***19***
今にも壊れかけのボロいアパートに置いてあるようなブラウン管テレビが、砂嵐を映していた。スプリングの壊れている古臭い一人掛けのソファーに、バーナビーは座っていた。
身体が言うことをきかない。それだけではなく、声も、視線も動かす事ができないでいた。バーナビーは今いる場所が夢の中だと、なんとなく理解していた。不思議な事に、身動きが取れないのが苦ではないからだった。
目の前のテレビが、今度は砂嵐から真っ白な空間を映し出した。その中心には、黒いマジックで顔を塗り潰された人間が写っていた。男か女かはわからないが、かなり幼いようだ。ノイズの混じる声が聞こえてくる。
「――ゃあ、今日はかくれんぼしようよ!」
「うん!」
聞こえたのは、自分の幼かった頃の声。テレビには自分の姿が映っていない事から、この映像は自分の視点だという事がわかった。
それにしても、大きく頷いた子供の声は、どういう事かノイズや音飛びがひどい。だが、どことなく女の子という事はわかった。
「オニはどうす、の?」
「勿論ジャンケンにきまってんじゃん!」
「わかった!」
ジャンケンをすると、テレビに二つの手が映る。少女は部屋と同じくらい真っ白な手をしていた。勝ったのは自分だった。少女は肩を落として溜め息をついた。
「やった、――がオニね!」
少女の名前が、明らかに修正されたように途切れる。
「ちぇー、バーナビ、ったらジャンケ……強いんだもん」
「だけはってなんだよー! 隠れるから、早く数えて!」
「わか――よ、いーち、に……」
どんどんひどくなるノイズと音飛び。それでも尚、目の前のテレビは映像を流し続けた。
幼いバーナビーは部屋から出て行て、キョロキョロと辺りを見渡した。どこもかしこも真っ白な壁で出来た建物は、まるで迷路のように入り組んでいた。しかもほとんどの部屋が鍵がついていて開かない。そうこうしているうちに、後ろから声が聞こえてきた。
「もーーいーーか、い?」
「まーだだよ!」
早くしないと隠れる前に見つかってしまう。焦る気持ちが募り、ふと目に入ったのは、関係者以外立ち入り禁止という看板のついた扉。バーナビーは咄嗟にその扉のドアノブに手をかけた。他の扉とは違って普通に開いたその部屋に、子供特有の好奇心と同時に悪巧みを思いつく。
「もーいーよ!」
そう言って、バーナビーは立ち入り禁止という看板のついた扉の中へと入っていった。扉の外の音を聞こえるように耳をそばだてていると、少し遠いところから声が聞こえた。
「隠れると、ろあんまりないの――、バーナビー、どこだー!」
バーナビーの思惑通り、立ち入り禁止の場所にはいないだろうと思ったようで、少女は部屋の前を通り過ぎていった。当分ここにいれば気付かれないだろうと、バーナビーは部屋の中を探索する事にした。
薄暗い部屋の中には、円形の水槽がいくつもあった。中にはとても小さな種のようなものが一つずつ入っているだけで、あまり面白みがない。床は電気のコードが大量に這っていて歩きづらかった。
更に奥に進んでいくと、パソコンの横に何枚ものディスプレイが不気味に光っていた。
映っている文字は外国語で読めないが、すぐ横の写真は見覚えがあった。
「――じゃん、これ」
病院で着るような患者用の衣服を着た少女の写真が映し出されていた。黒塗りされている顔を見た幼いバーナビーは息をのんだ。
「――別の所に隠れよう」
写真の意味はわからないが、見てはいけない物を見たような気がして、バーナビーは足早にその部屋から出ようとした時だった。何かが唸る声がした。
振り返るが、そこにあるのはディスプレイと、パソコンの本体についているボタンが光っているだけだった。安堵の溜め息をついた直後、ボタンが二つ同時に点滅した。目を擦ってよく見ると、再び二つのボタンは点滅しただけでなく唸り声をあげた。
ヒタヒタという音がして、ディスプレイの照明が何かを照らした。歯をむき出しにした犬のような生き物が、涎をたらしながらこちらに近づいてくる。
息が止まる。恐怖で声を上げることもできない。
無意識のうちに、にじり寄る生き物から距離を取ろうとすり足で後退するが、大量に落ちている電気のコードに足をとられ、尻餅をついてしまった。
「う、うわぁああああ!」
尻餅をついた衝撃で我に返ると、絶叫してその場から走って逃げようとした。だが相手の方が素早く、前に回りこまれてしまった。歯を見せて威嚇する生き物は、目を青く光らせながら近づいてくる。
「くるなあっ!」
バーナビーはもう一度声を上げて逃げ出す。近くにあった部屋の扉をあけて中に入った。カチリという音がした。
中は真っ暗で何も見えない。外からはガリガリと扉を引っ掻く音と、ほえる声が聞こえてくる。
「なんでこんなとこに犬がいるんだよ……」
