第八幕
具眼‐discerning



「延朱!どうして町に戻らなかったんですか!?」

 延朱の顔を見るや否や、怒り心頭に八戒は言った。勿論、延朱が心配ゆえの事だった。

「貴方たちを置いて一人で行くとでも思ったの?」
「でも今の貴女の身体でこんなところにいたって、」
「八戒なら、どうしてた?」

 黙り込む八戒。もしも延朱の立場だったら必ず残るだろう。この人達を置いていけるわけがない。
 しゅんとしてしまった八戒に、延朱は微笑む。

「でも、心配してくれてありがとね……悟浄降ろして、三蔵横にして」
「お、おう」

 言う通りに、悟浄は延朱を降ろすと三蔵を砂の上に寝かせた。
 延朱は三蔵の僧衣の下に着ていたタートルネックの刺された傷口をを見えるように引き裂いた。
 間髪入れずに、その傷に口をつけると血を吸い出す。みるみるうちに三蔵の血の気が引いていった。

「延朱何してんだよ!?」

 悟浄の声に応える事なく、ピアスを外して自分の親指の腹に刺す。親指を傷口に押し付けた。今度は三蔵の血色が良くなっていく。変わりに延朱の額からは粒のような汗が吹き出ていた。

「――これで、少しだけ、大丈夫」
「貴女、もしかして三蔵の毒の混じった血を、自分に移したんですか!?」
「はぁッ!?何馬鹿な事してんだよっ!!」
「……サソリの毒は、神経毒なの。致死量だったら、呼吸が出来なくなって死ぬけど、これくらいだったら少しの筋肉の収縮程度で、収まるわ」
「でも、貴女だって毒を抜かないと意味がないじゃないですか!!」
「私は平気、ほら」

 延朱は片方の手首を強く握る。ピアスを刺した方の親指から、血ではなく透明な液体が数滴噴き出して砂の上に落ちた。

「もしかして……」
「血の中にある不純物だったら、なんでも取り除けるみたい」

 もはや人間ではないとすら思える自分の力を見て、なぜか笑いがこみ上げる。
 この世界では、化け物じみた能力は役立ってはいるが、前の世界では完全に必要のないものばかりだった。それは自分自身が必要ではなかったのだと観世音菩薩に言われた意味を、いまさらながら思い知らされた。
 小さく鼻で笑った延朱に、八戒は気付いて怪訝な顔をした。

「延朱……?」 
「――もう一度やらなきゃ。三蔵はまだ危ないから、」

 八戒の声が聞こえなかったのか、延朱はまた三蔵の傷口に唇を当てたその時だった。

「危ねェッ!!」

 悟浄の言葉に顔をあげると、独角兒の巨体が悟空によってこちらに向かって投げ飛ばされた。
 二人の前で受け止めようとした悟浄だったが、衝撃の強さに独角兒もろとも後ろに砂に叩きつけられた。

「ごじょ、」
「延朱後ろッ!!」

 吹き飛ばされた悟浄に視線を移した延朱だっが、八戒に言われて後ろに振り向いた。そこには血まみれになりながら、幼い笑顔をこちらに向ける悟空が立っていた。
 咄嗟に動こうとした延朱だったが、手足が痺れ、身体の言うことが聞かない。三蔵の体内から吸い出した毒を、外に出していないからだった。悟空の長く鋭い爪が振り下ろされる瞬間、延朱は次に来るだろう痛みの為に固く目を閉じた。
 しかし待てども痛みはやってこない。変わりに身体をふわりと暖かさが包んだ。
 延朱は目を開けると、八戒が防御壁を作って悟空の攻撃を防いでいた。

 


「は……、かい」
「そんな身体で無茶しすぎなんですよ!」

 八戒は延朱の肩を抱いて引き寄せる。
 防御壁に一度は驚いた悟空だったが、ニヤリと笑って再び攻撃を始めた。
 繰り出される、俊敏で重い攻撃。これだったらまだ砂の方が良かった。八戒の腕は限界に近付いていた。
 攻撃し続ける悟空の腕に、銀色の鎖が巻きついた。その鎖に引っ張られ、悟空の身体は宙を舞うと、砂埃を立てて砂丘へと叩きつけられる。
 自分の足をかばいながら、独角兒に肩を貸す悟浄の攻撃だった。

