頬の痛みを忘れたころに

「本当に済まなかった」
「もういいですって、その話は」

現役のヒーローであり雄英高校ヒーロー科の担当を勤めている相澤は、酔うとすぐ私に謝る癖があった。
"あった"というも、私が雄英の末端職に就いた直後にできた癖であって、周囲に知人がいなくなると決まって出る癖だった。
私は「新陳代謝がいい」という、「個性」と呼ぶには個性の乏しい能力のおかげで酔うことはない。
きっと彼もそれを分かっていて、酔うと少しネジが緩んだ末に甘えてしまうのだろうと勝手に思っている。

「傷はずいぶん薄くなってますし、たぶん相澤さんぐらいになったら消えてますよ」
「そんなでかい傷できたことねえだろ」

確証もないのに言い切るな、と言わんばかりの台詞だった。

私の学校での仕事はいわゆる清掃、校内のゴミ捨てからヒーロー科が授業で使う演習場の後始末まで様々だ。
敷地は広いしマンモス校だからゴミの量も比ではなく、おまけにヒーロー科の後始末となれば人手がいる。
が、ゴミ処理や人件費もバカにはならないから、ヒーロー科の入試よりかは"合理的"な方法で就職試験は行われ、機械化もすすみ本来かかる費用の半分ほどで済んでいたはずだ。

しかし、その屋台骨だった先輩が、私が就職した直後に退職した。
理由は年齢と、そろそろ隠居生活を送りたいというものだった。
校長や他の古株たちも彼の引退を渋ったが、だからといってムリヤリ学校に縛りつけることもできない。
私の代が多く採用されていたのも、そのためだったらしい。
あの頃の古株たちはよく「この仕事はつらい、大変だ」と言っていたが、最初からその状況だった私たちにとって、その言葉は「そうですね」以外の返しようがなかった。

相澤が酔うと私に謝るようになったきっかけは、その矢先に起こった。
その日、演習場の後始末を任されていた私と同期は、先輩の愚痴を聞かされないようにするため、先に現場へ向かっていた。
が、当然、ヒーロー科の授業は終わっておらず、終わりがけとはいえ有精卵たちがまだ訓練を行っている最中だった。
とりあえず、彼らの邪魔にならないように、はたまた被害を被らないようにと、彼らが米粒ほどに見える程度には離れた場所で待機していた。

その後の流れは、人伝手から聞いたものだ。
簡単にいってしまえば、有精卵たちの「個性」で破壊されたビルのがれきを、ワープで飛ばした先が私たちのいた場所だった。
同期は間一髪でそのがれきを逃れたが、私は状況を理解する間もなく巻き込まれた。
その有精卵たちを受け持っていたのが相澤だった。

保護だとか監視の責任が彼にはあったのかもしれない。
けれど、演習場の後始末は本来、授業が完全に終わってから始めるものだった。
私たちが身勝手な理由でそれを破ったのだから、あれは私の自己責任で、彼に非はない。
いつしか彼に「そりゃもっともだ」と言われたから、こんな癖ができるまで、心の底からそう思っているんだろうと思いこんでいた。


「家は一駅隣ですし、大丈夫ですよ」

まだ酔いの醒めていないらしい顔で「送っていく」という相澤に返した言葉であったが、むしろ彼の方が心配だ。
先輩後輩の関係は数年と長いが、プライベートのそれとなるとこうした飲み会や二次会ぐらいしかない。
そこで交わす他愛ない会話も、仕事の話と比べれば短なものだった(そしてそのほとんどが私の"傷"についてである)。
私が知っている彼は、メディアを嫌うアングラヒーローで、雄英高校ヒーロー科で教鞭を執り、二言目には「時間は有限」「合理的」と言い連ねている、誰でも知っている相澤消太だ。

「酒飲んだ女をこんな暗い道、一人で帰せるか」
「私の"個性"、知ってますよね? それに、これでも仕事で腕力は鍛えられ――」
「それとこれとは別だろ」

思わず「ぷ」と噴き出しそうにながら言い返した私に、相澤は表情を変えずに切り返してきた。
私はそれに一瞬黙り込んで、「それとこれ、とは?」と尋ねる。
そう尋ねてから、失敗した、と思った。
ここは「それとこれって(笑)」と笑うところだ。
合理主義者でヒーロー活動以外は一般人と等しく動き、このような場面・私のような"個性"が揃っていれば、彼は自身の主義に則り「じゃあな」と帰るだろう。
しかしその相澤はいまだ私の目の前にいる。
私は「相澤さんらしくない」とわざとらしく笑った。
ジョーカーさんがいればいいのに、と思うぐらい、わざとらしく、下手くそに。

期待させてほしくない。
思った通りじゃなかったとき、期待した自分がバカみたいだから。
いいや、はっきり「自分はバカだ」と分かるからいやなのだ。
酔える体質だったらいいのに。いつも思う。

「家まで送る」
「……じゃあ、お願いします」

きっと引き下がらないだろうな、と諦めた。
「今だけ酔っ払ってることにします」と言い訳がましく伝えると、彼は「そうしとけ」と言った。


もくじ
表紙に戻る
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -