レヒトラオートも許そう

視線を手元の本から壁掛け時計へと移す。彼女がお茶を入れてくると言って、部屋を出てから既に30分は経っていた。
家の中だと言うのに、道草を食うなんてね。彼女はいくつになっても、気が多い。先程までは、僕の読むハードカバーの本を見つめて「攻撃力が高そう」と呟いていたのに。
仕方がないと、彼女を探しに行くことにした。本に付いている栞紐は無視して、机に置いてある手作りの栞を手に取る。彼女が四つ葉のクローバーで作ったそれを本に挟んで閉じた。
障子を開けて、縁側へと出る。探すまでもなかったようだ。目当ての人物がそこで黒い毛玉を撫でていた。

「何してるの?」

僕の溜息混じりの声に反応して、彼女の顔がこちらを向く。目を丸めた彼女が、本来の目的を思い出したかのように「あっ!」と声を漏らした。

「きょ、きょうやくん」
「うん」
「猫さんがね。あの、可愛くて、つい……」

へへっと彼女が誤魔化すような笑みを浮かべる。彼女の近くには、丸盆も急須も湯呑みも何もない。どうやら、台所にさえも辿り着けなかったようだ。
黒猫が僕の気配を感じてか、縁側から庭へと飛び降りる。目付きの悪い瞳に睨め付けられた。それに、こちらも目を細める。瞬間、ふしゃー!! という鳴き声と共に、黒猫の毛が膨れ上がった。

「そんな急に」
「これのどこが、“かわいい”んだい?」
「恭弥くんが威嚇するからでしょ」
「威嚇されているのは、僕の方だよ」

黒猫は諦めたのか、僕に背を向ける。それに、彼女が残念そうな声を出した。

「さようなら。また会いましょうね」

手を振る彼女に答えるように、黒猫のしっぽが揺れる。最後に黒猫は、僕を一瞥して走り去っていった。やはり、どこも“かわいい”には見えない。

「もう、恭弥くんったら!」
「不法侵入したのは、あれだ」
「不法侵入って……。まぁ、それはそう、なの、かな??」

納得がいっていなさそうにしながらも、彼女は立ち上がる。今度こそ、道草せずにお茶を持ってこれるのかな。

「お茶入れてくるね」
「手を洗うんだよ」
「分かってますぅ。子どもじゃないんだから」

どこがと言う言葉は飲み込んでおいてあげた。この程度の事で拗ねたような顔と声音になるのだから、十分に子どもっぽいよ君は。廊下の先に消えていく彼女の背中を見送って、部屋へと戻った。
暫くして、今度は急須と湯呑みを丸盆に乗せた彼女がきちんと帰って来る。よく見ると丸盆の上には、お茶だけではなくお茶請けも乗っていた。
彩り豊かな練りきりが乗った皿が先に、その右隣に湯呑みが置かれる。順番も場所も僕が教える前から彼女は知っていた。彼女曰く、ちゃんと調べたらしい。

「ご機嫌取りにしては、あからさまだね」
「バレちゃった?」

また誤魔化すように笑った彼女は、僕の膝に許可なく乗ってくる。首に腕を回して、上目遣いに僕を見上げた。

「恭弥くんをほったらかしてた訳じゃなくてね。ただ、黒猫の誘惑に負けたと言うか。恭弥くんが構ってくれなくて退屈だったと言うか。そう、退屈だったの」
「浮気の言い訳はそれだけかい?」
「うわき!? 浮気か。なるほど、浮気なのね。うーん……」

難しい顔で考え込む彼女を眺める。こんなものは、ただ戯れているだけだ。彼女だって、そんなことは分かっている。

「いや、浮気じゃないよ。うん。だって私が愛しているのは、恭弥くんだけだから」

穏やかさと確かな熱を孕んだ彼女の嘘のない瞳が僕を映している。それに、目を瞬いた。彼女のこういう所が嫌いだ。いとも容易く、僕に許しの言葉を言わせる。

「ね?」
「……いいよ。許してあげよう」
「ほんと?」
「うん」

彼女の頬に手を滑らせる。手のひらから伝わる彼女の熱に、ゆったりと目を細めた。親指でまろい頬を撫でる。

「君は、僕がどうして君を許すのか分かっているの?」
「んー? どうしてだろうね?」

一変して、彼女の瞳が意地悪く弧を描いた。ほら、そういう所も嫌いだ。答えを知ってか知らずか。けど、自分が不利益にはならないと確信している顔。

「君だからだよ」

溜息混じりに呟いて、隠すように口付けた。まぁ、いいさ。いつも僕が悪者だ。結局、そんな君が嫌いじゃないから側に置いている。

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