「調子乗ってんじゃねェよ猿!!」

 舞い上がっていた砂が風によって吹かれて消えた。
 悟空は鬱陶しそうに身体についた砂を叩いて、立ち上がる。
 本気で叩きつけたというのに全く無傷の悟空を見て悟浄は乾いた笑みこぼすしかなかった。

「――もう充分でしょう、悟空!三蔵が刺されてから時間が経ってます。それ以上暴れ続けたら、傷つくのは貴方なんです……!!」

 八戒の言葉にキョトンとしていた悟空だったが、すぐに楽しそうな笑みを浮かべた。その顔は、まるで新しい玩具を見つけた子供のような表情だった。
 声すらも届かない程自我をなくした悟空に、八戒は恐怖を覚えた。それと同時に使命感も沸く。
 ――止めてくれる?

 悟空に言われたその言葉を、守らなければならない。悟空の為にも、自分の為にも。
 八戒は立ち上がって延朱を庇うようにして立った。

「貴女は早く毒を取り出しなさい」
「わ、かった――」

 八戒はそう言うと三蔵と延朱から遠ざかる為に離れた場所に走り出す。悟空は嬉しそうにそれを追う。

『延朱、今のうちに早く毒を抜かないと!』

 銀朱が半ば叫ぶようにして言った。
 延朱は腕に力をこめるが、全く反応しない事に気付く。

『無理、みたい……』
『はぁ!?』
『持ってる時間が長すぎて、毒が廻ってきてる。自力じゃ、もう動けない』
『そんな無茶するからだよ、馬鹿延朱!』
『ごめん……』

 二人が言い争っている間も、八戒と悟浄は悟空の攻撃に悪戦苦闘していた。
 悟浄の錫杖は易々と交わされ、八戒の放つ気功は悟空の妖力によってかき消されてしまう。速すぎる攻撃を、今はただ避ける事しか出来ない。
 二人は一瞬目線を合わせる。八戒はわざと悟空に見えるように気孔を作り、攻撃した。

「悟空!!」

 八戒が名前を呼ぶ。聞こえた声を頼りにそちらに目線を動かした悟空に一瞬の隙が出来た。それを逃すことなく、悟浄の鎖鎌は悟空の腕に絡まる。
 悟浄は自分の腕に鎖を巻くと、悟空が逃げないように強く引っ張った。

「今だ、八戒……ッッ!?」
「――え?」

 悟空は八重歯を見せるようにして笑うと、力の限りに腕を振るった。鎖で繋がっていた悟浄の身体が宙に浮いた。悟浄の身体は八戒に向かって振り下ろされた。
 不意をつかれた八戒は避ける事ができず、悟浄の身体と衝突して倒れこむ。骨が軋んで折れる音が悟空の耳に届いた。

『銀朱、お願いがある、の』

 目の前が朧気になる中延朱は目を閉じると、銀朱に聞こえているかわからない程小さな声で言った。暗闇の中にぼんやりと銀朱の姿が映った。

『悟空を、止めて。このままじゃ、あの二人も殺しちゃう』

 消え入りそうな声に、銀朱は戸惑う。
 六道の時は観世音菩薩が来る事がわかっていたから、止める事ができた。しかし今回は違う。何よりも、悟空の力が以前の時と比べものにならない程強くなっている。万全の状態ならまだしも、高熱で意識が朦朧としている上に、神経毒で身体が自由に動かないのだ。一瞬でも隙を作れば確実にこちらがやられてしまうだろう。
 それでも。延朱は全てわかった上で、銀朱に頼み込んでいた。

『私じゃあ、できないから……私じゃあ、どうすることも、できないからっ……!!』

 震えた声で言う延朱。暗闇の中で銀朱は、小さくなってうずくまる延朱の姿がはっきりと見えていた。

『――今回ばかりは傷付けずに止めるのは無理に等しいだろう。殺さない事が精一杯だと思う。それでも良いのかい?』
『……これ以上、悟空が人を傷つけるのを見たくないから』
『――わかったよ』
『あり、がと』

 延朱は言い終える前に、意識を手放してしまった。暗闇から延朱の姿がすうっと消えた。逆に都合が良いと、銀朱は思った。

『今の状態じゃ、絶対に勝てるはずがないから――』

 目を開けて身体の調子を見ても、どう考えてもまともに動けるような状態ではなかった。

 ――それでも。

 銀朱は、延朱の居場所の為に、ゆっくりと立ち上がり叫んだのだった。





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