ヒーローと書いて、

胸糞注意

 ***

場の空気が読めず、人と協調して上の要求することを行動にできない人物を、人は「社会不適合者」と呼ぶ。
彼にしてもそうだった。
中学校に入学して3日、彼はさっそく先生に目を付けられていた。
黙っていればいいものを
先生に口答えする彼に、だれかがそう呟いた。

「おい苗字。日直が終わったら職員室に来い」
「あ、はい」

いかにも体育会ですというバカそうな顔をした担任に言われて、日誌を持って職員室に向かう。
途中、不良の先輩に絡まれたサイタマを見かけたが、それを止めに入って遅れていって、訳の分からない説教を受けるのは嫌だった。
まだ「なぜ止めなかった」と理由の効く説教の方が、ずっとマシだった。

「クラスの佐藤がいじめられたって泣き付いてきた。宥めといてくれ」
「え、どっちをですか?」
「当たり前だろ」

そう呆れ顔で言われたが、私は本気で分からなかった。
黙っていれば、「佐藤の方だよ」とさらに呆れた顔をされて、職員室を追い出された。
それからしばらく、クラスメイトの佐藤さんを観察した。
いじめられている、という様子はしばらく見受けられなかったけれど、ある日、決定的なシーンを見た。
明るくて社会的な性格でイベントごとではクラスを牽引する、いわゆる"リア充"の加藤さん。
そんな彼女が数人の友達といっしょに、主のいない机で教科書に落書きをしていた。
黒や赤や黄色、オレンジ、青……さまざまな色のマーカーで、訳の分からない――きっと彼女にも意図はないのだろう――落書きをしていて。
クラスには他に誰もおらず、本当にだれもいないと思って教室に入った私は、彼女たちの行いをみてその場で固まってしまった。

「なにしてるの?」

微妙な顔をしている彼女たちに、私たちはようやくそう尋ねた。
さらに微妙な空気になるのに、加藤さんは怖いぐらいの笑みを浮かべて言った。

「ねえ、これ誰にも言わないよね」

ますます訳の分からない状況に陥って、私はそれに頷いた。
黙っていればいいものを
だれかが言った言葉を思い出す。
それから半年後、佐藤さんが自殺した。


「ヒーロー、まだ続けてるんだ」

いつものママチャリをまた破壊され、その横で、同じようにボロ雑巾になっている元同級生。
新品のママチャリにまたがり全速力で走って行った彼は、すぐそこの角で怪人と遭遇して返り討ちに合った。
それを目撃していた私は怪人に見つからないうちに颯爽と逃げ出し、小学校で貰った絆創膏とバケツいっぱいの水を持ってそこに戻った。

「毎回毎回そんな大怪我して、ヒーロー向いてないでしょ。命があるうちにやめた方がいいんじゃない?」

嫌味を吐きながら、頭から水を被せて泥を取る。

「そういうきみだって、いつまで僕のおっかけをしてるつもりなんだ…」
「追っかけなんてするわけないじゃん。たまたま私のそばに怪人がいて、たまたまそこにあんたが毎回現れるだけ」

実際、その通りだった。
それほど治安の悪い街ではないのに、巷で聞く"怪人ホイホイ"なんじゃと思うほど、怪人に遭遇するし、そのたびC級ヒーロー第1位のこいつが現れる。
そして毎度のこと負けられるんだから、いい加減一度ぐらい勝ってくれよと思ってしまう次第である。

「ねえ、今日空いてる?」
「どうして…」
「実家が怪人に壊されてて、泊まろうと思ってたホテルも破壊されたもんだから」

まあそのホテルもカップル専用のホテルだったから、喜ぶべきか、悲しむべきか。
地元だから一夜ぐらいその辺をぶらついて、始発が動きはじめたら家に戻るというのでもいいかもしれない。
でも、こうして地元に帰ってさっそく怪人に襲われたとなれば、さすがに警戒してしまう。

