延朱が次に目を覚ました場所は、砂の上でも、嫌になる程晴れ渡った空の下でもなかった。綺麗にされたベッドから身体を起こそうとすると、額の上に冷たいタオルが置いてある事に気付いた。それが落ちないように手で押さえながら、ゆっくりと身体を起こす。

「おはようございます」
「あ、お、おはよう……ございます」

 扉を開けて入ってきた八戒に挨拶され、延朱もつられて挨拶を返す。八戒の顔に笑顔はない。延朱の前に来ると、八戒は深く息を吸ってこれでもかというほど盛大に溜め息を吐いた。

「馬鹿でしょう、貴女」
「へ?」
「あれだけの熱出してるのに、あれだけ無茶して、身体動かして。挙げ句人の猛毒吸い出してそれでやられかけるなんて、馬鹿以外の何者でもありませんよ」

 まくしたてる八戒に、延朱は返す言葉が出なかった。唖然としている延朱をよそに、八戒はさらに続けた。

「あの時三蔵が悟空を止めていなかったら、貴女本当に死んでいたかもしれないんですよ?」
「三蔵、大丈夫だったのね……良かった。悟空と悟浄は?」

 自分の身体をよそに、三蔵の心配をしている延朱に向かって、再び深い溜め息を吐いた。

「二人も無事ですよ。人の心配も良いですが、まず自分の心配をしてください」
「ご、ごめんなさい……あの、八戒怒ってる?」
「当たり前じゃないですか」

 ぴしゃりと言い放つ八戒からは怒りのオーラがありありと見てとれる程だった。延朱はあまりの剣幕に少しだけ肩をすくめた。

「――貴女言いましたよね、ずっとそばにいるって。僕の過去を聞いた後に。あれは嘘だったんですか?その場しのぎのでまかせだったんですか?」
「そ、そんなわけないわよ!今も、これからも、それは変わる事はない!」
「でしたら、もうあんな無茶はよしてください。死んでしまったら、その約束だって守れないじゃないですか」

 八戒の言葉で、自分がどれだけ周りに心配させたのか、延朱はようやく気付く。

「――心配させて、ごめんなさい……」
「わかって頂けたなら良いですよ」

 延朱が申し訳なさそうにしゅんとしてしまったので、八戒は先程とは違い、安堵するような短い溜め息を吐いた。ベッドに腰掛けて、俯く延朱の頬にそっと触れた。

「痛む所はありますか?」
「……平気よ」
「――――無事で、良かった」

 心底安心したという顔で八戒はようやく笑って見せた。怒りのオーラが消えた事に気付き、延朱は少しだけ顔をあげた。

「――まだ怒ってる?」
「もう怒ってませんよ。キツい言い方をしてすみませんでした。でも、それだけ延朱が心配させたのが悪いんですからね」
「わかっているわ」

 延朱は八戒の手のひらに自分の手を添えた。片手には収まりきらない八戒の手は、少し骨張っていて、暖かくて、愛おしく感じた。

「八戒、ごめんなさい」
「もうあんな無茶しないでくださいね。貴女だけじゃなくて銀朱もですからね」
「銀朱……八戒、銀朱はちゃんと悟空を止められたのよね?だから皆無事だったのよね?」

 悟空を止めて欲しいと言ってから、銀朱に身体を預けて気を失ってしまったので延朱はその後起こった事を知らなかったのだ。

「私、銀朱に変わってから気を失って……」
「大丈夫ですよ。銀朱の働きもあって悟空は止められました。まあ、最後は良いとこを三蔵に持っていかれましたけどね」

 八戒の言葉に、延朱はホッと溜め息をついた。
 八戒は心配をさせまいと、少しだけ嘘をついてごまかした。銀朱が妖狐だという事だ。変身する直前に銀朱の言葉は、延朱がその事を知らないように聞こえたのだ。もし知っていたとしても、悟空に殺されかけただなんて口には出来なかった。

「銀朱、疲れてまだ寝てるみたい。起きたらお礼を言わなくちゃ」
「――そうですね」

 訊きたい事は山ほどあったが、八戒はそれを飲み込んで延朱に微笑んだ。延朱もそれに答えるようにして八戒の手をキュッと握りしめた。

「八戒?」

 この小さな身体に、一体何を背負わされているのだろうか。八戒は延朱をじっと見つめていた。それを不思議に思った延朱は、無自覚でやっているのだろうが、上目遣いで見つめる。八戒は思わず動けなくなった。
 隣の部屋からドタンバタンという音が聞こえだし、八戒は我に返る。

「……またあの二人みたいですね。ちょっと見てきますよ」

 八戒は延朱に触れていた手をスルリと離してベッドから立ち上がった。勿論離したくなかったのだが、これ以上触れていれば何をするか自分でもわからなかった。今だけは二人に感謝しつつ、部屋を出ようとした。

「ま……待って」

 止める声がして後ろを振り返った。延朱もベッドから降りようとしているのだが、足がおぼつかず、ベッドから落ちた。だが、八戒がギリギリのところで抱き止めたので床に落ちる事はなかった。

「あ、ありがと八戒」
「三日間熱で動けなかったんですよ?すぐに動くのなんて無理ですよ」
「みんなの顔、見たくって」

 えへへと笑う延朱に、八戒は少しだけムッとしてしまった。

「……全く、さっき無茶しないでと言ったばかりなんですけどね」
「すみま、せん」
「……全くもう」

 八戒は延朱の身体を軽々と持ち上げる。俗にいうお姫様だっこというやつだ。

「こ、これはちょっと、」
「別に僕は構いませんけど?ベッドに戻して元気になるまで縛り上げておいても」
「……八戒まだ怖い」
「黙らないとその口塞ぎますよ」

 何で、とは言わなかった。それのお陰か延朱はそれ以上何も言うことができず、八戒に抱かれたまま部屋を出ることができたのだった。




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