***8***
「おはよーさーん」
朝。虎徹はにこやかにオフィスへと入ってきた。仏頂面の同僚に、手を挙げながら話しかけた。
「やー、いー天気ですね」
「そうね」
「こんな青空見てたら賠償金なんてちっぽけな事、気にしてる場合じゃねーって気になるねえ」
「それは困るんだけど」
「まー良いじゃない良いじゃない」
色々と文句をいいたげな同僚を宥めながら、虎徹は自分の席に座った。そしてもう一人の仏頂面の相方をちらりと横目で見た。バーナビーはパソコンに向いたままぼーっとしている。
「どした?具合悪いのか?」
「……違いますよ。貴方の顔を見たら昨日の事を思い出してしまって」
「なんだよ昨日の事って、」
あの後、バーナビーは家に帰ってはいなかった。怒鳴りつけて家から飛び出してきてしまったので、シシーにどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
行く場所もないので一人でバーで朝まで飲み明かしていたおかげで、二日酔いは絶賛延長中である。
シシーは別にバーナビーに対して嫌味で虎徹の事を庇ったわけではない。頭ではそんな事わかってはいるし、シシーが言うことにも間違いではないと思っている。
ただ、問題はそこではない。
シシーの口から虎徹の名前がでる度に、憎悪にも似た苛立ちがつのる。
シシーの口から虎徹の事を考える言葉がでる度に、腹の奥底から引きずりだされるような黒くおぞましいものが生まれる。
自分でもわからないこの感情のせいで、シシーを傷つけてしまった。
使用人と喧嘩、さらに二日酔い。最悪な誕生日だとバーナビーは自傷気味に笑った。
「――貴方には関係のない事ですよ。それに、思い出しただけで悲しくなるだけですから」
正直、今はこの人の姿を見たくなかった。何をしたという事はない。ただ理不尽な怒りを虎徹にぶつけてしまいそうになる。
バーナビーは立ち上がると仕事用の資料を取りに資料室へと向かった。
二人の喧嘩の原因である虎徹は、首を傾げて何かを考えるようにしながら顎髭を触っている。
「悲しくなる? 昨日?」
二人のいざこざを知るはずもなく、虎徹は昨日の事を思い出す。そして浮かんだのは子供を抱いた女性の言葉に対してバーナビーが言った一言だった。
「まさか、あいつ……」
寂しい誕生日を過ごすからだ! と全く見当違いの事を思いついた虎徹は、それが正解だと確信するとニヤリと笑って誰かにメールをしたのだった。
-----------------
ジムには既にヒーロー仲間の四人の姿があった。
折紙サイクロンことイワン・カレリン、ドラゴンキッドことホァン・パオリンは、営業周りがあってこれないと連絡があった。もちろんバーナビーは呼んではいない。
呼び出した理由はバーナビーの誕生日を皆で祝う為だった。虎徹が事情を説明すると、何故か渋るヒーローたち。
「なんでライバルの誕生日なんてやるのさ」
「まーた余計なお節介じゃねーのか?」
「あのハンサムがアタシたちに祝ってもらって嬉しいのかしらネ」
上からカリーナ、アントニオ、ネイサンの意見だった。三人はそう言って各々トレーニングを始めようとした時だった。助け舟を出したのは、キングオブヒーローだった。
「実に素晴らしい! 誕生日とは特別な日、そんな日はみんなで祝ってやるのがハッピーだとわたしは思う。なあ? ワイルド君」
そう言って歯を見せて笑うキースを見て、賛同するヒーローたち。
自分の信頼のなさに虎徹は心が折れそうになりながら、五人でバーナビーのサプライズをする事となった。
定時になってそそくさと会社から抜け出して、虎徹たちはある場所に集まっていた。手には各々、資料のようなものを持っている。キースがサプライズの為に会社でこっそり作った台本だった。
「――お前を呼んだのは他でもない。どうやらこの辺に窃盗団が潜んでいるらしくてな。一緒に捕まえないか、バニー」
バーナビーと虎徹が窃盗団を追うという設定だった。かなり芝居がかった声で言う虎徹。その視線の先にはゆるゆるしたショッキングピンクのウサギ。頭を支えていないと、くったりとイナバウアーをしてしまうそのぬいぐるみに向かって言っていた。
「ショウガナイデスネー」
「サンキューな」
かん高い声をだして、腹話術の要領でバーナビーの台詞を言った。ウサギのぬいぐるみはバーナビーを模しているようだ。端から見たら人形に話しかけている気味の悪いおじさんにしか見えない。
虎徹が偽バーナビーで腹話術をしていると、後ろから覆面を被った男が近付いてくる。そして虎徹の足元に置いてあった鞄を持って走り去っていった。
「あいつだ、窃盗犯は! 行くぞ」
「ウン」
窃盗犯A役は、ロックパイソンことアントニオ。アントニオは虎徹の鞄を持ったまま狭い路地裏へと走っていった。
「待て!」
「――虎徹様?」
窃盗犯Aを追って、偽バーナビーと一緒に路地裏に走っていく虎徹を、少女は目撃したのだった。
「見つけたぞ!」
「たすけてください、おやぶん!」
明らかに棒読みすぎるアントニオに、肩すかしを食らいながらも虎徹は台本通りに事を進めていく。
「お前だな、窃盗団の親分は」
「貴様等、何者だ!」
いつものハキハキとした声でなく、ドスの聞いた低い声で怒鳴るキースに、虎徹は内心拍手をしながら高笑いをして言った。
「貴様に名乗る名前などない! お前みたいなクズ野郎、とっとと捕まえてやるぜ!」
「そう簡単にできるかな?」
「何っ」
「手を挙げな!」
不適に笑うキースが言うと、覆面被ったカリーナとネイサンが虎徹の後で、銃を突きつけていた。
「ヤバい、囲まれた!」
「うちのおやびんにひどい事言ってくれるじゃないの。クズ野郎だなんて」
若干残っている姐さん口調のネイサン。まあまあ合格点ではあるのでそのまま芝居を続ける。
くったりした偽バーナビーで虎徹は腹話術をする。
「どうしよう、バニー!」
「ソンナ事イワレテモー」
「これで終わりだ!」
「た、助けてくれー!」
虎徹が偽バーナビーで顔を隠し、叫んだ瞬間だった。
ストンという音がして、虎徹の前に落ちてきたのはプラチナブロンドの少女。
「「「「え?」」」」
虎徹以外の四人は突然現れてた少女に唖然としている。
立ち尽くすキースとアントニオに、少女は突っ込んでいくと二人の手の甲を蹴り上げた。持っていた銃が上に舞い上がった。
少女はすぐさまキースの後ろに回り込むと、膝の裏を蹴って身体を倒し、組み伏せて腕を締め上げた。そして、タイミングよく落ちてきた銃を二丁ともキャッチすると片方はキースの額に、もう片方はカリーナたちに向けたのだった。
それは一瞬の出来事だった。倒れているキースは自分のおかれている状況がわかっていない。
「あなた方の頭はこちらで押さえました。それ以上動く、と――」
「あれ?」少女は手に持っている銃を見て驚いている。
「お兄様、このベレッタ、本物ではございません」
「え、へ!?シシーちゃん!?」
今まで偽バーナビーで顔を覆っていた虎徹が、素っ頓狂な声を出して驚いたのだった。