夜にまぎれて
何だか酷く疲れて、意味もなく無性に泣きたくなる時がある。祓っても祓っても湧いてくる呪霊に対して、一人また一人と減っていく仲間たち。終わる事のないエンドレスな命のやりとりに心がすり減っていく。そんなどうしようもない気分に襲われる時は大抵、布団に入って中々寝付けない時でぐちゃぐちゃになる思考にカチカチカチと妙に大きく響く時計の針の音が追い打ちをかけていく。
「……」
携帯を見ると、午前1時を少し過ぎた頃。こんな時間に、起きているはずないだろうなと思いながら「七海」とそれだけメッセージを送った。送ってからすぐに後悔して送信取り消しをしようとしている間に既読の文字が浮かび「どうしました」と返事が返ってきてしまった。なんて返事をすれば迷っているうちにまた「自宅ですか?」と送られてきて「うん」と返すと「分かりました」と返事が来た。
何が分かりましたなんだろうと悩みながら画面を見つめること数分「鍵を開けてください」と浮かび上がった文字に慌てベッドから飛び起きた。
「きちんと確認してから開けましたか不用心ですよ」
「……七海」
ガチャガチャと鍵を外しドアを開けると黒いTシャツにグレーのスウェット、セットされていない髪はぺたんとしていて、いつもより随分とラフな姿の七海がそこにはいた。
「上がっても?」
「……うん」
駄目と言ったら帰るんだろうか。草臥れた私のスニーカーの隣にきちんと揃えられたスニーカーは一回り以上大きく、少し草臥れていた。
「……何で来てくれたの」
こんな夜中にコーヒーを出すのはどうかと思ったけれど、どうせ眠れないのだから関係ないと淹れたコーヒーを2つローテーブルに置き、素直に疑問だった事を口にした。
「名字さんは」
「……うん」
「理由もなく連絡を寄越すような人じゃないので」
「……どうしようもない理由かもよ」
「他人にとって、どうしようもない物がアナタにとってもそうとは限らない」
床にちんまりと体育座りで座り、淀み無くすらすらと口にする七海を見ていたら、ぎゅっと素手で心臓を掴まれたみたいな痛みに襲われてどこからか溢れてきた涙が下瞼に溜まっていく。流れ落ちていかないように、きゅっと下唇を軽く噛み締め上を向くと不意にトン……と肩に大きな手が触れ、ぎこちなく抱き寄せられた。
「っ、……服、汚れちゃう」
「……そこですか。別に、構いませんよ」
「……疲れて、なんか無性に泣きたくなったの。でも、上手く泣けなくて苦しくて……そしたら、七海の顔が浮かんできて……連絡してた……」
一度、涙が流れ落ちるとこれ以上恥ずかしい事は何もないと思え言葉もぽろぽろと落ちてくる。普段言えないような心の内も曝け出してしまいそうだ。
「……だから、七海が来てくれて……七海の顔を見たときに、安心した。……嬉しかった」
肩に触れていた手が躊躇いがちに髪を撫でるように触れた。何でも卒なくこなしてしまいそうな癖に、指先から少しずつ、どのぐらいの力で触れればいいのか探るような不器用な触れ方だった。
「頼ってください。……いつでも。私を」
「……ありがとう」
どれぐらいの間、そうしていたのだろう。探るような触れ方が丁度いい、心地良い加減になって安心しきった所にゆっくりと眠気がやって来た。瞼が重い。あんなに、眠れないと思っていたのに。
「良いですよ、このまま寝ても。責任を持ってベッドまで運びますので」
「ん……ななみは……?」
「鍵を貸してもらえるなら帰りますが、合鍵はありますか?」
「……ない……」
「では、アナタが目覚めるまできちんと傍にいます」
「ん……」
そこで記憶が途切れ、目が覚めた時にはきちんとベッドの上で寝ていた。一体、どういうやり取りがあったのか、ベッドに寄りかかって眠る七海の右手と私の左手はぎゅっとかたく繋がれていた。差し込んだ朝日に照る金色の髪に触れ、目に掛かる前髪を少しよける。皺の寄らない眉間に残る学生時代の面影に長い事、燻り続けていた淡い想いに明確な名前がついてしまうのを抑えることが出来なかった。