助けてくれたから

*冒頭に怖い話です。苦手な方は避けてください。

林間学校のときだった。
肝試しをして興奮気味になっていた私たちは、消灯時間を過ぎてもずっと起きていた。
時折見回りにきた先生をたぬき寝入りでやり過ごしてはお喋りを続けた。
だれが好きかとか、流行りの芸能人だとか。
そのうち怖い話をしだして、部屋には緊張が流れ始めた。
そこで問題が起きた。尿意を催してしまったのだ。
一度催してしまったらもう戻れない。
各部屋にトイレが設置されているような優しい施設ではないし、しかも部屋は女子寮の最端でトイレからはもっとも離れた位置にあった。

部屋からトイレまでは一直線の廊下だ。
先生と鉢合わせしてしまったら逃げ場はない。
なにより、肝試しの直前に聞いた怪談が一番効いていた。
"真夜中に廊下を歩いていると、白いワンピースを着た少女と遭遇する"というものだ。

話をしているうちに、少女は"ひまわりは赤くて好き"と言いだす
もちろんひまわりは黄色いのだから、ひまわりが赤いなんておかしい、と言う
だが少女は"赤い"と言って譲らない
そうして、"ならあなたの目をちょうだい"と少女は詰め寄ってくる
――あなたの目で見れば、ひまわりも黄色に見えるかもしれないから…

だれからそんな話を聞いたの、と男の子が語り手である先生に尋ねた。
もちろん答えられるはずもない。慣れているのか先生も"誰だろうな"とニヤリと笑った。
こんなの創作だ、と男の子たちは笑っていたけれど、その現状で小学生だった私には笑えなかった。
"先生に見つかったら"という現実と、"あの怖い話が本当だったら"という虚実との二つの恐怖で、ついて来てくれるルームメイトはいなかった。

ルームメイトたちの無責任な応援を背に受けながら、私は遠くに見える緑色のランプを目指した。
あたりは静かで、虫や鳥の声が遠くから聞こえてくる。
窓から入ってくる月明かりでライトは必要なかったが、人気のない施設には只ならぬ空気が張りつめていた。
――白いワンピースの少女
脳裏に、月明かりに照らされる彼女の姿がありありと浮かんだ。
頭を振ってそのイメージを払う。
あれはどうせ作り話、そう作り話だ。
そう言い聞かせて、どうにか尿意を我慢しながら忍び足で廊下を歩く。

そこで、その階にあるトイレは先生たちの部屋のすぐ隣にあることを思いだした。
用を足しても水を流せば音でバレてしまう。
必死に考えて、そこから少し離れた階段の下にあるトイレを使う以外、恐怖で思いつかなかった。
ようやく階段に辿り着くと、そこからはもう窓はなく、真っ暗で視界は効かなくなっていた。
恐怖で足がすくものの、背に腹は代えられない――そうして足元を注視しながら一歩踏み出したときだった。
キン、と金音がして、じわじわと耳鳴りがし始めた。
思わず足を止め、顔を上げる。
暗闇は相変わらずそこに鎮座していた。
背後の壁にある非常口の緑色のランプは、その存在を報せるだけで明かりにはならない。
じっと前方を睨みつけ、その気配を探った。
これだけは断言する。私に霊感はない。
金音と耳鳴りは"個性"が出るときの兆しだった。

ジリジリと視界を支配するノイズに耐えると、やがて視界が晴れた。
同じく暗闇に包まれている視界。
ふと視界が開けるのを感じて視線をあげると、窓から月明かりが差しているのが見える。
壁際には薄らと緑色のランプがその存在を主張しているが、月明かりほどではない。
そして、人型のシルエットをした影がそこに立っていた。
ワンピースを着た人影。逆光のせいで顔は見えない。
こちらを直視し身動きしないそれが自分だと気付いたときにはもう遅かった。


悲鳴をあげる間もなく張り倒されて、背中を強く打った。
先生かとも思ったけれど、教師とあろう人がこんなことをするはずがない。
そのまま担がれて口を塞がれてしまう。
張り倒された際に漏らしてしまったがそんなのどうでもよかった。
拘束を解こうともがいたが、大人相手に子供が力で勝れるはずがない。
私の扱いに困ったのかしばらく右往左往していたのがピタリと動きを止めた。
次に襲ってきたのは、浮遊感だった。投げ出されたのだ。

今思い返せば、通り魔に襲われるというのはこういう感覚なのだと思った。
何が起きたのか分からないまま、訳も分からずそのまま放置されるのだ。
怪談には通り魔に殺された女性が地縛霊になる話もあった。
なってしまうのも分かる。
救いを求めようにも求められず、仮に誰かが通ったとしても無視され、そして死んでいく。
苦しかろう、恨めしかろう。
私がそうならなかったのは、彼のおかげだった。
生理現象に苛まれて仕方なくという私とは違い、いたずら目的で部屋を出ていた彼に。

踊場に打ちつけられて呻いた直後、誰かが怒声を上げながら階段を駆け上っていった。
相次いで爆発音が聞こえて、くぐもった男の声が聞こえる。
もう一度爆発音が響いたあと、だれかが倒れる音がした。
静かになった踊場に、誰かが階段を下りてくる音が響く。

「おい、大丈夫か」

身体中が痛くて呻き声しか上げられなかった。
それでも、もう大丈夫だとか、どこが痛いんだとか、声をかけられる。
薄らと目を開けても、月明かりの逆光で彼の顔は見えなかった。
何事かとようやく駆けつけた先生に彼は「遅ぇよ」と文句を言う。
動けない私はそのまま車で病院に担ぎ込まれ、しばらく入院になった。
重症というほどではなかったけれど、たぶん慢性的な腰痛と一生付き合うことになる、と言われた。

散々な目にあった、と思った。
施設に侵入してきたのは麓の街で強盗をして逃げてきたヴィランだったらしい。
白いワンピースの少女に怯えて、それで遭遇したのは実体のある人間だ。
楽しいはずの林間学校が、私は犯罪に巻き込まれた出来事になってしまった。
ある種の武勇伝ではあるけれど堪ったもんじゃない。
幽霊が怖いのは分かるけれど人間の方が怖い、だって人に害を成すのは人だもの。


「だから怖い話とか聞かれても、たぶん上鳴くんが思ってるのとはだいぶ違う話になると思う」
「そっかぁ。…思ったんだけど、苗字さんの個性ってどんなの?」

学食で偶然会った彼は、グループで怖い話をしていたらしい。
それで私もなにかないか、と尋ねられて、体験談を加えた上でそう言った。
正直あれ以来、怖い話はごめんだった。
私の中では嫌な記憶でしかない林間学校が思い出されるから。
それになにより人間の方が怖いというのが私の持論だから。

「えーっと、視界ジャックっていって想像つくかな」
「視界ジャック…?」
「他人の視界が覗けるの。けっこう集中力が必要だけどね」
「てことは、かくれんぼとかメチャクチャ得意だった?」
「うん。私が見つかるのはいつも一番最後」

鬼ごっこはいつも逃げるので必死だったけれど、かくれんぼとなれば私の独擅場だった。
視界を探ればどこに隠れているのかすぐに分かるし、隠れる側になれば鬼の視線を掻い潜って逃げまくる。
ヒーローになれるかも、とは思ったけれど、警察に勤める方を選んだ。
腰痛もあったし、この個性は人探しの方が向いている。


「あ、爆豪」
「…よぉ」

上鳴くんと別れてすぐに、爆豪とすれ違った。
小学校からの同期で町会も同じせいか、時々話をするのだ。

「腰はまだ痛ぇのか」
「え? ああ、うん。お医者さんは一生付き合えってさ」

それにちょっと驚いた顔をするのに、内心不思議に思った。
彼から同じような質問を投げかけられることはよくあった。
たぶんあそこにいたからなんだろうなぁ、とは思っていたけれど。

「話さなかったっけ」
「聞いてねえ」
「そっか。そうなんだよ」

若いのに腰痛持ちなんて、と言われることはよくある。
だけど生きてるだけマシだ、と思う。
当たり所が悪ければ、誰もこなければ、腰痛だけでは済まなかったかもしれない。

「…悪かったな」
「何が?」
「なんでもねえよ」

荒い口調で突っぱねられて、爆豪はさっさと行ってしまう。
こんな性格でヒーローになれるのだろうか、と思ってしまう。
どんなにカッコよくたって素行が悪けりゃ個性を持て余したヴィランだ。

「爆豪、ありがとう」
「は?」
「爆豪が来なかったら腰痛じゃ済まなかったかも」

しばらくキョトンとしていた彼は、すぐに顔を逸らして行ってしまった。
爆豪には感謝している。だから、"もう心配しないで"と言いたかった。
けれど、自意識過剰と思われてしまうんじゃないか、バカじゃないのかと言われてしまうんじゃないかと、結局言えぬままだった。

「謝んなくったっていいのに」

教室に戻りながら、そうつぶやいた。


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