***18***

 時間は、一時間前に遡る。バーで酒を煽っていたバーナビーの耳に、テレビの音が聞こえてきたのだった。

『……ごい、すごいすごい! ヒーローたちが一致団結して犯人を確保しましたーッ!』
「え――?」

 バーナビーはテレビに視線を向けた。そこには犯人を抱えて立っているタイガーの姿が映っていた。
 バーナビーは勘定を手短にすませて店を出ると、ある場所に電話をかけたのだった。

『どうしたんだい? バーナビー』

 数回の呼び出し音の後、電話の先から聞こえてきたのは優しげな低い声。

「マーベリックさんどういう事ですか? 今テレビでヒーローTVが放送されていたのに、僕には出動要請はありませんでした!」

 深夜だという事はわかってたが、声を荒げずにはいられなかった。
 テレビで、自分以外のヒーローたちが力を合わせているのを見て、バーナビーはのけものにされた気がしたのだった。

『……勝手な事をして申し訳ないと思っている。前の事件以来、君がかなり落ち込んでいるのを聞いて、今回は出動させない方がいいと判断したんだよ』

 マーベリックの言うことはもっともだった。今の状態では犯人逮捕に身を入れる事はできないだろうし、もし捕まえた犯人がウロボロスだったとしたら、理性を保つ自信もない。
 ――それでも。

「……仕事は、仕事ですから!」

 両親を殺した犯人の手がかりを、何としてでも見つけなければいけないのだ。それを見つけなければ、自分がこうして復讐の為だけに生きてきた理由がなくなってしまう。

『――わかった。では、明日の夕方、本社に着てくれるかな? 勿論仕事としてね』
「はい……こんな時間にすみませんでした」
『気にする事はない。君がヒーローの仕事に誇りを持ってくれているようで嬉しいよ。それじゃあ、明日待っているよ』
「勿論です。では……」

 バーナビーは携帯電話のボタンを押して通話を切った。
 街頭の灯りすら入らない路地裏に、バーナビーはふらつく頭を抱えて壁に寄りかかると、その場に力なく座り込んだ。
 少しだけ仲良くなっていたはずの同僚たちは、自分のいないところで一緒になって、犯人を捕まえていた。それを見て、自分はあの中にいなくても良いという事を痛感させられた。
 人がほとんど通らない道の、さらに薄暗い路地裏にいるせいで静寂が耳鳴りに変わるほど、広がってる。
 その静寂が、広い世界にたった一人でいるような感覚に陥れ、身体を、心を蝕んでいく。

「――シシー……」

 バーナビーはうわ言のように呟いた。
 また、一人になってしまった。シシーも、もう傍にはいてくれない。自分で、思ってもいない事を口にして突き放してしまったからだ。

 ――会いたくない? そんな事微塵も思ってるはずがない。
 ――明日から来るな? いまだに彼女の傍にいたいと思っているに、何を言っているんだ。

 頭の中で繰り広げられた自答自問に、バーナビーは無意識のうちに嘲笑していた。
 彼女を思う程、傷つけるのが怖くて、彼女から離れていくのが怖かった。だからこそ、自分で突き放してしまったのだ。今考えても馬鹿な事をしたとしか思えない。
 家を飛び出してから、シシーの事で頭がいっぱいだった。彼女の表情が頭から離れない。

 人形のような彼女。
 仕事は完璧な彼女。
 しっかり者の彼女。
 怒ると意外と怖い彼女。
 日常の知識が少しだけ乏しい彼女。
 目が合うとすぐに赤面する彼女。
 すぐに泣く彼女。
 笑わない彼女。

 シシーの事を思い出せば出すほど、恋しくて、切なくて、胸が引き裂かれる程苦しくなる。
 不意に、眼鏡のレンズに数滴の雫が落ちた。
 眼鏡を外してレンズを見るが、雫が付いているのは内側だった。雨であれば、外側についているはずだ。
 恐る恐る頬に触れると、涙がこぼれていたのだった。

