タクシーで綾乃の家へと向かう。住所は心理学部の教授がすぐに教えてくれた。大学からは少し離れた場所にあるようだった。
 途中、車内からケーキ屋を見かけたので手土産に三つ程購入した。何が好きかなんて知らなかったが、昼間の食事を見てあまり食べないタイプだと想定して、少しでもカロリーの高いものが良いと思ったからだった。

「ここで結構です」

 運転手に料金を払うとパソコンで印刷した付近の地図を頼りに歩き出す。
 高級住宅街といったところか。立ち並ぶ家々は、平凡な一般人が一生かかってでも払い終えないローンがかかっていそうな建物ばかりだった。
 そういえば、身なりはしっかりしていたなと湯川は思い出していた。口は絶望的に悪いが、それも自分の前だけで、他の先生方からはかなり評判が良かった。
 きっと家庭がこういった階級で、しっかり教育されているんだなと湯川は感心しながら地図通りに道を曲がると、そこには築何十年立っているかわからない古いアパートがあった。
 高級住宅街の一角に突然ぼろぼろのアパートが出てきたので湯川は拍子抜けしてしまった。しかし地図では間違いなくこのアパートが綾乃の家。不思議に思いながら屋号を確認して二階の一番奥の部屋に向かった。中の電気はついていて、何やら人影のようなものも見えた。
 湯川が一息ついてブザーを押すと、慌てた声で家主がドアを開けた。

「は、はいー」

 扉が開くと、ジャージ、ポニーテール、メガネが目に飛び込んできた。いつも大学で見る大人びた格好とは対照的な姿で出てきた綾乃は、なぜかうっすら涙ぐんでいた。

「な、んでお前がここに……」
「なぜ泣いている」
「め、飯作ってたんだよ!玉ねぎ、切ってた、から……」

 内心、自分が泣かしたのではないかと冷や冷やしていた湯川だったが、それを聞いてホッとする。これだから嫌だ。人の感情を考察するのは。

「何しに来たんだよ」
「これを渡しに来た」
「ロケット!どこで!?」
「綾乃君が食堂から飛び出した時に」

 手渡されると、「良かった」と綾乃は心底嬉しそうに笑って携帯を握りしめた。
 湯川はドキリとした。こんな顔で笑うなんて卑怯だと思った。いつも怒っているか機嫌が悪いかしか見たことがなかったからだ。

「あ、ありがと……結構コレ、大事でさ」

 そう言って見せるのは携帯ではなくアンティーク調のロケットの方だった。
 綾乃の顔を見つめていた湯川だったが、我に返ると目をそらした。

「あ、ああ、それは良かった……それと、その、すまなかった」
「へ?」

「昼間の事だ。頭ごなしに否定したのは僕が悪いと思っている。それに、君といる事が時間の無駄だなんて微塵も思っていない。それだけは忘れないでくれ。これは、お詫びだ」

 そう言って湯川は買っておいたケーキを差し出した。驚いた顔をしてそれを受け取る綾乃を尻目に、気恥ずかしさに負けた湯川は通路を歩き出した。

「それじゃあ、また後日」
「ま、待てよ!」

 湯川の足が止まり、振り返る。綾乃は恥ずかしそうに下を向きながら言った。

「あれだ、その、飯……食べていけよ。ロケットのお詫びに。どうせ一人で食べるなら誰かいた方がいいし、さ」

 そういえば、とコートをめくって腕時計を見ると、既に七時を回っていた。昼食からほとんど動きっぱなしだったせいもあるか空腹だったのだが、綾乃にどう謝ろうか悩んでいてすっかり忘れていたのだった。

「――味にはかなりうるさいぞ」
「食べれるだけありがたいと思えよ……」
「それもそうだな。ではご馳走になるとしよう」

 湯川はそういって優しく笑った。
 綾乃はお世辞にも広くない部屋の中へと案内する。古めかしい家具や地方の土産物が多かったが、掃除はしっかりされていた。湯川を古いちゃぶ台の前に座らせると、綾乃は台所からお盆を持って反対側に座った。

「――ほう。これはなかなか」

 湯川の前に並べられたのは和食という言葉がピッタリ当てはまる料理だった。ブリ大根、ほうれん草のゴマ和え、きんぴらごぼう、それに玉ねぎと豆腐の味噌汁と数種類の漬け物。一汁三菜をしっかり守った食事に、思わず湯川は驚いて机に並べられた料理を眺めながら言った。

「すごいな。毎日こんなにしっかりと栄養を考えて作っているのか?」
「考えてはないけどな。でも、野菜を多めにとろうとは思ってるぜ」

 できたてのご飯を茶碗によそって湯川に手渡した。大きめの茶碗は、綾乃が使っているとは思えないサイズの茶碗だった。

「この茶碗は、君の物か?」
「いや?私のはこっち」

 明らかに子供用に作られている、桜の模様が入った可愛らしい茶碗だった。その茶碗にも暖かいご飯がよそわれる。向かい合って両手を合わせた。
「いただきます」綾乃がそう言って食べ始めるのを見てから、湯川も近くにあったきんぴらに手をつけた。

「――旨い」
「あ、あったり前だろ!まずかったら食べてけなんて言わねーよ」

 素直に美味しいと言われて綾乃は嬉しかったが、悟られるのが嫌だったのでつっけんどんな言い方で返した。チラリと湯川を見ると、黙々とおかずとご飯を口に運んでいた。

「……昼間の、さ。感情は論理的じゃないから興味ないってのは本心だろ」
「あぁ、君には申し訳ないが。しかし、さっきも言ったが君といる時間は無駄ではないというのも本心だ。それに、考える事が無駄だと言っただけで感情事態が必要ないとは少しも思っていない。現に今、僕は君の生活を見て驚いているし、この食事が旨い事に感動している」
「普通の人だったらもっともっと感情が表に現れるけど」
「――表に出すのが苦手なだけだ」
「相手が何考えてるか考えるのも苦手なんだろ」

 そう言って綾乃は味噌汁を音をたてずにすすった。
 図星をズバリつつかれたせいで、喉を通りかけていたご飯がつまりそうになった。湯川は咳き込んで一度深呼吸すると、箸を置いた。

「苦手なのを、興味ないって言って隠してんだろ?」
「――……認めよう」
「素直でよろしい」
「興味がないから考えないだけであって、苦手だからという理由で考えないわけではない。それに、終わりのない解答を出す時間があったら聞いた方が早い」
「聞いて答えてくれれば簡単だけど。ま、大先生の弱みが見れたし、今日の所は良しとするかな」
「前も言っていたが、その大先生というのはは止してくれ」

 ため息をつきながら箸を再び持つ湯川を見て綾乃は笑う。この人なりに、かける言葉を選んでくれていたのがなんとなくわかり、それがとても嬉しかった。



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