不幸体質

昔、突然消えたクラスメイトがいた。
最初は先生が朝礼で「体調不良でお休みです」と言って、放課後も仲の良かった女子が連絡帳やプリントを届けに行っていた。
しばらくそんな日が続いて、ある日「彼女は入院することになって、学校も転校することになりました」と先生が言った。
仲良しの女子たちは「なにも聞いてない」と大げさに驚いて、励ましの手紙も書こうとしたけど、先生がそれをやめさせた。
なんとなく、きっと彼女は死ぬんだろうなと思った。
長い病欠の末に入院、わざわざ中途半端な時期に転校して、おまけに励ましの手紙も書かせようとしない。
まだ何も知らなかった当時の俺の想像力では、先生の言葉そのままのことしか想像が出来なかった。


「こんにちわ−、ご予約の心操さんですよね?」

その元クラスメイトらしき女に会ったのは、久しぶりの旅行でだった。
それも一人当たり1泊数万円のホテルに泊まる旅行ではなく、家族で1泊1万円で済むような民宿を使った節約志向の旅行だ。
普通にホテルで泊まるよりも安いからと、旅行の目的が観光でなかったから許されるような建物に通される。
こっそりと「もしかしたらちゃんと登録してないトコかもね」と父が母に耳打ちしたのを聞いた。
その民宿に、アルバイトをしているという俺と同じぐらいの年の女性がいた。

最初はまったく気にしなかった。
同世代かなとは思ったけど、化粧もしていたし、営業慣れしていたから。
けれど母さんが、そいつの顔を見た瞬間、きょとんとした顔をしたのだ。
部屋に通されて彼女がいなくなった後も、ずっと小首をかしげるような、怪訝な顔をしていた。
どうしたのかと尋ねると、「苗字さんちの名前ちゃんに似てると思ったものだから」と。
最初はその名前と消えたクラスメイトが結びつかず、思わず「だれ、それ」と尋ねた。

「ほら、小学校のとき、急に引っ越していった子よ。学校では病気とかで入院したってことになってるけど、あれ、実際は夜逃げだったみたい。ご両親の借金で取り立てが酷かったみたいで――」

当時、保護者や学校の間ではかなりの話題になっていたらしい。
毎晩のように2,3人の男たちが部屋の前へやってきて怒鳴り散らし、玄関には「泥棒」「金返せ」といった紙が貼られていたという。
隣人や大家、近隣の住人たちは大変怖がって、彼女の両親に(文句を言うついでに)事情を聞き出しに言ったとかなんとか、ドラマで見るような行為に、なんて時代錯誤な、と思った。
少なからず背びれ尾びれはついているはずだ。

「でも、名前違ってたけど」
「そりゃあ、同じ名前使うわけにもいかないだろう」

だんだんその話題が面倒になってきて、適当に「ふうん」と答えて旅行の話に変えたっきり、その後も苗字名前の話がまた上ることはなかった。

彼女とクラスメイトだったのはずいぶん前のことだったし、今でも顔をはっきり覚えているわけではなかった。
途中で転校した彼女の名前が卒業アルバムに載っている訳もなく、かといっていなくなった彼女を探してページを捲ったこともない。
仲良しだった女子とは同じ中学校に進学していたが、その頃には彼女たちもバラバラになっていて、他校出身の生徒とグループを作っていた。
突然の転校で彼女らが騒いで、それが鎮まってしまえば、だれも苗字名前の名を口にしなくなった。
なんどか話題に上ったかもしれなかったが、俺とはまったく無縁なところでの話だった。

苗字名前と瓜二つといわれるアルバイトとまた会ったのは、夕食のために外出をしようというときだった。

「あれ、ひとり?」

ふと見れば、昼に通されたときよりラフな格好をしているアルバイトがいた。
銭湯帰りなのか、髪は濡れ、タオルの詰まったカバンを肩にかけている。

「……夕ご飯、食べに行こうと思って」
「どこまで?」
「…駅までの道にある定食屋。二沢だっけ」

別にどこに行くとか、なにを食べようとは決めていなかった。
ふと浮かんだのが、この建物を探して歩いていたときに目に入った店で、適当にその名前を告げる。
なぜ覚えていたのかは分からない。

「そっか。この辺、あまり治安良くないから気を付けてね」

長く立ち話をするつもりはなかったのか、アルバイトはそう告げて去ろうとする。
すれ違いざまに「ありがとう」と返して、明かりが煌々と灯っている駅の方を目指した。

「ねえ」

数歩進んだ矢先、また声がした。
振り向けば、やっぱりアルバイト。
なに? と聞こうとして、先に彼女が口を開いた。

「心操くんのお母さん、私見てなんて言ってた?」
「…なんてって?」

ふいに、消えたクラスメイトの顔が見えたような気がした。
苗字さんちの名前ちゃんに似てたものだから――アルバイトがいなくなったあと、母さんはそう言った。
母さんはアルバイトを見て怪訝な顔をした、夜逃げで消えた一家の娘に似ていたから。
俺はなんの変化も見せなかった、昔いなくなったクラスメイトなんて覚えていなかったから。
アルバイトは、この女は、その小さな変化が鼻に付くというような言い方だった。

「やっぱりなんでもない。ごめんね、足止めさせちゃって」
「昔クラスメイトだった奴に似てるって言ってた」
「…………」
「そいつ、急に転校したんだよ。親の事情とかで。でも、名前が全然違うから、違うだろうって」

苦笑いをして帰ろうとしたアルバイトが、驚いた顔をした。
俺の言ったことを聞いて、きょとんとした顔をしたし、まさかという顔もしている。

「違ったら、ごめん」
「…そっか、ありがとう」

しばらく瞬きを繰り返したあと、アルバイトは「バイバイ、お休み」と言って去っていった。
今度こそちゃんと、視界から消えるまでその後ろ姿を見送った。見送らなければだめだと思った。


夕食を済ませて部屋に戻ると、父親は酒を飲んでテレビを付けたまま眠りこけていた。
母親は知り合いのところへ行ったきり、さっき「夕飯も一緒にすることになった」というメールをもらったばかりだ。
時間を確認すれば、寝るにはまだすこし早い。
することもなく、付きっぱなしになっていた番組をただただ眺める。
どこかで見たことのある俳優が、どこかで聞いたことのあるタイトルのドラマを宣伝していた。
しかしその内容は、「いったい誰が見るんだ」と思うほど面白さに欠けるものだった。

ふと、そのドラマのシーンに出てきた子役の顔が、アルバイトの顔に見えた。
見慣れているはずのその子役も、数度しか顔を合わせていないアルバイトも、まったく似通っていないはずなのに、幼い頃の彼女のように見えた。

別れ際、アルバイトの顔は笑っていたと思う。
笑っていたと思うのに、泣いているようにも思えた。
でも、帰るその後ろ姿ばかりが記憶に残って、その顔はどうしても思い出せなかった。


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