大家との交渉

「名前ちゃん、頼むよ」
「いや、本当に無理ですから……」
「妹がディズニーで働いてるんだ。チケットも安く手に入る」
「あ、それい……いや、課題とか飲み会で行く暇ないし……」
「じゃあタダ! タダでチケットあげるから。この通り」
「本当に結構なんで、断らせてください……」

男を交番に置いてきてから数時間後、警官が来たかと思ったら二つ上の先輩だった。試験に受かり、近所の交番に配属されたらしい。
が、やってきてから30分は経っている。それからずっとこの調子だ。
ディズニーの誘いには正直揺れたが、ほんの一瞬だ。本当に一瞬だけ。
そんな薄っぺらいチケット一枚のためだけに、この誘いに乗ってはいけない。

「お前、彼氏と同棲してたじゃん! 今いないんだから、一人ぐらい良いだろう?! 頼むから仕事減らさせてくれよぉ!」
「警察辞めてしまえ!」

アパートの広場に駐屯しているパトカー。ボンネットには例の男が腕組みをして腰かけている。
先輩の話を聞いていると、彼は『みやた』という苗字らしい。
東南アジアとかそっちの方にありそうな名前の土地から来た割には普通の苗字をしている。
どうも、彼は自分が“例の土砂崩れで連絡の取れない村の者”と言い張っているようだ。
だが、ニュースでも言っているように、村人の安否はおろか交信すらできていない。
そこで昨夜のことを話すと、こんなヤマ新人の俺にできるか!と向上心のないことを言ってきたのだ。

この先輩とはある種の腐れ縁で、何かと私の助言を聞きたがる。例の第六感を当てにしているらしい。
ぶっちゃけ私のそれは思考して辿り着くものでもなく、相談してくることも直感で決められないような事ばかり。
私はお前のコールセンターじゃない!
かつてそう言い切ったこともあったが、彼が巷で有名な「マゾ」という体質であることが最近分かった。
正直、来る大学を間違えたと思っている。

「ほんと、頼むから」
「悪いですけど……」
「あの人、イケメンねぇ」
「え?」「は?」

突如現れた第三の声に、二人して間抜けな声を上げてしまった。
いつの間に来ていたのか、扉から顔を出すと大家さんがいた。左腕に買い物かごをぶら下げている。
この人の良さそうな笑顔を見ながら、そういえばこの人、アイドルとかイケメンな男が大好きだったなと思い出す。
先輩は私と大家さんの顔を交互に見て、目を丸くしている。小声で「大家さん」と補足すると、大声を上げて敬礼した。

どうも、大家さんは彼がお気に召したらしい。
あの男がイケメンなのは認めるが、あの非常識な行動といい、愛想のない態度といい、言動も怪しい。
そう問い詰めてみると、大家さんからは「笑って挨拶してくれたわよ」と驚きの返答が来た。
猫を被るタイプなのか。いや、この『猫を被る』だったら、私にだって猫を被ってくるはず。

内心、舌打ちをしながらふと思い出した。
そういえばこの男、出会った時に誰かの名前を言ってた気がする。
たしか―――

「みな……」
「皆?」
「いや、そうじゃなくて」
「そうだわ名前ちゃん。相談があるのだけど」
「相談ですか? なら中に……」
「いえ、ここで話せばいい話よ」
「ここで、ですか」
「ええ。彼、家に困ってるんでしょ?」

大家さんは相変わらず、ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべている。
買い物から帰ってきて早々、部屋にも帰らず一体なんの相談だろうか。
一瞬、思考が交錯して、嫌な予感が一つ現れた。
やっぱり、後で。
そう言う前に、大家さんが口を開いてしまった。

「名前ちゃん、彼を泊めてあげられないかしら」


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