこだわっているのやら。まるで、忘れたくない何かを記憶に刻むように、少しずつ、少しずつ景色をキャンバスに写し取っていく。

「おや、奇遇ですね」
「わっ!?」

背後から掛けられた声に、驚いて素っ頓狂な声が口から飛び出た。筆を落とさなかった私を褒めて欲しい。絵も無事だ。

「ジェイド先輩……」
「何をされているのですか?」
「課題です」
「そんな険しい顔で?」
「え? 険しい顔してました?」
「えぇ、非常に」

ニコニコ顔のジェイド先輩に、こちらは目を瞬く。この人、面白がってるな。こうなっては仕方がない。ちょっと休憩しようと、筆もパレットもベンチに置いた。
それを何と受け取ったのか。空いていたベンチの隣に、ジェイド先輩が腰掛ける。目が合ったので、へらっと笑っておいた。別に、嫌なわけではないので。それに、ジェイド先輩もニコッと微笑み……。うん、微笑みを返してくれた。
不意に、ジェイド先輩の視線が別の物へ向けられる。その視線の先には、私が先程まで真剣に描いていた水彩画、もどき。結構恥ずかしいのでやめて欲しくはある。

「下手ですが……」
「そのようなことはないかと。独特のタッチで素晴らしいです」
「それ、褒めてます??」
「もちろん。褒めていますよ」

どうにも信用ができないのは、何故なのか。ジェイド先輩もなかなかに、つかみどころのない人だからな。まぁ、褒めてくれていると言うのなら、言葉の意味そのままに受け取っておこうと眉尻を下げる。

「ありがとうございます」
「……あの」
「はい?」
「よろしければ、頂けませんか」
「何をですか?」
「この絵です」
「……えぇ!?」

まさか過ぎて、意味を理解するのに数秒掛かってしまった。我ながらお世辞にも上手いとは言えないそれに視線をやって、どうしようかと返答に詰まる。
たぶん、採点が終われば課題の絵は私の元に返ってくるだろうとは思う。しかし、これをジェイド先輩にあげるのは、ちょっと……。というか、何で欲しいのか謎だ。

「えっと、こんな絵が何故に欲しいのでしょうか??」
「…………」
「……え? あの?」

ニコニコと笑みを浮かべていたジェイド先輩が、一変して心底困ったという表情になる。それに、何故だろうか。身の危険を感じたのは。

「この世界に……。あなたがいたという証明になるかと思いまして」
「それって……」
「記憶は薄れてしまうものですから」

声に滲むその切なさは、本物なのだろうか。そうであれば、嬉しいなんて。いつか帰る私が抱いていい感情ではないのだ。そんな無責任なことはない。

「ですので、頂きたいのですが」
「じゃあ、ジェイド先輩も何かくれますか?」
「はい?」
「物々交換しましょう。ジェイド先輩のことを忘れないように、私にも何かください。持って帰れるか分かりませんけど」

ジェイド先輩が驚いたように、目を丸める。それに、そんな変なこと言っただろうかと首を傾げた。

「よろしいですが……」
「が?」
「そのような事を言われると、期待してしまいます」

ジェイド先輩の言葉に、今度はこちらが驚いて目を丸める。期待って、そういう意味で間違いはないのだろうか。いや、でも、流石に……。

「あなたが名残を惜しんで泣いてくださると言うのなら、ご用意しますよ。何なりと」
「や、やめた、ほうが、いいですよ」
「何故でしょう?」
「私、無責任な女なので……」

自然と視線を逸らして、俯いてしまう。これは、駄目だ。逃げろと、本能が警鐘を鳴らしている。

「構いませんよ」

ドロリと甘ったるい飴のような声だった。ジェイド先輩の両手が私の頬を包み込んで、顔を上げさせる。声と同じ、甘ったるい何かが滲んだ瞳と目が合った。

「無責任に僕を愛してくださっても、よろしいのですよ」
「でも……」
「ただし、」

ジェイド先輩の瞳が、ゆぅったりと弧を描いていく。海のギャングに相応しい。物騒な色を宿していた。

「僕は無責任ではありませんので……。覚悟はして頂かなくてはなりませんが、ねぇ?」

ニィと上がった口から、鋭利な歯が覗いている。ウツボの狩りは慎重だと聞いた。もはや、私に逃げ道など残されてはいないのだろう。

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