安心して気が抜けたのか、バーナビーはその場にへたり込んだ。ガリガリという音と唸り声が聞こえていたのだが、諦めたのかその音が聞こえなくなった。
ようやく出れると思い、バーナビーはドアノブを探して手をかけた。しかしドアノブは中途半端なところで周り、ドアを開けてはくれない。
「なんで!?」
ガチャガチャと何度も何度もまわしてみるが、同じ事を繰り返すばかりだった。そういえばと、入った時にカチリという音がした事を思い出す。内側からは開けられない仕組みだという事に気付いたバーナビーは、慌てて大声を出しながらドアを叩く。
「誰かー! あけてー!」
ここから出してもらうには声を出すしかなかった。この際、立ち入り禁止の部屋に入った事を怒られても良い。
だが、その声に気付くものは誰一人としているはずがない。
何度も同じようにドアを叩いてみるが、びくともしないし、見つかる気配もなかった。
最悪なものが頭をよぎる。このまま誰にも見つからずに死んでしまうのかもしれない。幼い心は不安と恐怖に染まっていく。
「父さん。母さん。――、……」
もうだめだと座り込んだバーナビーは目にいっぱいの涙をためて、今すぐにでも泣き出してしまいそうな時だった。
背中からカチリという、入った時と同じ音が聞こえた。
バーナビーは驚いて振り返る。ドアの隙間から白い光が見え、その中に人が立っていた。その人物を見て、バーナビーは喜びのあまり抱きつきながら名前を呼んだ。
「……シシー」
「はい」
目を開けるとなじみのある天井とシシーの顔だった。バーナビーは思わず飛び起きる。
「え!? シシー、え?」
「どうかしたのですか?」
シシーは不思議そうに首を傾げている。バーナビーは頭の中を整理しようと深呼吸をした。
初めて見る夢だった。少女とかくれんぼをして、入ってはいけない部屋に入って、変な犬に追いかけられて。しまいには真っ暗な部屋に閉じ込められる夢。出られないかもしれないと思った刹那に開いた扉。その先にあったのは光と、誰だかわからない人。
夢にしてはやけにリアルだったが、見えていたものや聞こえていたものが途切れ途切れでよく判らなかった。特に少女の声や姿。ほとんど砂嵐や黒塗りで見えなかったし、声もノイズがひどくてあまり聞こえていなかった。
でも。その少女はなんとなくシシーに見えた気がした。
「お顔の色が優れませんが。もしかしてまたも二日酔いで、」
「違います! ていうか、どうして僕ここにいるんですか」
きょとんとしたシシーの背景は、どう見ても夕焼けに染まった寝室だった。昨日は確か、シシーと二人で公園にいたはずだ。
「あの後、バーナビー様が倒れてしまったので、家までお運びいたしました」
「――どうやって?」
「横抱きで」
「……それって、もしかして」
「もしかすると、俗に言うお姫様抱っこというものかもしれませんね」
サラリと言い放つシシーに、バーナビーは頭を抱える事しかできなかった。
もう虎徹には言えないだろう。お姫様抱っこされるヒーローなんていませんよ、なんて。
「だいぶお疲れのようでしたので、仕方ないと思いますが」
「仕方なくないですよ!? シシーは女の子で、僕は男なんですから! 普通は逆ですから!」
「さようでございますか」
バーナビーの恥辱に全く気付かないシシーは、トレイに乗ったグラスに水を注ぐと、バーナビーに差し出した。
「また魘されておりましたので、どうぞ」
「あ、ありがとうございます――」
手渡されたグラスの水を一気に飲み干した。少しだけスッキリとしてきた頭の中で、ぼんやりとある事を思い出したバーナビーははっとした。
「シシーっ、今何時ですか!?」
「十七時を少し回ったところです」
「しまった!」
昨日の夜にマーベリックと約束した事を思い出す。確か夕方に本社と言っていただろうか。バーナビーは慌ててベッドから起き上がるとメガネをかけて、ハンガーにかかっていたジャケットを手に取った。
「すみません、夕方から仕事があったんです!」
「存じ上げてございませんでした、申し訳ありません」
「貴女には言ってありませんでしたから! もう行きます!」
「お待ちください!」
シシーに止められてバーナビーは部屋から出る直前で止まった。
「そちらの変わりに、こちらをお持ちください」
うっかりと持ちっぱなしだった空いたグラスをひったくられて、変わりに紙袋を手渡された。
中は空色のランチョンマットで包まれた物が入っている。
「これは?」
「朝から何も召し上がっておられませんので、簡単な食事をご用意致しました。お時間があればお召し上がりくださいませ」
「うん、ありがとうシシー」
「滅相もございません。それでは遅刻しないように行ってらっしゃいませ」
「はい、いってきます」
いつものようにお辞儀をして見送ってくれるシシーに微笑むと、バーナビーは急いで家を出たのだった。