30万打リクエスト | ナノ

▼怪物は緑の目をしている

北斗くんが好き。

夢ノ咲を卒業して、『Trickstar』は芸能界で屈指のアイドルグループとして名を馳せていた。北斗くんはそれでも決して驕ることなく、持ち前の真面目さとひたむきさで努力を積み重ね、キラキラと輝いていた。

だから、彼に告白されたとき、私はホントに嬉しかった。私が彼に大好きって言ったとき、彼はふにゃりと微笑んだのだ。それがまた可愛くって、幸せで、北斗くんに抱き着いたのをよく覚えている。

「名前」
「なーに、北斗」

今ではお互い呼び捨てにしているほど、大分馴染んできたのだ。今度彼の持っている大きなドラマが終了したら、一緒に同棲も始める。何もかも順調で、着実に進んでいく。

「今度、昼間にデートしたい」
「えっ。いいの……? でも、週刊誌とかに抜かれたら……」

学生の時ならいざ知らず、今は彼らはスーパーアイドルだ。昼間に女と出かけたら、格好の餌になると思う。

「大丈夫だ。……と誇って言えることでもないんだが、実は仕事でテーマパークを貸し切りにするんだ。そこの撮影自体は昼に終わるから、その後は自由に回っていいらしくてな。ほかの女性アイドルグループも混ざっているし、知り合いを呼んでSNSで宣伝してもらえというお達しも事務所から出ている。だから……」
「初の遊園地デートしようってこと!?」
「うむ。もちろん、カモフラージュで他の人間も呼ぶが、明星たちが俺と名前を二人きりで回れるように融通すると……」
「やったー! 北斗だいすきっ!」
「うおっ!? いきなり抱き着くな。まったく、はしゃぎすぎだ……」

そこまで言って、けれど北斗くんは首を振った。

「いや、俺も実際嬉しい。本当に嬉しい。ずっと、名前先輩と恋人らしいデートがしたいと思っていた」
「北斗、先輩って言っちゃってる」
「あっ」
「ふふふ。気が抜けるくらい浮かれてる?」
「かもしれないな」
「私も……嬉しいよ、『北斗くん』?」

こつんと額同士が触れ合う。そのまま軽くキスを落とすと、北斗くんが嬉しそうにはにかんだ。もう一度というように、少し冷たい手が私の頬を撫でた。

その時だった。
けたたましい呼び出し音が、私のスマホから飛び出てきた。バイブレーションは激しく、がたがたと机の上でうるさい音を立てている。

「……北斗……」
「……出たほうがいい」
「うん……」

スマホを覗き込む。表示されているのは、『月永ルカ』の文字だった。その時点で『良くないことがあった』と理解するのは容易い。通話開始ボタンを押すと、いきなり不協和音が聞こえて耳を塞いだ。

『お姉ちゃんっ、はやく戻ってきてぇっ!』
「ど、どうしたのルカ?」
『お、お兄ちゃんがっ……お兄ちゃんがまた、おかしくなっちゃってるの! さっきからずっとずっと、おかしな不協和音ばっかり弾いて! ずっと名前ちゃんの名前呼んでるっ! こわい、怖いよぉ……』

年下の幼馴染からの、しかも泣きながらの電話は、珍しいことではなかった。

『もうやだよぉっ! お兄ちゃんどうしちゃったの!? 名前ちゃんっ、お願い帰ってきてっ! こんなのルカのお兄ちゃんじゃない!』
「ルカ、お願い落ち着いて。大丈夫よ、今帰るから……レオの部屋には行っちゃだめ。ずっと部屋で籠ってて」
『お姉ちゃんっ……』
「良い子、良い子。大丈夫だからね、あとでルカの部屋にも行くからね……」
『うん、うんっ……待ってる』

電話を切る。
重い空気が、部屋を満たしてしまった。

「北斗、ごめん……帰るね」
「そうだな。……女の子がケガでもしたら大変だ」
「うん……」

この聞き分けの良い恋人を、困らせてしまっている。
そんな自分は嫌だった。申し訳なさで死にそうになりながらも、大好きな恋人の部屋を後にした。

――そして向かうのは、幼馴染の部屋だ。



不快な音が、月永家の中を駆け巡っている。
二階に上ると、更にそれは顕著になる。すすり泣くような女の子の声と、時折聞こえる叫び声。私の名前を、呪いの言葉のように口にする男の声だった。

