異界からの訪問者

雨がザアザアと音を立てて降り注ぐ。
せっかく嫌な日中に掃き掃除をしたというのに、講義が終わった四時半からは驚異的な豪雨だった。
自然と、ため息が出る。ボヤく気にもなれない。

アパートが近くなり、ふと顔を上げた。雨のせいで、アパートは霞んで見える。
だが、アパートの広場は不思議とよく見えた。
おかしい。
足を止め、目を凝らす。
広場の中心には、黒いもやのような物があった。小学生がうずくまったぐらいの大きさだ。
いくら目を凝らしても、それをはっきり黙視することができない。
やがて、黒いもやは、じわじわと変化を始めた。だんだんと大きくなっていくのだ。

幼い頃、親に変なものが見えると訴えても取り合ってくれなかった記憶が蘇る。
近寄ってはいけない。引き返せ。
本能がそう訴えた。急いで踵を返し、アパートに背を向けた時だった。

「……みな?」

掠れた声。男の声だ。
驚き振り返ると、アパートの広場にあった黒いもやは消え、代わりに一人の男が佇んでいた。
青いシャツに白衣を着ている。医者だろうか。
ここらでは見ない顔だが、彼が医者なら生活リズムが完璧に違うだろうし、それなら納得がいく。

「みなか……?」

男は確実に私を凝視している。
『みな』と呼んでいるが、私、のことだろうか……?

「あ……」
「おい」

私はアパートの門にいた。
男がいる場所までそう遠くなかったが、あっという間に距離を詰めてくる。
すぐ近くまで来て、男の目を見る。どこか澱んだ目。
―――こいつは、医者じゃない。
父がよくする夜勤明けの疲れきった目ではなく、人の嫌な部分ばかりを見続けてきたような目だ。

腕を掴まれ、短く悲鳴をあげた。
強く握られたそれにも引っ込ませると、拘束はすぐに緩み、呆気なく身が離れた。
先ほどの澱んだ目ではなく、今度は不思議なモノを見るような目で凝視される。
この男は一体なんなんだ。

「お前、美奈じゃないのか?」

雨の音が、異様に強かった。


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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
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