威厳、荘厳(89→37:[シャクナゲの花咲く頃]おまけ)





ロッカーの深い影に仄かな光が浮かぶ。その健康的な白を柳生はうっとりとした眼差しで見つめる。
シャクナゲ。硬質な常緑の葉の上に、大輪の白が華やかに踊る。例え薄暗いロッカーの中に置かれようとも、無骨な新聞紙に包まれていようとも、その娟麗さは決して揺らぐことはない。
まるで彼の様だ。強風吹き荒ぶ嵐の中もその身一つで毅然と立ち向かい、傷付くことを恐れず突き進む『皇帝』。手の届かないその背中に、暗がりに咲く白い花弁が重なる。
何と美しく気高いものか。柳生は恐る恐る指先を伸ばし、シャクナゲの花に触れる。薄いながらも滑らかなその肌は時間が経っても瑞々しく、ついふふっと声を出して笑ってしまう。

「なーににやにやしとんじゃ。気持ち悪い。」
「気持ち悪いとは心外ですね。」
背後から聞こえた声に柳生は顔色一つ変えずロッカーを閉める。同時に仁王が中を覗こうと肩に頭を乗せてきた。ほぅと仁王がこぼした息に柳生は小さく舌打ちで答える。
「どないしたんじゃそれ。」
「見られたのであれば特に述べる必要は無いかと。」
「花なんは分かるけどそれ以外は全く分からんのぅ。」
「花であることが分かれば充分なのでは。」
柳生のつれない返答に仁王は尚もにやにやと笑う。そして「大体分かった」とうそぶくと、嫌そうな柳生の肩に腕を回し、ぐいっと顔を近付けた。
「真田やの。」
「おや、確定ですか。」
「お前さんがつんけんしとる時は大体真田んことだけじゃ。」
「そうですか。今後気を付けましょう。」
「まぁわざとなんかも知れんが。」
きしししししと仁王は謎の笑い声をあげ、ばんばんと柳生の肩を叩く。4度叩かれたところで柳生は仁王の右手首を掴んで投げ捨てる。
全くと柳生は叩かれた箇所をはたき、少しよれたユニフォームの襟を再度立てる。投げ捨てられた直後は唇を尖らせていた仁王だったが、ふと何かに閃くとすすすと柳生の背後に移動した。はっと感付いた柳生は持ち前の反射神経と鋭い腕の振りでロッカーの戸口を右手で突き刺した。
「…仁王君?」
人のロッカーは開けるものではありません。わざとゆっくり言い含めつつ、柳生は左手で眼前を囲うようして眼鏡を上げた。また唇を尖らせた仁王は半眼になり、柳生が押さえているロッカーの扉に肘をついて頬に手の甲を当てる。
「たかが花やんけ。」
「貴方には分かりませんでしょうね。」
ぴくりと仁王の左瞼が動く。不服な時の反応はこれかと記憶しつつ、柳生はやれやれと右手を離す。
「そない大事やったら早よ持って帰りんさいや。」
「部活に出てからですね。」
「遅刻やん。」
「…誰のせいだと思ってるんですか。」
立て掛けていたラケットを左手に持ち、柳生は親指で立てた襟を弾く。仁王は瞼を閉じ、一度くるりと眼球を回して、また普段通りの表情になる。
「俺?」
「自覚してるなら1人でも部活に出てくださいませんかねぇ。」
「お前さんが真田に告白したらいくらでも出たるわ。」
扉に向かいかけていた柳生の足が止まる。考えていた以上の反応に仁王はほうと頭の後ろで指を組んだ。
柳生は目を閉じ、深く息を吐く。そして静かに瞼を開けながら、同じ速度で息を吸い込む。

「…そう気軽に言われたくないものですね。」

何も知らない貴方に。余計な言葉を出さないように口を真一文字にすると、柳生は仁王を残して部室を出た。



初めて出会ってから柳生は真田に親近感を覚えていた。
隣に並べば心が落ち着く。話をすれば見えている視界や使う言葉に共感が持て、それでいていつも新鮮な感情に満ち溢れている。
大した会話を交わさずとも分かり合える感覚。それは柔らかく優しく、しかし甘い訳ではない明瞭な陽光に似た心地良さとなって真田の周囲に漂っているように柳生は感じていた。
気が付けば柳生は常に真田の近くに居るようになっていた。部活中、合同授業中、行事中。立海に入ってからテニスを始めた上、3年になるまで同じクラスになったことがなかった為、隣に並ぶのには中々骨が折れたが、それでも柳生は真田に近付く努力を惜しまなかった。
真田が強さを求めるのであれば血を吐くような練習にも耐えてレギュラーになった。あまりにも理想を真田に置いていたせいで得意技が似てしまったことを仁王に見抜かれ、関東大会で変装してダブルスを組む羽目になったのは今となっては懐かしい。
何故そうしてまで真田の傍に居ようとしたのかは常識的な一言で言い表すことが出来た。だがしかし柳生はその一言を決して口に出すことはなかった。
もし口に出してしまったら今までの努力が無駄になる。柳より分かりやすい解説、幸村より柔和で物腰の良い態度、仁王より底の知れない洞察。真田の為に他の誰よりも魅力的であろうとする努力を、自分自身がたったその一言だけで崩してはならない。

それはきっと彼も望んでいないこと。柳生は堤の下に下るコンクリートの階段の上で、テニスコートを見下ろす。
中央コートジャッジ席近く。同じジャージ、同じユニフォームが雑然と配置されている中でも、その姿は先程見つめていたシャクナゲのように白く煌めき、泰然と存在している。柳生は目を細め、恍惚とした気持ちの中に漂う。
彼の隣に居たい。彼の意識と感覚に共鳴したい。彼とあの柔らかな陽射しを分け合いたい。その為には、と柳生は無意識の内にラケットを握る手に力を込める。
―――彼に相応しい人間にならなくてはならない。そして、この感情を決して伝えてはならない。
『好き』だなんて一言で片付く単純な感情なら、とっくの昔に告白してますよ。自分のこと以外にはほとほと勘の鈍い悪友に溜息を一つ贈り、柳生は普段通りの表情を整える。
それから目の前の階段をリズミカルに下っていき、声を出す。その通る声の先に居るのは勿論、真田弦一郎その人だった。



[Fin.]


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