9.

なんだよ、泣くほどのことかよ、
心操のものすごく動揺した声だけが頭に強くこびりついていた。
涙がでて、泣き出してしまった後は自分を抑えることができなくなってしまった。
悲しい、辛い、なんでこんな。
初めてまともに話しかけられたような男子に泣いているところを見られて、恥ずかしいし嫌だったのに、止められなかった。


「A組に知り合いがいるんだって?」

ようやく涙も止まって、呼吸も整った時だった。
直球な問いを投げかけられて、またどもってしまう。
心操はそんな私を見て、呆れたような、嫌そうな、そんな顔をする。

「体育祭、三善が渋ってるのってそれかぁ」
「違う、けど…」
「けど?」

自分でも思っていることがまとまらず、答えられなかった。
それでも心操はジッと待ってくれている。

ぽつりと、個性の反動のことを話した。
個性を使えば大なり小なり記憶が消えてしまう。
大きく記憶を失ってしまったとき、その中にとても大事なことがあったら。
大事な人を、大事な思い出を、忘れてしまうことがものすごく怖かった。

かっちゃんのことを思い出せて嬉しかった。
けど、彼を忘れていたことがとてつもなく悲しかった。
大事な記憶だけじゃない。
もしこれが、大事な約束だったり、次に活かさなければならないことだったら?
本当に忘れてはいけないことを、私は"個性"を使うことで忘れてしまう。
ヒーローになりたいと言っていた私は、ずっとそれを無視してきたのだ。
そしてようやくその現実を受け入れたとき、私はヒーローを「こんな個性だから」と諦めた。

「自分が嫌い」

思い出を忘れてしまう個性も、そんな反動のせいにするのも、――結局自分が可愛いのも。

「俺もそうだよ」

心操もポツリとそう言った。
私は彼の個性を知らない。
ただ、私たちのように"戦闘向き"でないことは確かだ。
それに特徴的な名前の人は、個性と合致していることが多い。
心操――下の名前は覚えていないけれど、彼の苗字は"とても"珍しい類だった。

「俺もさ、個性のこと話すと大概ヒーローとは程遠いこと言われるんだ」

それがチクリと胸に刺さる。
私の個性は、母さんの個性"治癒"に、父さんの発動条件である"噛みつき行動"の複合型だった。
母さんは時々言っていた。父さんは出会った頃、個性のせいかものすごくマイナス思考だったと。
どうしてかな、ヴィランなんて個性自体はヒーローと差して変わらないのに、イメージだけはどうしても拭えない。
もしそれが自分の個性だったら――まず悪用を考えてしまうような個性は、必然的に"ヴィラン"のレッテルを貼られてしまう。
だから、私の個性に父さんはすごく悲観的だった。
――せっかく母さん譲りだったのに
時々、お酒で酔っ払ったときに言っていた台詞が脳裏をチラリと掠める。

「だから、三善はもっと自信持てるんじゃない?」

なんとも言えないような、そんな声で励ましを貰う。
たぶん心操も、同じような個性なんだろう。
彼らをあそこまで病ませてしまうのは私たちだ。
私たちみたいな人間が、彼らの気も知らないで、勝手に妄想を含まらせて。
そして向こう側に突き落とす。
少なからず、そんな人たちがいるはずだ。
私たちはその事実を棚上げして、彼らを糾弾しているのだ。

「ごめん」
「なんで謝んの」

喉を鳴らして笑う心操の声が、すっと頭に馴染んでいった。


別れ際、ふと、出久と友人とで帰った日の視線を感じた。
振り返るとそこには相変わらずジト目の心操がいる。
不意にそれに動揺してしまって、足を止めると彼は怪訝な顔をした。

「どうかした?」
「…なんでもない」

自分でも嘘だなと分かるぐらいに言葉が震えていた。
でも、心操はなにも聞かずに「そう」とだけ言って、去っていく。

出久やかっちゃんを除けば、同年代の男子ときちんと話すのはすごく久しぶりだった。
それがどこか新鮮で。
だけど、彼から個性を話されたときは少しドキリとしてしまった。
もちろん制約はあるけれど、彼は人を洗脳し、操ってしまうのだ。
諸刃の剣。彼の個性はまさしくそれ。
すべての個性がそうだけれど、彼のは特に、ヴィラン側に回ってしまったら恐ろしい個性だ。

大変だね、ヒーローになるのも
ポロッと溢してしまった言葉に、思わず口を噤んでしまう。
そっと心操の顔を窺うと、そこには普通の表情があって。
不意に、友人に出会うまでの一年間が蘇る。
できるだけ"普通の顔"を保とうとした。
自然にそこにいよう、いっそ浮くぐらいなら空気になるほうが、
そんなことを思っていれば、逆にその顔が不自然と言われて。

――そんなに良い個性なのに

友人にそう言われた時点で、気付くべきだったのだ。
私には目指すべき立派なヒーローがいるのに。
"全然良い個性なんかじゃない。そんなはずない"
そう思っていた自分が、本当に醜くて哀れなモノにすら思えてくる。

ふと、かっちゃんと出久の顔が浮かんだ。
都合の良い女、そう思われるかもしれない。
ふざけんな、そう言われたことが、まだズキズキと心を痛めつけている。
きっと、私が彼を忘れてしまった事で、彼を傷つけたのだ。
なにか約束事を破ってしまったのかもしれない。
それに比べれば、こんな痛みなんて。
出久が嘘を吐いていたのにもたぶん理由があるはずだ。
――無くしてしまったモノを埋めなくちゃ
そう強く思った。

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