「な、……んで……」

 拭っても拭っても、とめどなくこぼれ落ちる涙。自分の意志とは関係なく溢れ出る涙を、バーナビーはどうする事もできないでいた。

「アンだ、兄ちゃんこんなとこで」

 路地裏に現れた中年の男が、呂律の回らない口調で話しかけてきた。男は顔が赤く、手には酒瓶を抱えている。

「おいおい、大の男がピーピー泣いてんじゃねえよ!」

 千鳥足で近付いてくる男に、バーナビーは酔っ払いに絡まれないようにと、眼鏡を掛け直して前髪で顔を隠すと立ち上がる。そして男とは反対側に足早に立ち去ろうとした。
 男は何がおかしいのかその場で笑いながら遠のいていくバーナビーに向かって叫んだ。

「失恋くらいで凹むんじゃねーよー!」

 笑いながら聞こえてきた言葉に、バーナビーは完全に混乱していた。
 人目から逃れようと大通りを全力で走りながら、頭の中では自答を繰り返す。
失恋なんてするはずがない。そもそも、恋なんてしていないのだから。
 恋なんてもの、本で読んだ事があるだけの感情で、復讐の為に生きている自分には、これっぽっちの縁のない感情だと思っていた。
 ――それなのに。
 今抱いている愛しさも、切なさも、胸の苦しみ。どれも今まで感じた事のない感情は、本に書いてあったものとよく似ている。それどころか、以前学生時代に告白された時に、全く同じ事を言われたのを思い出したのだ。

 あなたを見ると、いつの間にか目で追ってしまう。
 あなたと話すだけで、心が踊る。
 声が、仕草が、表情が、全てが愛しく思える。
 あなたの事を思うと、切なくなって、胸が苦しくなって、夜も眠れない程にこの気持ちに悩まされる。

 この気持ちというものは、当時は全くわからずにいた。くだらないとさえも思っていた。
 でも、今はその気持ちが手に取るようにわかる。

 ――ああ、そうか。
 僕は……


 シシーが好きなんだ。


 友人としてでなく、親子としてでもなく、異性として。一人の女性として。
 バーナビーはゆっくりと走るのをやめ、歩みを止めた。全速で走ったせいか、息があがり肩が上下している。やたらに走っていたせいで、気付けば大きな公園の中に入り込んでしまっていた。バーナビーは目に入ったベンチに座って息を整える。
 バーナビーはひどく冷静になっていた。むしろすがすがしい気分にすらなっているかもしれない。今までモヤモヤと、かすみがかっていたこの感情が、ようやく理解できたのだから。
 濃霧がさあっと開けて、綺麗な太陽が顔を出したような気分だった。しかしすぐその太陽には雷雲が立ち込める。
 自分にはやるべき事がある。両親を殺した犯人を捕まえる事だ。そのためには身も心も、一身を捧げる覚悟だった。色恋だなんて現を抜かしている時間は毛頭ない。
 復讐を一心に願う自分には、それを終えるまでは不必要な感情。
 小説やドラマのようなロマンティックな無駄なもの、必要ない。
 それに、彼女にこの気持ちを伝える事は出来ないだろう。シシーは多分、使用人としてしか自分を見てくれていない。そんな彼女にこの想いを伝えたら、昨日までの事が全て崩れ落ちて、消えてしまう。シシーを想う事すらかなわなくなるだろう。
 そんな冷徹な思考は、バーナビーの胸の中心に鋼の冷たく暗い杭として打ち込まれる。彼女が自分の想いに答えてくれるはずがないという現実が打ちのめす。
 自覚した瞬間に、切り捨てなければいけない感情だという事はわかっていた。それなのに、自覚して、実感してしまうと、自分の意思とは関係なくこの感情は膨れ上がる。

 好き。
 大好き。
 好きなんだ。
 離れたくない。
 傍にいてほしい。

 こんな思いをするなら、気づかなければ良かった。
 こんなに苦しいのなら、気づかなければ良かった。

「シシー……」

 バーナビーは胸を押さえてうずくまりながら、溢れ出る涙を流すしかなかった。
 土を踏む音が、聞こえた気がした。




TOP
bookmark?

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -