「……バーナビー様?」
「え、あ。すみません!」

 無意識のうちに髪に触っていた事に驚いて、バーナビーは慌てて手を離す。

「髪でしたら、別に構いません。」
「でも、」
「……私が唯一、誰かに、誇れるもの、ですから」

 床を見つめたまま、スカートの裾を握り締めながらシシーは言った。

「――綺麗だって言っても、逃げないって事ですか?」

 シシーはバーナビーの顔を見上げた。既に頬を真っ赤に染まっている。口をパクパクと金魚のように開閉しながら驚いた表情をしていた。そして、目があったかと思うと今以上に顔を真っ赤にして俯いてしまった。しかしいつものように逃げ出さないのを見て、肯定なのだとバーナビーは解釈した。

「綺麗、ですね」

 再び、ゆっくりとシシーの髪に触れた。触れられた事に驚いたのか、一瞬肩を強張らせる。それでも尚バーナビーはシシーの髪を手櫛で梳いたり、指で弄んでみる。
 するりと手が通る髪は枝毛も切毛も見当たらない。まるで月の光で染めたような髪に思わず魅入る。

「――綺麗です」
「言いすぎでございます……!」
「でも本当に綺麗ですから」
「は……」
「は?」

 シシーは一旦口を閉ざしたが、深呼吸をして言った。

「母と同じ髪の色、なんです」
「それじゃあ貴女の髪のように綺麗だったんですね」
「母の髪は、もっと綺麗でした……太陽の光が当たると、キラキラ光って。幼心ですが、その時の母は本当に美しかったです」
 
 シシーはいつもの淡々とした声でなく、とても柔らな声で言った。きっと母親は今のシシーのように美しかったのだろうと容易に想像がついた。

「どうかなさいましたか?」

 シシーの私情を初めて聞いた事が嬉しくて、バーナビーは気付かないうちに顔がほころんでいた。シシーに言われて笑っていた事に気付き、バーナビーは顔を見せないようにそむけると頬を掻いた。

「なんでもない、ですよ。それでお母様はどちらに?」
「もうこの世にはおりません」
「それは、」
「私が四つの時に、亡くなったと思います」

 バーナビーはしまったと思った。安易に聞いた事を後悔が遅かった。シシーの顔がほんの少しだけ表情が変わったのに気付いてしまったからだ。

「――すみません、でした」
「あなた様が謝る事ではありません」
「嫌な事を思い出させてしまったじゃないですか」
「それは違います」

 すぐにバーナビーは頭を下げたが、シシーは首を横に振って窓の外で輝いている月を見上げた。

「母が死んだ時の事を、私は覚えていないのですから」

 横顔が月の光で照らし出される。いつも見る無表情の顔とは全く違う、シシーの寂しそうな顔にバーナビーは胸が締め付けられた。

「……僕も、幼い頃、両親を亡くしたんです」

 気が付けば、ほとんど誰にも話をしたことがない過去を口にしていた。
 ただ境遇が似ていだけだというのに、シシーに聞いて欲しくなったのだ。父と母がいなくなった時の辛さを、その時の恐怖を、一人の怖さと寂しさを。
 きっとシシーならわかってくれると思ったからだ。

「どんなに気が強いフリをしていても、両親が死んだ時の夢を見て、眠れなくなって。誰にも心配されたくないからこうやって一人で生活しているというのに、矛盾してますよね」
「そんな事はございません……それに、もう大丈夫でございます」
「えっ?うわ、」

 シシーはバーナビーの腰に両手をまわして抱きついた。
 思わず顔が赤くなるバーナビーに気付く事なく、シシーは言った。

「バーナビー様の傍には私がおります。もう一人ではございません――例え、バーナビー様が私の事が邪魔で、煩わしくて、うるさい小姑のような使用人だと思われていても、私は貴方様から離れるつもりはございませんから」

 クビにしようと色々と仕掛けていた罠は、やはり全てお見通しだったようだ。サラリと憎まれ口を言ったシシーに、バーナビーは苦笑して頭を掻いた。

「……ばれてましたか」
「勿論でございます」
「――いや、でも、あの、この格好はちょっと変だと思うんですけど!」

 そう答えたシシーは未だにバーナビーに抱きついている。傍から見れば、大木にしがみつくコアラのようだった。あまりの滑稽さと気恥ずかしさに、バーナビーはシシーを引き剥がした。

「そうでございますか? 婦長様には小さいお子様にはこうしろと言われましたが、」
「僕はどうみても小さくないです!! もっと小さい子供にやってあげてくださいよ。ていうか、貴女の方が歳も背も小さいですから。普通は逆ですから!」
「そういうものなのですか?」
「そういうものですよ!」

 キョトンと首を傾げるシシーを見て、バーナビーは思わず噴き出した。家事全般は完璧だというのに、日常の事になると全くといっていいほど疎い。昔見たことがある日本のアニメーションに出てきた、青いネコ型ロボットのように抜けているなあと心の中で思った。
 バーナビーが笑っている理由がよくわからないシシーはさらに訝しげな顔をして首を傾げた。

「色々教えてあげますよ、家事以外の事。例えば、外に行く時はその格好はやめる、とか」
「駄目なのですか?」
「駄目ではないですけど、一般人ではそんな格好している人はまずいませんよ」
「そうなのですか……」

「便利なのですが」と呟くシシー。動きづらそうだと思っていたバーナビーは「そうなんですか?」と訊いた。シシーは何を勘違いしたのか、バーナビーに言った。

「お召しになります、」
「いえ結構です」

 スカートを持ち上げて聞くシシーに、バーナビーは全力で拒否する。ていうか普通は聞かない。そして聞かないと、キングオブヒーローのように心の中で叫んだ。

「バーナビー様、そろそろご就寝した方がよろしいかと」

 シシーはベッドから立ち上がり、バーナビーに言った。掛け時計を見やると、あれから三十分以上経っていた。

「もうこんな時間ですか」
「明日のご起床はいつも通りでよろしいでしょうか?」
「はい、お願いしますね」
「かしこまりました」
「――おやすみなさい」
「おやすみなさいまし、バーナビー様」

 シシーはドアを開けて廊下に立つと会釈をした。自動ドアが閉じて姿が見えなくなるまで、バーナビーはシシーを見送ったのだった。




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