土を踏む音が、聞こえた気がした。
 音のした方に少しだけ顔を向けた。見覚えのあるショートブーツが見えた。まさかと思い、バーナビーはさらに上を見上げた。
 そこには、今一番会いたくて、一番会いたくない人が立っていた。

「シシー……なんで、」
「――貴方の所在は全て把握しておりますと、以前も言ったはずです」

 以前とは、バースデーパーティーの時だ。振り切ったと思ったはずなのに、次の瞬間には後ろにいたシシー。そして同じ事を言われたを覚えている。
 今もまた、場所を教えたわけでもないのになぜか見つかってしまった。
 バーナビーはすぐに俯いて顔を隠す。嬉しい反面、複雑な気分になっていた。シシーの顔を見て、更に感情が溢れて抑えることが困難になっているのだ。こんな感情、切り捨てなければいけないというのに。

「バーナビー様……どうしたのですか!?」

 シシーは俯く瞬間に、バーナビーの瞳が真っ赤になっている事に気付く。すぐにかけよってバーナビーの前にしゃがみ込んだ。

「バーナビー様こちらを向いて、」
「なぜですかっ……!」

 バーナビーは掠れた声で怒鳴る。シシーの肩がビクリと上がった。
 バーナビーはシシーに会ってからの事を思い出していた。夢にうなされた夜も、、誕生日も、夜の公園でも、誰かに傍いて欲しいと思っていた時も、シシーだけが傍にいた。
 ――そして、今も。

「どうして、僕なんかに構うんですか……」

 ――これからずっと、一人だと思っていた。

「もう会わないって、言ったじゃないですか」

 ――もう会ってはいけないと思っていた。

「わ、煩わしいんですよ、一緒にいられたって」

 ――本当はずっと一緒にいたいと思ってる。

「貴女なんか……大、きらいです。顔も見たくないんです」

 ――好きだ。大好きだ。

「……わかったら、もうどこかに行ってください」

 ――離れたくない。どこにもいかないで。

 言葉と心がちぐはぐになる。
 傷つけたくない。
 傷つきたくない。
 それに、シシーに対しての想いを切り捨ててでもやらないといけない事がある。このままでは復讐という炎は恋という風で吹き飛んでしまうから。
 そうなる前に、バーナビーはシシーの想いと一緒にシシーも一緒に切り捨てようと思ったのだ。
 そんな思いが、偽りの言葉を紡ぎ出していた。

「――バーナビー様」

 シシーは深呼吸をした。そしてバーナビーの手に触れた。暖かい感触。一人ではない事の証。バーナビーはそれだけで幸せな気持ちになってしまう。頭では振り払わないといけないと思うのに、身体は動こうとしなかった。

「バーナビー様は、嘘を付くのが下手ですね」

 いつものように穏やかに発せられた言葉に、バーナビーはドキリとした。

「……嘘じゃない」
「それならばどうして、泣いておられるのですか?」

 止まったと思っていた涙は、再び堰を切って溢れていた。既に前が見えない程に流れている涙を、バーナビーはメガネをはずして腕で隠す。最後の悪足掻きだった。

「――泣いてない」
「……バーナビー様は、本当に嘘を付くのが下手ですね」

 顔を隠していた腕を退かして、シシーの手の平がバーナビーの両頬に触れた。視線が絡み合うと、スミレ色の瞳がゆっくりと近付いた。バーナビーはなぜか身体が強張り、ギュッと目を瞑った。
 コツンという音がして何かが額に軽くぶつかった。バーナビーが驚いて目を開ければ、眼前にはシシーの顔があった。
 シシーは額をくっつけて目を閉じている。白磁のような肌と、一本一本作り込まれたような睫毛を間近に、バーナビーはぼんやりと、綺麗だなと思った。
 薄桃色の唇が動いた。

「――一人にさせて、ごめんなさい」

 一瞬、思考回路が停止する。
 シシーから発せられた言葉に、バーナビーはこれ以上ないほどに驚いていた。

 ――どうして。

「ずっと傍にいるから」

 ――どうして貴女は、
「貴方は、もう一人じゃないから」

 ――――僕が欲しい言葉をくれるのだろう。

 もし、その言葉が使用人だからとか、仕事だからという義務感で紡がれた言葉だとしても、今は関係なかった。
 一人ではないと言うシシーの言葉に、バーナビーは嗚咽を漏らす。

「だからもう泣かないで」

 シシーの指がバーナビーの目元をなぞる。それでもまだ、大粒の涙が絶えまなく落ちていく。悲しいわけじゃない。辛いわけじゃない。この涙の意味は、嬉しさと幸せ。
 復讐も、シシーへの恋心も、それを切り捨てなければいけない事も、今はどうでも良かった。

 ――せめて今は、このままで。


「は、わ、バーナビー様!?」

 バーナビーはシシーの身体を抱き寄せた。突然の事に、シシーは驚くが、すぐにバーナビーの背中をさすった。

「――シシー、ごめん」
「はい」
「……どこへも行かないで」
「はい」
「傍に……いて」
「勿論です。貴方が私の事を嫌いになっても、目障りだと思っても離れたりしませんから」

 ようやく言えた本心。それに答えてくれた事に、バーナビーはシシーを胸に抱きながら、声を押し殺して泣いたのだった。




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