バーナビーはPDAの時計に目を向けると深いため息をついた。シュテルンビルトを出たのは昼を少し過ぎたところだったはずなのに、爛々としていた太陽は地平線に半分ほど隠れてしまっていた。

「到着致しました」
「――随分とこんな田舎まで連れて来ましたね」

 二人でシュテルンビルトを出てから五時間程東に向かい、時たま休憩を入れながら到着したのは小さな村だった。目新しい物は何一つなく、ここ自体を博物館からそっくりそのまま持ってきたような小さな村を見てバーナビーは溜め息を漏らした。
 シシーはエンジンを止めてバーナビーに手を差し出した。バーナビーはその手を取ってバイクから降りるとすぐさまヘルメットを脱いで頭を振った。

「ふう――それで、どうしてこんなところに僕を連れてきたんですか?」
「会わせたい方がいるのです」
「会わせたい? こんなところに?」

 話しながら村の中を歩く二人を――というよりかシシーは、村人から異様な視線を浴びていた。決して多くない村人が、シシーを見る度に二度見して、まるで死人が蘇ったような顔をして呆然とする。そんな視線の中を進んでいくと、今にもぺしゃんこに潰れてしまいそうな古ぼけた教会が見えてきた。
 廃虚にも見えたそれだったが、男の子が入り口を掃除していたのでまだ現役の建物のようだ。

「ネイト、お久しぶりでございます」

 シシーが話しかけると、ネイトと呼ばれた男の子は村人と全く同じ反応をして固まった。かと思うと、教会の中に向かって物凄い勢いで叫んだ。

「シスター! シシーが帰ってきやがったーー!」
「“帰ってきやがった”?」

 思わずネイトの言葉を反復するバーナビー。シシーに問いかける間もなく、教会の中から、どうみても修道女には見えない形相の老女が現れた。大柄でふくよかな修道女は、タバコをくわえながら両方の眉がついてしまうかと思うほど顔をしかめて怒鳴った。

「シシー、お前帰ってくんの早すぎやしないかい! クビにでもなったか、」
「お久しぶりでございます。シスターミルドリッド」

 シシーが頭を下げると修道女は目をむいて口からタバコを落とした。数瞬の間があって、ネイトと同じように教会の中に向かって叫ぶ。

「メ、メリーベル! 早くきとくれ!」
「そんなに大声出さなくても聞こえてますよシスターミルドリッド」

 にこやかに出てきたのは今度こそ修道女らしい姿をした老女だった。
 修道女はバーナビーを見るとあいているかわからない細い目をこれでもかと見開いて驚いた。

「お久しぶりでございます婦長様」
「あらあら、まあまあ」

 口に手を添えて上品に笑う老女にシシーは頭を下げた。

「へえ、写真よりも良い男じゃないか」
「えっ、と……あの」

 修道女二人に囲まれ、顔を覗きこまれているバーナビーは困った顔をしてシシーに視線を送った。はっとした表情で姿勢を正すとシシーは二人を紹介した。

「失礼致しました。こちらはこの教会の責任者、シスターミルドリッドでございます」
「よろしくどうも」
「こちらはシスター兼、使用人紹介所の代表、シスターメリーベルでございます」
「はじめましてバーナビーさん」
「は、はじめまして……」

