***9***

 いつもより遅い時間に帰ってきたバーナビーの手には、巷で評判のケーキ屋の紙袋が握られていた。

「ただ……いま」

 鍵を開けてみると部屋の中は薄暗い。いつも通りであれば夕飯を作って待っているシシーがいるはずなのだが、キッチンにもその姿はない。買ってきたケーキを冷蔵庫の中に入れようと開ければ食材もなかった。顔を合わせなくて一瞬ホッとしたバーナビーだったが、すぐに別の事が思い浮かぶ。


「嫌われた……かな」

 無理もないとバーナビーは思った。あれだけ怒鳴り散らして家を出てきたのだ。理不尽な自分の怒りに対して、愛想を尽かせて出て行ったのかもしれない。
 誰もいない家はしんと静まり返り、間接照明だけがついている部屋の隅は闇に覆われている。
 一人の家はこんなに、寂しくて、広いものだったか。
 リビングに向かうと、テーブルに空色のキッチンクロスのかかった皿がおいてあった。それを捲ると、見覚えのあるパウンドケーキが均等な大きさで切りそろえてあった。横には『ハッピーバースデー』という文字の書かれたメッセージカードが添えられていた。
 もしかしてシシーからかもしれないと思ったその時、電話がかかってきた。

「はい!」
『坊ちゃん、お久しぶりでございます』
「サマンサ――」

 モニタ越しのサマンサはバーナビーの顔を見て、元気そうでなによりと言って笑った。

「ケーキ、届きましたでしょうか?」

 パウンドケーキはどうやらサマンサからの贈り物だったようだ。シシーが作ったのだと淡い期待をしていたが、よく考えてみればそんなはずがない。毎年サマンサがパウンドケーキを作ってくれるのを知っているのはサマンサとバーナビーだけだからだ。

「――はい、毎年ありがとうございます」
『いいえ、メイドとしてできることといったら、ケーキを焼く事くらいですから』

 両親が忙しかったせいで、誕生日はあまり祝ってもらった事がない。家にいなかった両親の代わりに、毎年必ず作ってくれるサマンサのパウンドケーキ。
 初めて作ってもらった時は少し生地がパサついていて、お世辞にも美味しいわけではなかったが、サマンサの優しい気持ちがたくさん詰まっているケーキだったのを思い出す。
『ぼっちゃん』モニタ越しの心配そうな声を聞いてバーナビーは我に返る。

「すいません」
『きっと今頃、天国の旦那様と奥様も祝福されてますよ』
「……はい」

 優しかった両親。忙しくてあまり家におらず、構ってくれなかった両親。どちらの顔も実の親には変わりない。優しかった両親の顔を思い浮かべていると、サマンサがおずおずと訊いた。

『――ところで、ナルシッサさんはしっかりやっていますか?』
「シシーと知り合いなんですか?」

 サマンサからシシーの名前が出て、バーナビーははっとする。てっきり会社が派遣会社から適当な人材を連れてきたのかと思っていたのだ。

『ええ。私の友人が育てておりましたから。何度かお会いした事があります。あなたに使用人をつけると聞いて、あの子を推薦させていただきました』
「そうだったんですか」
『――あの子も、色々辛い経験をしてるみたいね』
「そのようですね。親御さんが病気で亡くなったと言ってましたし」
『……それを、あの子が!?』

 穏やかなサマンサが珍しく声を大きくして言った。

「そう言ってましたけど、どうかしたんですか?」
『……私の友人、メリーベルというのですけれど。メリーベルがシシーを拾ってから一度も自分の過去を話したことがないと言っていました』
「拾った? シシーをですか!?」
『え、ええ。ものすごい大怪我をして教会の中で倒れていたそうです。それが確か五年くらい前です。それより前の事は一切話そうとはしなかったそうですよ』

 初めて聞くシシーの過去に驚愕してバーナビーは声が出せなかった。バーナビーが聞いたのは四歳の時の過去だ。親が亡くなってから一体どうやって暮らしていたのかという疑問が浮かぶ。
 バーナビーの訝しげな面持ちとは裏腹に、サマンサは嬉しそうに目を細めて言った。

『信頼されてるんですね』
「え?」
『誰にも話したくない過去を、ぼっちゃんにだけ話したという事は、ナルシッサさんはぼっちゃんを信頼している証拠ですよ。あの子は誰にも心を開いた事はなかったから……』

 サマンサの言葉にバーナビーは驚きのあまり身体が硬直した。
 シシーが自分を信頼して過去を話してくれたなんて、全く思ってもいなかった。
 そんな風に思ってくれている人に、頭ごなしに怒鳴りつけて傷つけてしまった事に、やるせない気持ちに駆られる。
――何がなんでも謝らないといけない。バーナビーは席を立った。

「すいません、用事を思い出したので失礼します!」
『いいえ、頑張ってくださいねぼっちゃま。良いお誕生日を』

 サマンサは何かに気付いたのか笑って電話を切った。バーナビーは出かける為に玄関へと走る。ブーツを履いて靴紐を結んだと同時に、腕に付けていたPDAが光る。

『バニーか!? 俺だ!』

 ヒーロー同士の連絡用のPDAには虎徹が映っていた。神妙な面持ちでチラチラと周りを伺いながら虎徹は言った。

『大事件なんだ、至急来てくれ!』
「嫌です」
『おう頼んだぞ! ――へ!?』
『嫌だって言ったんです。僕は忙しいんですよ!』

 すぐさま切ろうと思ったバーナビーだったが思いとどまる。シシーと面識があるのは虎徹だけだ。もしかしたらどこかで見かけたかもしれない。そう思って、藁にもすがる気持ちで虎徹に訊いた。

「おじさん……しらないとは思いますが、シシーを見かけませんでしたか?」
『え? ここにいるけど、』

 小首を傾げながら言う虎徹を見て、バーナビーは再び怒りがこみ上げる。
――なんでこの男と一緒にいるんだ。バーナビーはPDAに向かって怒鳴りつけた。

「どうしてですかっ!?」
『へっ、いや、あれだ! 偶然シシーちゃんと会ってだな――とにかく急いでんだよ! 早くこいよ!!』

 そう言って会話は途切れた。
 バーナビーは虎徹の言葉通りに急いでその場に向かったのだった。




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