午前の授業が終わって間もなく、背後から突然の襲撃を受けた。背後から巨体に突進され、そのまま羽交い絞めにされた。血の気が引くような音と共に、携帯が床に転がった。手から滑り落ちたそれに向かって「……ごめんね?」と背後の彼がいう。謝る相手がおかしいとか、いきなり何をするんだとか、一瞬で丘のように文句が積み上がる。が、丘の天辺に集約された言葉はたった一言で片付いた。
「暑いバカ、離せよ」
「……ハイ」
 素直に離してくれる。落ちた携帯を拾おうとしたら、片手で制されて先に拾われてしまった。
「ごめんごめん。ななしっちの後姿見たらつい、ね!」
「ついってなんだよ。……死ねばいいのに」
「……ヒドッ」
 携帯を受け取り、傷がないかを確認する。コンクリートの地面じゃなくてよかった。無傷の携帯をポケットにしまい、粗暴な山を見上げた。近いから余計に、大きく見える。
「で、なに。なんかあったんじゃないの?」
「あ、そうだった! 火神っちからいいこと聞いちゃったんスよー! え、聞きたいッスか? どうしよっか――」
 高い鼻を摘まむ。「いっ!」と突き抜けた悲鳴を上げる。「ななしっちぃ」と呼ばれるも「ウザイ」なんて端的に突き放す。痛みを耐える顔を見て、先ほど以上に冷たい声音で「ウザイ」と繰り返してしまった。
「お前しゃべんなくてもウザい。あと火神くんの名前気安く呼ぶな死ね」
「言い過ぎ! しかもきっつい!」
 鼻から手を離し、さっさと歩き出す。牛みたいに唸りながら、黄瀬は犬のように後をついてくる。「モデルの顔ッスよー」苦言を漏らし、ななしの隣に並ぶ。尻ポケットから出した携帯を彼女の視界に入るよう、ちらつかせた。文面もそうだが、送信者の名前にななしは口をあんぐりと開けた。
「おい黄瀬、なんで火神くんのメアド知ってんだよ」
「やーっぱ食いついた。いいっしょ? 黒子っちから教えてもらったんスー」
「黒子ォ! 教える相手間違ってんだろ! なんで私じゃなくて黄瀬なんかに……!」
 両手で黄瀬の携帯を捕まえようとするが、すんでのところで手の届かないところへと持ち上げられてしまう。空を切った手で、黄瀬の胸をどついた。
「なにこれ生殺し? てか火神くんのメアドだけじゃないだろ、これ……おま、なんでちゃっかりメールしてんだよ! レスの数!」
「意外と律儀ッスよねえ火神っち」
「……ホントむかつくなお前! くそ! 火神くんかわいすぎる! 好き!」
「あーダメッスよ。そういう乱暴な言葉とか、こういった暴力は全然おしとやかじゃないッスね」
 わざとらしく「おしとやか」を強調させてダメ出しをする。ななしの両手を器用に片手で捕まえ、そのうえで携帯を目の前に押し付けた。なすすべなく、短い文面にななしは目を走らせる。左から右に視線が流れると、彼女の眉は中央に寄ってしまった。
「火神っちの好みのタイプ、『おしとやかな子』だって」
「う……う、う、うそだーっ!」
「んふふふ残念だったッスねえ、ななしっち」
「こんなの、こんなの認められるかバカァー! 貸せ、直接聞く!」
「ちょ、アンタ両手塞がってんのに暴れんなって!」
「うるっさい! 告白してもいないのに振られた女の気持ちがわかるか! 潰れてしまえ、黄瀬の足なんか!」
「足! 仮にもエースの足ィっ!」
 地団太を踏むついでに、黄瀬の足への攻撃も忘れない。歯を噛みしめ、目元へと集まる熱に耐える。
 今にも泣き出しそうな女子、の顔をしている。けれど手はまだ離せない。ななしの足は正確に黄瀬の足を潰しにかかっているからだ。今、彼女の両手を解放したら、何をされるかわかったものじゃない。
