瑞奈がイギリスに留学してから数年が経った。特に何も変わりなく過ぎていく日々。その中でも彼女がいない日々というのは、至極つまらないものになっていった。

彼女のことを忘れてしまった過程を思い出す。深く考えずとも自分がどれだけ最低で、女性にだらしなかったのかが分かってしまって、苦笑いを浮かべることすらままならない。タイガはそんな俺のことを「本当に最低だった」と言ってきたものの笑って許してくれたが、それだけで許される様なことではない。現に女性を二人傷つけた。元はといえば彼女たちを傷つける事を怖がった結果が招いたことなのだが、どこまでも優柔不断な自分に腹が立つ。

由奈は昨年結婚したらしい。というのも姉妹は似るというか、彼女もまた海外へと拠点を移したようだ。結婚相手はアメリカの実業家らしい。「私は自力で幸せを掴んだんだから、次は辰也の番よ」と言っていた彼女と連絡を取ったのも、もう数ヶ月の前の話だ。白い衣装に身を纏って、幸せそうな笑顔を浮かべる彼女からエアメールが届いた時に、何もかもが吹っ切れた気がした。

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「で、何で俺なんだよ…」
「タイガくらいしか瑞奈のことまで話せる人間はいないんだよ」
「だからって、」

話を聞いてもらうためにBARへと呼び出したタイガが眉根を寄せて言い淀む。苦いような顔、思い悩むような顔、そして諦めを滲ませた顔。そんな百面相の後に「一応、俺って瑞奈のこと好きだったんだけど」と言った。知らなかったわけではないし、入院していた間に聞かされていた言葉の節々で、彼の彼女に対する好意など容易に察することができた。相変わらず素直で嘘の付けない奴だな。ふっと笑みを漏らすと、彼の気まずいような表情に驚きが含まれた。

「知ってるし、もうお前には『好い人』がいるだろ」

彼の左手にキラリと光るものを指さして笑うと、彼はバツの悪そうな顔を浮かべた。その頬は微かに赤らんでいて、どこからどう見ても照れている事が分かる。

記憶が正しければ数週間前の事だっただろう。いつも以上に真剣な声色のタイガに呼び出されると、そこには真面目な顔したタイガが鎮座していた。結婚することになったと聞いた時、ただただ単純に嬉しかった。…けれど、弟分に先越されてしまったなあなんて少しだけ悔しかった気持ちもある。まあ、そんなことは綺麗なカーブを描いて幸せそうに微笑む彼を見た瞬間に吹き飛んだわけだが。そうして彼も笑って言うのだ。「今度はタツヤの番だ」って。

ああ、彼女は一体今頃何処で誰と何をしているんだろうか。彼女の意識の片隅に「氷室辰也」は存在するんだろうか。あんな別れ方で、あんな一方的な言葉を伝えて。彼女が忘れようとする中で必死に縋り付いてくる己の姿は、さぞ滑稽だったろう。そんな姿を晒してでも、彼女の中に居座りたかった。今でも鼓膜の奥で響くのは、震える彼女の声が伝えた『幸せになって』。そんなの彼女と以外なれるわけもないのに。悔しさが外に漏れ出さないように、ぐっと握りこんだ手のひらの痛みを彼女は知らないだろう。

「瑞奈に会いに行かねえの?」
「…った、さ」
「へ?」
「疾うの昔に会いに行ったさ」
「まじかよ…」

信じられないという顔で此方を見てくるタイガ。己だって、どうしてあんな行動に出たのかよくわからなかった。ただ彼女を一目でも見れたらいい。その一心で由奈に彼女の居場所を聞いて、会いにに行ってしまった。その結果は決して良い物とは言えなかった。遠目からとはいえ、彼女は至極楽しそうにクラスメートと並んで歩いていた。それが同性ならば、まだ心は穏やかだっただろう。結論から言えば、彼女は異性と楽しげに歩いていたのだ。あの小さな口から柔らかな声色で他の男性の名前を呼んで、可愛らしい笑顔を振りまいていた。嫉妬に狂ってしまいそうになるとはこの事だったのだろうか。

そのことを全てタイガに伝えると、彼は呆れた顔で「どうであったらタツヤは幸せだったんだ」と聞いてきた。彼女が一人だったら。それならば彼女の前に出ていくことも辞さなかっただろう。しかし待ってるといった手前、そんな行動は格好悪すぎる。それに彼女が一人だったなら。異文化だらけの異国で、一人さみしく過ごしていると考えたら。そちらのほうが断然胸が痛くなるのだ。

「ようはなに、瑞奈が好きって言いてえの」
「そういう訳じゃないけど、」
「俺バカだけど、タツヤが瑞奈大好きってことだけは、さっきからビシビシ伝わってくるわ」

カランと彼のグラスが音を立てた。新しいアルコールを頼む気は無いらしく、空っぽのグラスをくるくると揺らしている。そういえば、彼女ももうお酒が飲める年齢になったのか。もうそんなに時間は経ってしまったのか。己の情けない顔が汗をかいたグラスに映り込んだ。

「会いたいなあ…」

あとどれだけ彼女を想っていれば彼女に会えるのだろうか。甘い綿菓子みたいな香りも、鼓膜に優しく響く声も、子供体温だから他よりも温かい体も、恋しくて恋しくてしょうがないんだ。

(121221)
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