「僕の家、1LDKなんだけど」
「いいよ、別に」
「僕がよくないから言ってるんだけど」


なんとか家にけしかけ、シャワーと台所だけ借りてあとは就寝…となるはずだったけれど。

「そういえば、なんでこっち戻って来てるの?」
「佐藤さんの13回忌…12だっけ」
「佐藤って、中学のときの…」

突然、思いついたかのように帰省してきた理由を尋ねられ、素直に答えれば怪訝な顔をされる。
佐藤さんの自殺は、すぐに広まった。
首つったんだって
先生の耳に入らないよう、こっそりと。
表面上ではまるで最初からそこに居なかったかのように扱うクラスの雰囲気に、途惑っている人もいた。

「いつもは門前払いだったんだけど、今日は入れてくれたの」
「…………」

まあ、その後は罵詈雑言に平手打ち食らって逃げ帰って来たんだけどね
その事実は飲み込んで、「明日は朝一で出てくよ」と毛布に包まった。


薄暗い部屋に、針の音が響く。

「佐藤の家、追い出されてきたんだろ」

ストレスにならない程度に外の騒音が聞こえる室内で、彼はそう言った。

「服がやけに汚れてたし、なんか時化た顔してたから、変だなあとは思ったんだ」

私は背を向けたまま、なにも応えなかった。
佐藤さんの家を追い出されたとき、
あんたがなにかしてくれてたら、あの子は死ななかった
そう叫ばれた。
何かって、私は何をすればよかったんだろう。
佐藤さんは、かなり早い段階で先生にいじめを相談していた。
私に縋ってきたこともある。
佐藤さんは、ずっと助けのサインを出していたのに。

私だって、いじめの経験がなかったわけじゃない。
あれは、担任ぐるみの、クラスぐるみのいじめだった。
佐藤さんを庇って、私もその標的になるのが怖かった。
大人になって思えば馬鹿げていても、子どもにとってはあの狭いクラスが世界だ。
佐藤さんは生贄みたいなものだった。
自分が世界で平和に生きるための生贄。
自分以外に、攻撃を集中して受ける人間が必要で。

馬鹿げてる。
本当に。
そう、分かってたけど。

「毎年きみが帰って来てるのは知ってた」
「…………」
「でも、佐藤の実家に顔出すだけ出して、すぐに帰るから、知らなかっただろうけど――」
「知ってるからいい。さすがにあれだけ怪人に遭えば気付くよ」

佐藤さんの家は、今時珍しい庭の広い家だった。
数年前、その庭の木々の隙間から、敷地内をちらりと見たことがある。
不躾だとは分かってた。でも、見えてしまったのだ。

「ヒーロー協会がマークしてる。きみもされてるから、もう行かない方がいい」

ヒーローとしてではなく、友人としての忠告のつもりだろうか。
確信なんてしたくなかった
きっと私の勘違い
そんな簡単に佐藤さんたちを疑ったらダメだ
そう、思い込ませてたのに
そう彼を詰る言葉を、なんとか飲み込んだ。

 ***

本当に朝一で出て行ったんだな
時計を見れば、まだ時刻は5時半である。
上りの始発は少し前に走り始めた頃だから、もっと前に起床して出て行ったことになるだろう。
もしかしたら一睡もせずに出て行ったのかもしれない。

彼女とは一年のときの学級委員で顔見知りになった。
はじめて口を交わしたのは、佐藤の訃報を聞いてだ。
クラスメイトではないにしても同学年の女子が亡くなったと聞けば多少は動揺する。
クラスメイトであれば、それもクラスの学級委員であれば自分たち以上に精神的ショックが大きいだろうし、実際、直後の彼女は上の空だった。
彼女が上の空だった理由が他にもあったことを知ったのは、しばらく経ったあとだ。
噂に疎かった自分は、佐藤がいじめられていたことを知らなかったのだ。
そして、自殺に至るまでに、彼女にも一因があったことも。

ごろりと体制を変えて、窓に背を向けた。
カーテン越しに、部屋にはわずかな光が差し込んでいる。
知ってるからいい
さすがにもう気付くよ
そう突っぱねた彼女が、次この町に帰って来るのは何年後になるのだろうか。


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