 そんなときだった。腰から全身へと振動が伝わった。ポケットを中心に、広がる震えにななしは目を見開いた。
「電話ぁ!」
「はァ?」
「バイトの面接結果だったらマジ殺すかんな黄瀬ェ!」
 鬼気迫る表情のななしに圧され、咄嗟に両手を解放してしまう。
「あ、はいッ――ぶっ」
 やはりな、と黄瀬は腹を抱えて膝をついた。いくら腹筋を鍛えていようが、唐突に飛んできた拳に対しての用意はできていない。黄瀬から数歩離れ、慌ててななしは電話に出る。
「もしもし! 名無です!」
 声色をやや高くして応答した、瞬間だ。
「あー、……名無?」
「え、は、え? か、かか、かかか火神くんっ?」
「お、おう。オレだけど」
「うえ! ど、どうして番号……」
 不安定もいいところだった。声の高さから、早さまで。ななしの動揺は黄瀬にも、火神にも筒抜けだった。
「黒子からお前の電話番号聞いてさ。いきなりかけて悪かったな。今大丈夫か?」
「う、うん! 全然、あの、全然気にしないでいいから」
「そっか。あー、あのさ、すげえいきなりなんだけど、名無の親戚がサーファーショップやってるってマジ?」
「え、うん。イトコがやってるけど」
「そっか! あ、今度さ……連れてってもらえねーかな?」
「うん、いいよいいよ!」
 楽しげな火神の声に、ついついななしの頬が緩む。気を許してくれた、という事実だけでも、今までの黄瀬との時間が砂塵になって消えるほどななしにとっては喜ばしいことだった。ほとんど用件なんて入ってこなかったが、口をついて出てきた肯定の言葉に、電話口の火神の声はさらに高く大きくなった。
「……あれ?」
 耳から電話を離し、しばらくその画面を見つめる。「黒子から名無のこと聞いておいてよかった」やら「何から何まで唐突で悪い」やら、火神の声が聞こえる。黄瀬に名を呼ばれて、ななしは顔を上げた。
「なんか、エライことになってきた」
 頬に涙を伝わせて、ひくりと笑った。
「ちょ、と、とりあえず! 電話! アンタなにやってんのもう!」
「え、あ、ああ……」
「もしもし? 名無? 聞こえてるか?」
「ご、ごめん! 火神くんが私の名前呼んでくれてたからつい!」
「は?」
「なんでもない!」
 満面の笑みで、明るく返す。おおよそ、涙を流しながらするものじゃない。
「お互い練習のない日がいいよな」
「そうだね。でもうちは部員もマネージャーも多いし、私一人いなくても問題ないから。火神くんの都合に合わせるよ」
「ホント、悪いな……何から何まで。オレサーフィン好きなんだけど、こっちでこの話題できるやつなかなかいなくて……」
「それならよかった! うめえ!」
 必死で取り繕っていたものが、最後の最後で決壊した。火神も「ん?」と不思議そうな声を漏らす。ぷっと噴き出した黄瀬に、ななしは笑顔で中指を突き立てた。
「ううん、なんでもない!」
 両手で電話を持って、落ち着きなくななしが話す。
 すっかり放置された黄瀬は、床へ腰を落ち着かせていた。先ほどまで見下ろしていたななしを仰ぐ。数滴零れた涙は渇き、今はもう瞳を輝かせて、曇りのない笑顔を浮かべていた。胡坐をかいた膝に頬杖をつく。
「……いつまで誤魔化せんだか」
 サーフィンの話題から八月の予定、火神の誕生日へと会話が繋がっていく様子を、どこか微笑ましそうに二人の友人が見守っていた。


ハリボテ大和撫子|0120802
(後日、黄瀬と一緒に黒子のところへバニラシェイクを驕りに行く)
莉乃ちゃん、素敵な企画をたちあげてくれてありがとうございます!
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