チーズ

「サイバトロンが元通りになったら、ラチェットはどうする」
『どうする、とは?』
「地球にのこるか、それとも帰るか」

訛りだけでない奇妙なイントネーションで、名前はそう尋ねてきた。
疑問符のない、独特な喋り口。
その少女の独特な喋り方を、ラチェットは密かに楽しんでいた。

『どうだろうな。それはオプティマスが下すことだろうが、彼ならしばらく地球に滞在するだろう』
「すぐには帰らない」
『少なくとも』

ミコの友人だという、アメリカ出身の少女。
たまたま偶然、ミコと名前が一緒に帰っている途中にディセプティコンに襲われて仲間に加わっていた。
ただ、ディレクシアというミコ曰く"頭はいいんだけど、読み書きがものすごーく苦手"な病気を先天的に患っている。
もともと家を留守にしがちだった両親のもとで暮らしていた名前は、それに加えてコミュニケーション能力も低かった。
中学生になる頃には学校に通わず、家でミコに勉強を教えてもらっている状況だったという。

「プライムならすぐには帰らない。ラチェットなら、どうする」
『だから、私はオプティマスに従うと』
「ラチェットだけなら。私はラチェットのを聞きたい」

名前は、茶色い瞳でじっとラチェットを見詰めた。

『私だけなら、すぐにでも帰るだろう』
「ラチェットのチーズは、サイバトロンか」
『チーズ?』
「人間の先生に読んでもらった本で、大切なモノをチーズに例えてた。私のチーズはラチェットだとおもう」

大切なモノ、チーズ。ネット検索にそうかけると、とある書籍が上がってきた。
医学博士であり心理学者である人物の書いた本だった。
二匹のネズミと二人の小人の物語。
彼らは"チーズ"を求めて迷路を冒険していて、"ステーション"で大量のチーズを見つける。
その"チーズ"が消えてしまった時の四者四様の反応が描かれた物語だ。

『私が君の"チーズ"か。なら、ネズミたちのように出かける準備をしておくべきだな』
「わたしはだれでもない」
『誰でもない?』

尻しぼみに言う名前を見下ろす。

『少なくとも、君は小人たちのように考えることはできると思うが』
「でも、つぎのチーズを見つけるのはむずかしい。ラチェットがいなくなったら私はすこし困る」
『君のチーズは私だけじゃないだろう。君にはミコやジャックもいる』
「でも、ミコやジャックたちのチーズも私だけじゃない」

さてどうしたものか。
人間の子供とコミュニケーションを取るのも重要とオプティマスは言った。
その直後に名前が現れて、無駄だとは思ったが、サイバトロン星でのことやオートボット、ディセプティコンのことをすこし話してやった。
この少女は読み書きや長文の理解がすこし難しいだけで、特別"中身"が劣っているということもない。
むしろ、数学においては彼女の同世代と比べるとずば抜けて優れていた。
それに、ミコやジャックはラチェットのそれを話半分にしか聞かなかったが、名前はよく聞いた。
彼らと違ってその話を面白がっていたし、もうネタが尽きたという彼に「じゃあ地球の本をよんで」と懇願する場面もあった。

『名前、数学の勉強を少ししよう。sinxの微分は』
「cosx。ラチェット、話をそらさないで」
『(e^2x+1)の微分。君には少し考える時間が必要だ』
「…2e^2x。じゅうぶん考えたこたえが、ラチェットが私のチーズ」

律儀に答えを述べながら、名前は真顔で言う。

「わがまま言っていい」
『とりあえず話だけは聞こう』
「私が死ぬまでそばにいて」
『……』
「ラチェットは私たちより長生きだ」
『そうだ』
「ラチェットの時間だと、私は一瞬だ」
『…そうだ』
「だから、お願い」

いよいよブレインにエラーが出始めた。
人間のようにこめかみ抑えるが、処理しない限りそのエラーは消えない。

『私のチーズが君だという考えはないのかね?』
「私がラチェットのチーズ」

そう復唱して、名前はその大きな目で瞬きを繰り返した。

「でも、いつかなくなる。ラチェットはチーズを探しに行ける」
『名前、現実は物語じゃない。君みたいに、みんながみんな、二匹と二人のだれかだけに当てはまるわけじゃないんだ』
「私だけじゃない」
『そうだ。たしかに私は、君がいなくなっても、次にどうすべきか考えることもできるし、チーズを探しに出かけられる。けれど、チーズがなくなることを予測して、それに何とも思わないわけじゃない』
「なにも思わないわけじゃない」
『そう。日本の血液型性格診断とおなじだ。みんな、二匹と二人の特徴を持ってる。その割合が違うだけだ』
「よく分からない。話が難しい」

それでいい、とラチェットは思った。
余計な死角は作らない方がいい。

『話がズレた。気にしなくていい』
「わかった。もうすぐ母さんが帰ってくる」
『そうか。近くまで送ろう』

帰り際、名前は運転席に投影されているラチェットのホログラムに言った。

「人間の先生が、チーズは二種類あると言ってた」
『ほう。気になるな』
「普通のチーズと、特別なチーズ。普通のチーズは、たくさんある。代わりが効く。でも特別のは、無くなったらにどと味わえない」
『なるほど。じゃあ、私はどちらのチーズだ?』
「…考える」

ラチェットは雨が降りそうだな、とぼやくと、やはり家まで送ろうと声を掛ける。
名前は、嬉しそうに分かったと答えた。

---

チーズでゲシュタルト崩壊


表紙に戻る
第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
- ナノ -