ピンセット



いつか、この想いを無事に成仏させてあげられる日が来るのだろうか?

知人の紹介でエンデヴァーさんの秘書を務めるようになってから早三年、怒濤の日々だった。最初の頃を思い出そうとすると苦い思い出ばかりで、きりりと胃が痛む。それでもなんとかここまでやってこれたのは、彼だったからだろう。一見、無口で怖そうに見えるエンデヴァーさん。実際、最初の頃は沈黙が重すぎて同じ空間にいるだけで呼吸の仕方を忘れたみたいに、息苦しくなっていた。それでも少しずつ、日々を重ねるうちに彼の人となりが見えてきて、ああ、この人はとても不器用な人なんだなと思ったら沈黙の中でも上手に呼吸ができるようになっていた。それと同時に私の失敗をさりげなくカバーしてくれる大きな背中を見つめる度にじんわりと胸の中に広がっていく痛みに名前がつかないように必死で知らないふりをしていた。

「おう! 名前!! もう風邪は治ったのか!?」
「うん。ご迷惑をお掛けしました」
「名前がいないと大変だったんだからな!」
「ちょっ、いててっ」

風邪を引いて休んだ次の日、まだ少し関節が痛む身体で出勤するとバーニンに活を入れるように背を叩かれ病み上がりの身体は微かに悲鳴を上げた。

「おい、もう体調は大丈夫なのか」

痛みに身体を折る私に、降ってきた太く通る声。もうそれが誰のものかなんて確認するまでもなく馴染んだその声に身体を起こす。細められたターコイズブルーと目が合う。

「はい! ご迷惑をお掛けしましたっ」
「そうか。……お前の入れる濃くて熱いお茶がないと、どうも調子が狂う」

ぐしゃり。その言葉だけでも私の中の何かを壊すのには充分だったのに、すれ違いざまに軽く肩に大きな掌が触れた。その瞬間にもう無理だと思った。その炎で心臓を焼かれてしまったのかと思うほどの胸の痛み。この痛みの正体をもう無視することなんて、もう無理だ。

「おい! 名前大丈夫か!? やっぱ、まだ治ってないんじゃないの!?」

胸を抑えて、しゃがみこんだ私を心配するバーニンの声は酷く、遠くの方で聞こえた気がした。





進むことなんて到底できないけれど戻ることもできない。深い深い泥沼に腰まで浸かり藻掻けば藻掻くほど足を取られて動けなくなる感覚。仕事で常にそばにいられるのは嬉しい反面、とても苦しかった。嫌いになろうと嫌なところを探したけれどその度に増えていく、好きなところに反吐が出た。

「すまない、これを飾っておいてくれ」

両手いっぱいの真っ赤な薔薇の花束を抱えて部屋に入ってきたエンデヴァーさんにそんなはずはないとわかりつつ、どきりとしてしまう。

「エンデヴァーさん。花、似合いませんね」
「……自分でもわかってる。言うな」


気持ちを誤魔化すように冗談を吐いてから支援者から贈られたというそれを花瓶に挿していく。むせ返るような匂いに不意に、チクりと人差し指が痛んだ。痛んだ指先を見ると薔薇の棘がほんの少しだけ刺さっていた。 丁寧に処理されていたはずの棘が、残っていたらしい。

「どうした」
「なんでもありません」

血が滲んだ人差し指をとっさに隠したけれど、エンデヴァーさんには見えていたようでぐいっと掴まれてしまう。

「棘が刺さっているな、処置を」
「自分でやりますんで、ご心配なく」
「しかし、」

触れられた箇所が熱い。

「本当に大丈夫ですっ」

その手を振りほどいて逃げるように部屋を後にした。自室に戻りぴしゃと閉めた扉に背を預け、ずるずるとその場にへたりこむ。未だに痛いくらいに熱を持った指先を見つめると、棘の周りの皮膚は赤く少し腫れていた。このまま取らずに残しておいたら、ここから腐っていくのだろか。指先を覗き込んだ時の距離の近さ、掴まれた皮膚の感覚、心配そうに揺れた瞳────全てをかき消すように立ち上がり、戸棚から支給されている救急箱を取り出す。その中からピンセットを取り出し、刺さった棘を引き抜いた。いとも簡単に抜けたそれを見て私の心の奥底に深く突き刺さった棘もこんな風に簡単に抜けてくれないだろうかと不毛なことを考えて、泣きたくなった。




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