夜は長し

苗字名前が帰ってきているだろう時間を見計らって帰ればいい。
どうせできることも限られているのだ。
大家の車を借り、苗字の家を探した。
大体の場所しか知らないというがマンションではないことは確からしい。
娘の一人暮らしに使いを送るぐらいなのだから、それなりの家であるはずだ。

車を走らせながら、あの夜を思い返した。
耳鳴りと頭痛に侵されながら、自分のものではない感覚器が受け取った音と光景。
電灯の下でほのかに赤く染まった裾を見たときはさすがに目を剥いた。
赤い海
27年前に消えた建物
もはや姿形すら人間の域を超えてしまった者たち
彼は、「失敗なんてしていない」と言った。
しかし儀式の失敗など、簡単に想像できた。
――理尾や丹がその証拠だ――
村の暗部を担い、血に濡れ汚れた手を持つ自分。
そんな自分と同じ顔をしている、光である求導師。
自分とまったく同じ顔をしている求導師。


不意に、ライトに影がかかった。
ブレーキを踏むが間に合わず、その影は車に乗り上げるが宮田は冷静だった。
一瞬は驚いたものの、乗り上げた影の動きが当たり屋によく似た動きだったからだ。
思った通り、平然と身を起こした影は窓のそばへ寄ると、抑揚のない声で呟いた。

「宮田さんですね」

薄らと見える顔には無表情が張り付けられ、その目や口、鼻は特徴のないものばかり。
おそらく街中で再開しても気づけないだろう。
そう思いながらそれに頷くと、男は胸ポケットから一通の手紙を取り出し、宮田に手渡した。
暗がりで分からなかったが、目が慣れてくると手紙には薄い桃色に若草色のグラデーションが入っているのに気が付いた。
どこか既視感を覚える柄だった。いったいどこで見たのだろうか。

「苗字家からです」
「苗字家、」
「名前さんがお世話になってます」

男はそう言ったあと、前方に停めてあった車に乗り込んで去っていった。
それを追いかけようとは思わなかった。
デジタル時計は20時を示している。
詳しい日程は聞かなかったが――聞くつもりもないが――、すでに講義が終わっているはずだ。
女性なのだから、もう帰ってきているだろう。
しかしアパートに帰ってから大家に聞かされたのは、
「たぶんこの時間になっても帰ってこないから、きっとお友達の家に行ってるわ」
で、ふと今の時期は、だいたいの大学がすでに夏の長期休みに入っているはずだと気づいた。
それを問えば、なんでも補講が入っていて、彼女個人の場合はそれが数日ずれ込んでいるらしい。

「そういえば、さっき苗字家の方がいらっしゃったわ。あなたのことははぐらかして置いたけど、たぶん時間の問題だと思う」
「そうですか」

おそらく違う人間だとは思うが、すでにあちら側には宮田の存在が知られている。
大家とは違う意味で、時間の問題だ。

「それで、どうします?」
「どうする、とは」
「名前ちゃんが帰って来なかったらの話よ」

考えてもいなかった。
冷静に考えればその可能性もあったが、本当に帰ってこないとなれば、どこで下宿するかが問題になる。
「とりあえず、今夜はうちの客間で泊まるといいわ」という大家に甘えたが、ここまでの来る者拒まずという精神には、ある種の恐怖を覚えた。


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