ばかでのろまで。

今年の夏は、日照りが強い。
人力でゆっくり上がって行く昇降機で、ぼんやりと地面を這いつくばる惨めな人々を眺めていた。
五体満足でない人間はざらで、身にまとっている物は少なく毛も伸び放題で、肌が浅黒いのは日焼けのせいだけではない。
わずかな水と食料でなんとか生き延びている彼らには同情するが、手を差し伸べるつもりはなかった。
私一人が差し伸べたところで、助かることなどないのだ。
たとえシタデル内に連れ込むことができても、寿命が短いだけの健康体か母乳がでるかの、そういう価値が無ければ足手まといとして結局追い出されてしまう。

ふと、数日前と全く同じ体勢のまま、動いていない人間に目がついた。
死因は脱水症状だろうか、だとしたら腐らずミイラになるかもしれない
そう思っていると、後ろでエースが私を呼ぶ声がした。

「大隊長がお呼びだ」
「はい」

元子産み女で、ジョーの怒りを買ったにもかかわらず左腕を失うだけで済んだ、メカニックとして地位を築いてきた女大隊長
ウォーボーイズにはそう聞いている。

「大隊長、なんですか?」
「次のガスタウンとの取引に同行してほしい」
「はあ」

ガスタウンとの取引。
たしか、以前なら見ることもなかったような桁の油を運ぶ仕事だ。
私は末端の末端だから、詳しいことは何も聞かされていない。
かといって戦力外通達をされ、シタデル内でメカニックとしてなんとかやっているような身だ。

「なぜ私が同行を?」
「3000ガロンも油を積んでいるんだ、何かあったら困る」
「それなら私よりも腕のいいメカニックがたくさん…」
「念のため、だ。名前は付いてくるだけでいい」
「…了解」

渋々了承すると同時に、昇降機の動きが止まる。
ようやく日陰に入ることができて一息ついたが、ウォーリグの整備をできるように、いろいろ頭に詰め込まなくてはならなくなった。
車種にはいまだ疎いが、エンジンに関してはだいぶ腕が上がったような気がする。けども。

フュリオサ大隊長を見ると、すでに砦の中へ行ってしまっていた。
なぜ私を指名したのだろう。
ウォーリグは点検している様子を少し見せてもらっただけで、一度も触ったことがない。
正直、この同行には不安しかないわけで。

「浮かない顔してどうした」
「ガスタウンの取引で同行を頼まれた」
「誰に?」
「フュリオサ大隊長に。私、なにかしたかな」
「自分からメカニックに来たくせに、弱気だな」

口元が大変なことになっているウォーボーイに、そう嫌味を投げられる。
名前を思い出せず尋ねれば「スリット」と答えた。

「それは、あだ名?」
「あ?」
「口が切れてるから」
「俺はスリットだ」

スリット、そう念押しするようにもう2,3度名乗り、不機嫌そうにウォーリグの様子を見にいく。
スリット、切り込み。どう考えてもあだ名にしか思えないような名前。
そういえば子産み女たちも、あまり聞き慣れない名前だった気がする。
それこそ代名詞に使われるような。
もう、そういうレベルの扱いなのだろうか。

白塗りの群集を見回した。
彼らは全員、イモータン・ジョーのために命を捧げている。
ジョーを崇め奉り、彼に言われた通りのことをする。
ああ、世も末だな
そう思った。

「お前はなんていうんだ」
「私?」
「他に誰がいる」
「……ダム」
「そうか。お前も門を潜るときはそう呼んでやる」
「ありがとう」

ダム、ダム
ここへ来たばかりの頃、皆、私をそう呼んだ。
ニュアンス的にあまり良い言葉でないだろうな、というのは分かっていて。
馬鹿でのろまで口の聞けない奴
ワイブスに、できるだけ易しい言葉で、そう教えられた。
その頃にはもう、私の名前はダムだった。

名前は付いてくるだけでいい

はて、フュリオサ大隊長に、私の名前を教えただろうか。
教えたとしても、ずっと昔だ。
口の聞けない馬鹿と呼ばれていた、ずっと昔。

イモータン・ジョーは別として、大隊長のことは慕っているし、尊敬している。
女性だからじゃない。
子産み女にされて、逃げ出したところを捕まって。殺されるかと思った。
そのとき、彼女がなにを言っていたかは分からない。
だが「機械はできるか」と聞かれ、必死に頷いた記憶が、今でも鮮明に残っている。

名前は?
…苗字名前

聞き慣れなかったのか、少し怪訝な顔をしながら私の名を繰り返した。
その後、彼女と話す機会は、全くと言っていいほどなかった。
ただひたすら、業務連絡、業務連絡、業務連絡。
私は末端の末端、ちょっと機械に強いだけの下っ端だ。
いくら彼女を慕っていてもその他大勢の一員にすぎない。

「ダム、来い」
「はい」

ウォーリグの整備をするエースに呼ばれ、車体の下に入る。
エンジンが二つある。
一人でも直せるようにしなければ。
心のなかで、漠然とした不安がせめいでいた。


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