生還

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「ねえ、須田」

背後からそう呼びかけると、少年は大げさに肩を震わせた。
どうしてそこまで驚くんだろう、と不思議に思ったけれど、こちらを振り返って「なんだ苗字か」と綻んだのを見て、呼びかけるまで気付かなかったのかと納得した。
そこで新たな疑問が湧いた。
私だって忍び足で彼に付いていったわけではない。
なのに、彼は私の存在を呼びかけるまで気が付かなかった。

「もう下校時間過ぎてるけど、どうしたの? こんな所にまで来て」
「いや、それは…」
「もしかして、例の新しい先生?」

ギョッとした顔をする須田を見て、意外に思った。
昨年度まで保健室で看護教諭をしていた女性が寿退職していて、新しい人が入ってきたのだ。
しかもイケメンの男性教諭であるのに、女子生徒が色めき立っていたのを覚えている。
私はただそれを、飴に群がる蟻のように眺めていた。
興味がないと言えば嘘になるし、あるというと語弊がある。
しかし私のようなカーストの低い人間がこれ見よがしに近づけば、標的になってしまう。

「怪我でもしたの?」
「いや、そういうんじゃないんだけど…」
「じゃあ先生と仲が良いとか」
「…そういうんでもない」

ふうん、と素っ気なく答えて、保健室の前で別れた。
苗字はどうしたの、と聞かれたので、図書委員の仕事を忘れてた、と隣にあり暗い図書室を指さした。
それで須田は納得したような顔をして。
返し忘れていた図書を元あった場所に戻して、落とされているパソコンを立ち上げた。
なんとなく照明は付けず、暗いままの部屋にパソコンの照明画面の光が満ちる。
こういう時、図書委員であることが非常に救いだった。
仕事が早く、司書さんとも顔なじみになったせいか、基本的に図書室の備品を勝手に使っても怒られない。
こんな使い方をしても、少し注意を受けるだけで。

ふと、正面の壁を見た。
壁との間には読書のために設けられた座卓と、パソコン。
その壁の向こうには、保健室がある。
今現在、須田がいる保健室だ。
いったい、なんの用事があって来たのだろう。
私自身カーストが低いと言えど、声の大きい彼女たちだ。
須田のように看護教諭と仲の良い生徒がいれば、少なからず彼女たちの話題に彼が登場していても不思議でないのに。

密会、そんな単語が浮かんだ。
なにか他の生徒たちに知られたくないことでもあるのだろうか。
知られたくない理由とは。
いいや、それは私の知る所ではない。
誰しも秘密は持っているもの、と言い聞かせ、ちゃっちゃと図書返却の処理を済ませる。
彼女たちのようにプライバシー侵害はしない。
変な噂を流すような名誉棄損もしないし、考えもしない。
所詮は多感な少年少女で、時を経れば成長するなんて思われたくないから。

図書室を出て、保健室の前を通る。
私が須田を待つ理由はない。
また須田が私を待っている理由もないし、そのまま通り過ぎた。
中からは須田の声が聞こえ、新しい看護教諭の無感情な声も聞こえた。
以前は村で唯一の病院にいた、と言っていた気がする。
保健室の立札にぶら下がっているプレートを見ると、宮田という苗字があった。
ああ、そんな苗字だったな、と。

「なあ、下駄箱で待ってて!」

急にバタバタという足音が聞こえて、保健室の扉が乱暴に開かれた。
思わず振り向けば須田がいて、そんなことを言われて。
驚いたけれど頷いて、下駄箱で大人しく待っていた。
なぜあんなことを言われたのだろう。
須田と看護教諭はどういう関係なんだろう。
本を返したせいで暇を持て余してしまい、ずっとそんなことを考えていた。
遠くに見える、屋根から少し離れていた太陽が、屋根より少し沈んだところで須田は下駄箱にやってきた。

「待たせてごめん」
「いいよ」

どうして引き止めたのか、それは尋ねなかった。
疑問は、降っては湧く。
それでも、訊いてもはぐらかされる気がしたから。

「須田ってオカルト好きなんだっけ」
「うん」
「スポットとか行ったりするの?」
「…前はしてたけど、もうしない」
「なんかあったの?」
「うん」

大学生の従兄が、一時期心霊スポットめぐりにハマっていたことがあった。
だけど一度、そこから"連れてきてしまった"ことがあって、それ以来行かなくなったという。
それを話すと、須田は「そりゃそうだよ」と言った。
やっぱりそうなんだ、と答える。

さり気なく、宮田先生との関係を聞いた。
知り合い、とだけ答えられた。

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