 メリーベルが手を差し出したのでバーナビーはおずおずと握手を交わす。

「――メリーベル? もしかしてサマンサという名前の女性に心当たりは?」

 聞き覚えのある名前に、手を握ったままバーナビーは訊いた。

「勿論知っているわ。仕事仲間だったもの。貴方のこと、サマンサから色々と聞いているわ」
「そうですか。貴女が僕にシシーに会わせてくれた方だったんですね」

 バーナビーはメリーベルの手を離すと深々と頭を下げた。

「ありがとうございました。貴女がいなかったら大切な思い出も、大切なものも見つかっていませんでした」
「あらあら、わたしは何もしていないわよ」

 お辞儀をするバーナビーを見て、朗らかに笑っていたメリーベルだったが、神妙な顔をしてシシーに訊いた。

「……やっぱりこの方がシシーの探し人だったのね」

 シシーはメリーベルを見て、それからミルドリッドを見てコクリと頷いて目を細めた。

「はい。やはり間違いありませんでした。バーナビー様は私の大切な人でございます」

 笑っているわけではなかったが、シシーの表情は穏やかだった。それを見たミルドリッドとメリーベルは驚いた表情で互いに見合った。

「――あらあら、これは大変ね」
「こりゃ大変だ」

 二人はにこりと笑いあった。

「こんなめでたい日には飲むしかないね!」
「こんなイケてるヤングがいるもの、飲まなくてどうするのよ。早速準備しなくちゃ」

 修道女とは思えない言葉を吐いて教会の中に戻ろうとする二人をシシーが引き止めた。

「シスターミルドリッド、それに婦長様。告白したいことがございます」
「あたしたちにかい?」
「いいえ、バーナビー様にでございます」

 淡々と話すシシーだったが、指の先が小さく震えているのをバーナビーは見逃さなかった。

「少しの間、教会の中から人払いをお願いしてもよろしいですか?」

 ミルドリッドもシシーの異変に気付いていた。しかしそれを言葉にすることはせずにタバコの箱を服の袖から取り出しながら笑った。

「別に構いやしないよ。でも、人は払えても神を払うのは無理な相談だ。なんてったって神はずっと上から見てるんだからな」
「――承知しております。ではお借り致します」

 シシーはお辞儀をしてバーナビーの手をとると、教会へと向かう。背後からメリーベルの声がした。

「頑張ってね、シシー」

 シシーの震えに関係しているのかどうかわからないが、激励の声をに押されながらバーナビーは教会の中へと足を踏み入れた。
 教会堂の中は外と同じように壊れている箇所を簡単に修繕されているだけの廃虚のようにも見えた。ただ一つだけその場にそぐわない物があった。これだけ朽ち果てているのにも関わらず、教壇の後ろにあるステンドグラスは割れることなく堂々たる姿で二人を出迎えていた。バーナビーはそれを見上げたまま動けないでいた。

「美しいと、思いました」

 横で同じように見上げていたシシーが言った。確かにバーナビーはステンドグラスの美しさに圧倒されていた。壁一面に描かれた女性と優しく抱かれた子供の姿は、夕日によってキラキラと煌いていた。

「ここに連れてきた理由の一つは、バーナビー様に告白と懺悔をするためでございます」
「懺悔? 僕に?」
「はい」

 シシーは教壇の前に立つと、着ていたライダースーツのジッパーを上からゆっくりと降ろしはじめた。突然の出来事にバーナビーは慌てふためいてそれを止めようと近付いた。

「な、何やってるんですかシシー、」
「こちらをご覧下さい」

 開かれたスーツの内側には白い肌が見えた。その胸元にはロザリオとコインが、そして腹部には大きなミミズの這ったような痕があった。以前、シシーを無理やり脱がせた時に見た腹部の傷痕だった。

「これが、私の罪でございます。バーナビー様」
「前にも言ってましたよね。この傷は一体何なんですか?」

 シシーは俯いて、肩を数回上下させた。そしてステンドグラスを見上げて呟いた。

「――私は一度、ここで死にました」
「死んだ……? でも、貴女は今生きてるじゃないですか」
「はい。ですが、私は一度ここで死にました――いえ、死のうとしました。これがその傷でございます」

 シシーは眉を寄せて傷痕を指でなぞった。バーナビーはシシーの言葉に混乱していて何も言葉を出せずにいた。

「二十年前の話をしなければなりません。バーナビー様が研究所からいなくなってしまった後のことでございます」

 シシーはバーナビーに向き直ると、淡々とした口調で話し始めた。それは二十年前の冬。バーナビーの両親が死んでから一月が経とうとした時だったとシシーは言った。

「バーナビー様がいなくなってからも、研究所は何事もなかったように私の研究を進めておりました。ですがある日事件が起こりました。責任者が殺されたのです」
「責任者って――」
「私の母、ナルシッサ・ベネディクトでございます。私の記憶は吹雪の中燃え盛る研究所を見つめているところから始まります」
「その前の記憶は?」

 シシーはゆっくりと首を横に振った。これも以前聞いた事があった。母が殺されたときの記憶が曖昧だということを。
 これ以上はシシーが誰にも踏み込ませたことのない領域だった。そこに入るということがわかって思わずバーナビーは身体が強張る。

「研究所から出たことのなかった私にとって、外は本当に恐ろしい場所でした。元々雪深い山の中にあった研究所から放り出される形で外に出たのですから当たり前だとは思いますが、食べ物もなく、寒く、全てが真っ白で何もありません。そんな中を四日間程放浪していた時のことでした」

 四歳の子供が雪山を四日も生き延びることができたのはシシーが普通の人間ではないからだとバーナビーは理解した上で話の続きを聞いた。

「雪の中で、私は誰かに羽交い絞めにされました。あまりにも突然のことに私は何も出来ませんでした。そしてそのまま頭に袋を被せられ、ある場所へと移されました――戦場でございます」

 ここではない場所で、未だに不毛な争いが続いているのをバーナビーは知っていた。しかしそこにシシーがいたなんて到底考えられることではなかった。


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