私は、呪いの言葉の部屋を選んだ。

「レオ」

躊躇なく扉を開く。
部屋の中は暗く、ぐしゃぐしゃになった楽譜がそこかしこに転がり、凹んだ壁が直されもせずに放置されている。その部屋の奥、重苦しく鎮座するピアノの前に――場違いな明るいオレンジ色がぽつりと見える。

「ねぇ、レオってば」

ぴたりと音は止んだ。
人形のように美しい顔が、こちらを振り返った。

「名前――」

呪いの言葉は、一瞬にして睦言に様変わりする。緑色の瞳が、爛々と輝いてこちらを見つめてくるのに、心苦しさを感じながら近寄っていく。

「どうして邪魔するの」
「なにがだ?」
「北斗くんとデートしてたのに」
「ほくと? 誰だそれ、ああ待って答えは言わないで! 妄想するから」
「私の恋人」

可哀そうだけれど、妄想なんて必要がないのだ。ただ、彼には酷い現実を突きつける。そうしなければ、可哀そうな目に遭うのは私と知っている。

「恋人……あぁ、あああああもう! なんで言うんだ! 思い出さなかったほうがマシだった!」
「思い出してよ、レオ。私はね、北斗くんが好きなの」
「いやだ……聞かせないで、おれに……」
「……私が好きなのは、北斗くんだって、忘れないで」
「っ、うう……」

ボロボロと涙を零すレオ。あんまりにも可哀そうな顔。うつくしいものをいたぶるのは、誰だって良心が痛むものだ。可哀そうなレオ、私の幼馴染。

……してはいけないとしっているのに、私は彼を抱きしめてしまう。しょうがない、これは私の性分だった。幼いころからずっと、彼を守ろうとしていた。その癖は、一生直らないだろう。――たとえ私が、一番彼を傷つけているとしても。

「レオ、諦めて……」
「いやだっ……絶対いやだ、だっておれは」

抱きしめていた彼が、がっと私の頬を両手でつかんだ。無理やり向き合う形になる。
――私を見つめる緑の目は、深淵のようだ。

「今のおれは、おまえの理想の『月永レオ』だろ?」
「……理想の、レオ?」

何を言っているのだろう。
こんな姿、理想なんかには程遠いだろうに。おかしなレオ。

「おれがおまえを思って、苦しんでいるのが好きだろ? ろくに名前しか見れもしない、可哀そうなおれが好きなんだろう? だったら、おれ、一生このままで居続けるよ」

にっこりと微笑むレオは、まるで壊れた人形のよう。恋人をいとおしむ青年のようだ。

おかしなことに、彼は――満たされている?

「な――なにを」
「だっておまえは、こういうおれを見捨てない。絶対離れない。おれは知ってるよ、名前……」
「っ、きゃあ!?」

ドン、と思いっきり突き飛ばされる。あえなく床に背を打ち付け、こほっと噎せた。立ち上がろうとすると、レオが私の上に馬乗りになって動けない。もがく足が、床に散らばる楽譜をぐしゃりと踏みつけてしまった。

「おまえは、おれが好きだよな。ううん、おまえに焦がれて苦しむ、惨めな王様が好きだよな。いや、違うか。弱ったおれを最後まで見捨てない自分が、縋りついてくるおれが、大好きだよな?」
「ち、ちがう……」
「違わないよ。心配しないで、おれはそういう傲慢なおまえが大好きだ。愛してるぞ、名前。惨めなおれを愛して? ううん、そうじゃないな」

額にキスが落とされる。北斗くんと違って、燃えるように熱い。

「愛し合おう。汚らしい自分たちを」

私の服の中に滑り込んでくる、熱い掌。
違う。そんなはずない。愛せるはずもない。
言葉は、――出なかった。

だって今のレオは、最高に――美しいと思ってしまったから。

- 32 / 52 -
▼back | novel top | bkm | ▲next