***3***


 街並みは、いつもと違って色とりどりのイルミネーションが光り、行き交う人は手に大きな荷物を抱えて家路を急いでいた。
 雪がちらつく帰り道に、父と母、二人と手をつないで幸せだった、クリスマスになる少し前の夢。
 人生で、一番幸せだった時の夢。それは一瞬にして暗闇に包まれる。
 傷ついて音が飛ぶレコードから流れる父と母が大好きだったオペラの曲。何度も聞いた美しい音色だというのに、やけに耳に障るのは不安からか、興奮からか、恐怖からか。
 バーナビーは少しだけ開いたリビングのドアの隙間から、光が漏れている事に気付く。オペラの音もその部屋から聞こえていた。
 少しづつ、少しづつ扉へと歩み寄って部屋の中を覗く。見えたのは真っ赤に燃え盛る炎と、その中で倒れている父と母。そして銃を持った見知らぬ男が一人。男の右手の甲には見たことのないマークが刻まれていた。
 その男はバーナビーの姿に気付いたようで、ゆっくりとこちらに振り向いた。顔は炎の逆光で見えない。
 男はバーナビーを見てニタリと笑った。その口から目から、炎が溢れ出す。恐怖を感じた瞬間、バーナビーの身体は炎に包まれようとしていた。

「っ!! あっ……」

 目を開くと、そこには炎も、父と母も、あの男のもいなかった。見慣れた無機質な天井が目の前に広がっていた。

「……夢――――」

 気が付くと、呼吸は早く、身体はじっとりと汗ばんでいて着ている服は気持ちが悪い程に湿っていた。バーナビーは身体を起こして頭を抱えた。
 父と母が殺されたクリスマスの日を、幾度となく夢の中で見ていたのだった。

「ウロ、ボロス……」

 男の右腕には、円を描いた蛇に剣が交わる刺青が彫られていた。それだけが、唯一あの男にたどり着く為の手がかりだった。
 振り向いた忌まわしい殺人者の顔を、あの時確かに見たはずだった。だが、思い出そうとすればするほど、男の顔を覆う影は濃くなって、周りを炎で取り囲む。
 父と母を殺した憎い男の顔を、未だに思い出せない事に苛立ちと焦りと、自分の不甲斐なさをひしひしと感じていた。
 夢の内容をかき消すかのように頭を振るとバーナビーは立ち上がる。ベッドの横のテーブルにおいてあるメガネをかけた。水でも飲んで頭を冷やそう、そう思い部屋のドアの前に立った時だった。

「バーナビー様」
「うわぁっ!?」

 開かれた自動ドアの目の前に、一人立ち尽くすメイド服姿の少女がいた。手には水差しとグラスを乗せたトレイを持っている。あまりにも突然、沸いたように出てきたので思わずバーナビーは素っ頓狂な声を上げた。

「な、なぜ貴女がここにいるんですかっ!?」

 ズレた眼鏡を直しながら訊いたバーナビーに、シシーは淡々と答えた。

「本日は少々暑い夜でございますので、お水をお持ちしようと思いまして」
「でも、部屋には入らないようにって言ってましたよね?」
「はい。ですので、こちらで待たせていただいておりました」
「こちらでって……貴女、僕が寝てからずっといたんですか!?」
「いいえ、ここに来てまだ一時間と十分しか経っておりません」

 バーナビーは部屋の時計に目を向けた。時刻は二時半を少し回ったところだった。この少女は一時からこの場にいるとキッパリと言い張った。
 うなされていた声が聞こえたかもしれないとシシーの顔を覗けば、いつも通り、人形のような無表情な顔がそこにあった。

「顔色がすぐれないようですが、いかがいたしましたか?」
「いえ、なんでもないですよ。ただ寝苦しくて」
「さようでございますか」

 シシーの言葉で、忘れ去られていた夢がまた頭の中を暗い闇に引き戻す。

「では、こちらを」

 そう言って持っていたトレイをバーナビーに手渡す。「失礼致しました」シシーはお辞儀をして歩き出した。

「待ってください!」

 無意識のうちにバーナビーは声を出していた。
 暗い暗い、部屋の隅からあの炎と、顔の見えない男が現れるかもしれない。今もあの男は、この世のどこかで生きているのだから。悪い方に考えてはいけないと思えば思うほど、ありうないほど弱気になっていく。
 怖い。
 一人になりたくない。
 夢が現実にまで侵食してくるような気がした。
 シシーの足はピタリと止まる。くるりとこちらに向き直して首を傾げた。

「ちょっと話をしませんか? 僕の部屋で」
「でも入室は駄目だと、」
「今日は、特別です」
「――かしこまりました」

 軽くお辞儀をして、元来た廊下を戻る。バーナビーはシシーを部屋へと招き入れた。

 二人は並んでベッドに腰掛けていた。初めはシシーがいつものように立ったままでいようとしたので、バーナビーは苦笑しながら横に座らせたのだった。
 話す共通の話題もなかったので、バーナビーはシシーに出身地や仕事の内容など、簡単な質問をした。驚いたのはシシーの年齢だった。

「えっ、二十歳なんですか!?」
「はい」

 見た目からして、カリーナと同い年かもう一つくらい上なのだと思っていたので、バーナビーは驚く。

「童顔だとよく言われます」
「若く見える方がずっと良いと思いますよ」
「確かにその通りでございます。買い物に行った時にサービスしてくれる店員の方もおりますので」

 それは年齢は関係なくて、シシーの見た目でサービスしてくれているのではと思ったバーナビーだったが、それは口に出さなかった。
 シシーはなぜか、自分の見た目にひどく劣等感を持っていた。今は暗がりでこちらの顔があまり見えないからかこうして普通に話せているが、昼間は目を合わせるだけで機械人間が赤面天然娘に進化してしまう。
 髪を切ってすぐの数日間は悲惨なものだった。目を合わせれば持っていたグラスを落とすしバケツはひっくり返すし半泣きで包丁を突き付けられたこともあった。更に、外見を褒められた時はそれに逃走がプラスされる。
 初めは照れているだけだと思ったのだが、どうやら見られているという事が駄目らしい。バーナビーは、シシーがどうしてそこまで自分の顔に劣等感を持っているのか気になっていた。
 ――顔だけじゃない。肌も、瞳も。髪も、全部綺麗なのに。
 窓から差し込む月の光が、シシーの髪を照らしだす。プラチナブランドは月の光で絹のようにキラキラと輝いて、美しかった。
 バーナビーはいつの間にか、その髪に触れていた。それに先に気づいたのはシシーだった。




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