それは嘘ではなく永遠という本当|不死鳥に恋をする

「苗字さん、お久しぶりです」

神代家を訪れると、またあの女性が出迎える。
オレは彼女の名前を知らない。
彼女を知りたいという欲は最近覚えたものだが、それを実行するにはまだ理性が働いている。

「お久しぶりです。最近、寒くなってきましたね」
「ええ。この時期は水仕事が大変で大変で」

彼女の手を見ると、あかぎれができていて痛々しい。
その手を握れたらいいのに、と思うが、客人が女中を襲うとは何事かと感じる。
知り合いに客の分際で女中を孕ませたという人間がいるが、その主人の同意の上だったというのだから愕然とした。
神代の主人はそのような人間ではないと信じたい。

「ところで、今日はどういったご用件で?」
「佐矢子さまにお貸ししていた図書の続編を届けに参りました」
「ああ。あの本、苗字さんのモノだったのですか」

また彼女もあの本を読んで、お気に召してくれたらしい。
自分の好きな本を、同様に評価してくれることは嬉しい事だ。
しかし女中ゆえ、読書に興ずる時間はあまりない。
佐矢子さまの許しを得て、彼女と二人きりの稽古の際にその時間を作っているらしい。

「まだ全て読んでらしていないのなら、もう少しお貸ししましょうか」
「そんな、いいんですか?」
「構いませんよ。僕は飽きるほど読んでいますから」

感謝の言葉を述べられて、少しいい気分になる。
その本を気に入ったのなら、と他の本も勧めたかったが、彼女にはそれほど時間がない。
勧めても迷惑だろうと考えて、彼女からまた本の話題をされてからにしようと考えた。
もう少し彼女と顔を合わせていたい、という下心から、自分が佐矢子さまの部屋へ運ぼう、と提案する。
だが彼女は微笑んで、「お客様にお手を煩わせるようなことはせぬように、と言いつけられておりますので」と断られてしまう。
内心落胆しながら潔く身を引き、本を包んだ風呂敷を手渡す。

その指先からは、あかぎれが消えていた。

一瞬、驚いてもう一度見ようと試みる。
しかしその指先はすでに風呂敷に隠れていて、視認することが出来ない。
見間違いだったかな。きっと、いちばん状態の良い指が見えたのだろう。
気を取り直しておじぎをし、神代家を去った。
そういえば、彼女の名を聞くことをまた忘れてしまった。
あの手を握れればいいのに、そう息を漏らしながら、帰路についた。

(最初は誰も信じない)


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