包丁がまな板を叩く音、お湯が沸騰する気配や、ご飯の炊ける匂いや、そういうものが、私の目を覚ましていく。
台所に立つ私は、必死で頬張って、ご飯粒を頬に付けたまま美味しい笑う、そんな彼を想像し、頬を緩ませ、支度を急ぐ。
一人暮しにとって、朝食など食べない日がほとんどで、そんな時間があるなら一秒でも寝る暇を惜しんでいた。
しかし彼と過ごす時間が増え、こうして共に朝を迎える日もしばしば。
朝練があるからと、早起きして、朝食を取らなければいけない彼のために、少しだけ早起きして、準備するようになった。
本当は、いつまでも共に心地よい微睡みに浸っていたいのだけれど。
彼の喜ぶ顔のためなら、早起きなど苦にならない。そんな思いで、閉じかかる瞼を擦り、今日も台所に立つのだ。
献身的な自分も、なかなか悪くない。
「あとは、卵焼きだけね」
未だ夢の中の彼を起こさない様、微かなメロディーを口ずさみながら卵をかき混ぜていた時。
「ぎゃっ!」
不意に、後ろから体温と体重を感じ、可愛らしさのかけらもない悲鳴を上げてしまった。
「…はよ。」
「大我…。びっくりするじゃん!先に声かけてよ!」
いつの間に起きたのか、大我に抱き締められてていた。
おはよう、と遅れて挨拶を返せば、ん、と寝ぼけた声が返ってきた。
腰に手を回され、頭を肩に預け、出来上がっていたおかずをひょい、とつまんだ。
「あー!ちょっと待ってよ!もうちょいで出来るんだから先に顔洗って来て!」
「へいへーい」
気の抜けたような返事をした後、するりと抱きしめられていた腕が離れた。
心地よい暖かさと重みに、少しだけ名残惜しさを感じたけれど、きっと赤くなっているこの顔を見られたくないがため、黙々と作業を続けた。
「ななし」
「んー?」
洗面所に行く様子を見せない彼の視線を感じ、顔を上げれば。
優しい優しい、朝日のような、暖かなキスが私を包んだ。
「はよ」
もう聞いた挨拶を繰り返し、それから、いつもありがとうと、また抱きしめられ、キスをされた。
ひとつめよりも、少し長めの。
綻びを隠しきれない私は、ふっと笑って、厚い胸板に顔を埋めた。
「どういたしましてー」
そう言ったら、もう一度、抱きしめた大我が、髪にキスを落とした。
「ななし、好きだ、今日も」
ねえ、なんて、幸せな朝なのでしょう。
あなたが居れば、私は何も辛くない。全てが幸せに変わるの。
こんな些細な甘い瞬間が、どうか、どうか、ずっと続きますように。
今日も明日も十年たってもおばあちゃんになっても、
私は貴方の喜ぶ顔だけで生きていける気がするの。