波、打つ



踏み出すたびに足の裏に纏わり付く小さな砂の粒を気にせずに、一歩また一歩と足を踏み出す。

「……」

寄せては返す波に爪先が触れた。けれど、冷たさなんて感じられなかった。暫く波打ち際に立ち、波の音を聞いていた。

「早く、こちらへ」
「……!?」
「さぁ」

大好きだった低く落ち着いた声が聞こえた。私を呼んでいる。その声に導かれ、歩き出す。少しずつ深くなっていく底に濡れたスカートの裾が重く纏わり付く。けれど、そんなことは気にしていられなかった。彼が呼んでいる。早く、行かなければ。

「ちょっ!何してんすか!?」
「やっ、離してっ!!」

腰まで水に浸かったあたりで、ぐいと後ろから抱きかかえられた。

「離しません!」
「や、行かせてっ。建人が呼んでる」
「っ、七海サンがそんなことする訳ないでしょう!」
「……行かせて」
「行かせません。そんなことしても七海サンは喜ばない」
「もう私には生きてる意味がわからないの!!」

言葉にすると段々と指先から力が抜けていくようだった。あの日、彼を失って私は呪術師を辞めた。逃げた。もう自分の心を削ってまで人を助けることは出来ないと思ったし、削れる程の心は残っていなかった。

どこか遠くへ行こうと飛び乗った電車。何でか、猪野くんも一緒についてきてしまった。名前も知らない海の見える小さな街に二人で降り立ち、もう数日になる。猪野くんはこうやって私が死なないようについてきたのだろう。余計なお世話だ。放っといて。建人の元へ行かせてよ。

「……生きる事に意味が必要だって言うなら
────俺が名字サンの生きる意味になります」

猪野くんに抱きかかえられ、砂浜にあった大きな岩に腰をおろす。猪野くんは自分の膝が汚れるのも気にせずに膝をつき、私の足の裏についた砂をパラパラとほろいながら、そう言った。視線を落とすと、こちらを見上げる猪野くんと目が合う。真剣で真っ直ぐな瞳だった。

「七海サンを失って辛いのは俺も一緒です。だから俺の大事な人を二人も失いたくない。────俺の生きる意味にもなってください。今すぐじゃなくていい、ゆっくりでいいから」

跪いての言葉は、まるでプロポーズのようだなとぼんやりと思った。

「さ、戻りましょ。風邪ひいちゃったら嫌っしょ」

差し出された手を取ると、ぎゅっと握られた。猪野くんの手に残っていた砂が二人の間で小さく音を鳴らす。
大きくてゴツゴツとしていたあの手とは違う感覚に泣きそうになったけれど、多分私は生涯この手を握って生きていくんだと思った。




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