ピンポーン、と、インターホンを押してから応答があるまでの間が、私はあんまり得意ではない。カメラ越しに彼が見ているであろう自分の顔とか、身だしなみとか、そんなことが気になってじっとしていれられなくなってしまうのだ。 「…ななしさん、ちっす」 「やほー」 がちゃりとドアが開いて、中から大我がひょっこり顔を出す。挨拶のために手をあげるついでに持ち上げたスーパーの袋がグシャ、と音を立てた。それをなにも言わずにすっと私の手から奪った大我はどーぞ、と首だけで促す。小さくおじゃましまあすと呟いた。ご丁寧にスリッパまで準備されている。サンダルを脱いで汗を拭うと、大我はとっくに廊下を歩いていってしまっていた。コキリと首を傾けながら、握り拳を作って肩辺りをがんがん叩いている。脱ぎ散らかしたままになりそうだったサンダルを、慌てて綺麗に並べた。 「なに買ってきてくれたんスか」 「んー?…なんだと思う?」 「…あちーから早く言え」 「ここクーラー効いてるから熱くないじゃん。ていうか、そんなに気になるなら自分で袋の中みてくださーい」 「うっせえなあ…お、カニタマじゃん」 「ふっふー、今日はオネーサンが作ってあげよう」 「いや、つってもこれ、和えるだけだろ」 「そこの塩梅が難しいかもしれないでしょ」 「難しいも何も…」 「もー!いいの!大我は黙って座ってテレビでも見ててよ、あ、それか宿題しちゃいなさい」 「こんなときだけ年上ぶるの止めろよな」 リビングダイニングに続く扉を開けると、玄関のむあっとした空気とは一変して快適というよりは少し寒いんじゃないのというくらいの空気が私を包んだ。相変わらず意味の分からないくらい殺風景で広い部屋だ。恵まれた学生だ。高校生で独り暮らしだなんて、毎日お父さんの加齢臭が染みついた服と自分の下着を一緒に洗われている私の気持ちを考えてほしい。ぐちぐち文句を言っている大我はさておき、私はキッチンへと移動する。大我の、敬語とタメ口が混ざったようなその口調が(もともとあんまり敬語は得意ではないらしいのだけど)まだ少しこそばゆくてつい頬を緩ませてしまいそうになる。 「なーななしさん」 「なあに?大我」 「…エプロン、持ってきたんスか?」 「え?おう、オラ準備万端っス」 「なんの真似だよ…」 「え、なに、不評?まさかの不評?せっかく良妻賢母の良妻の部分を発揮しようとしたのに」 「…いや、そもそも俺ら結婚してもねーから」 「もう、つまんない男だね。アメリカンジョークでしょ」 「アメリカンジョークはそういうのじゃねえ」 対面キッチンのカウンター部分に大我がお語をのっけながらじとりとした目で私を見つめる。ピンクのエプロンはこの日のためにわざわざ買ったもんだぞ、こら。わざわざ黒子くんにアドバイスまでもらいに行ったんだからね。気に入ってくれないと泣くわよ。そう言ってる間にカニタマはできてしまった。さすがだ。パッケージに「フライパンで五分!」と書いてあるだけある。一昨日の夜、確か冷凍庫にごはんをいれといたはずだから、それを解凍することにするとしよう。チンしている間にケトルでお湯を沸かし、買ってきた固形スープをスープカップに準備する。 「ほらできたわよー」 「…結局卵和えただけじゃねえか!」 「うるさいねー、細かい男はモテないわよ」 「そのモテない男と付き合ってるのあんたなんスけど…!」 「おいしいから問題ないわよ、ななしちゃん印カニタマよ!栄養満点!」 「…」 「なによ、その目。大我がお腹すいてるかなーと思ったからできるだけすぐ作れるもの買ってきたんですけどお」 「…あざーす」 「よし許す。…とか言うけど、私もお腹すいちゃった。食べよ」 「あー…ななしさん」 「何よ。まだ文句あるわけ?」 「文句、つか…あー…お願いなんスけど」 「はあ?煮え切らない返事だね、何?」 「あー…えーと…それ」 「だから、なんだっつーの!」 「だあから、それ!エプロン!」 「…はい?」 「…もうちょっと、つけててくれないスか」 かああああ、と効果音がつくぐらいな早さで大我の顔が真っ赤に染まる。そのまま慌てるように顔を手で覆った。私はかなり呆然とそんな大我を見つめることしかできなかった。…はい?どういうことですか火神クン?カニタマのいい匂いが、鼻孔をくすぐる、ピーとレンジの音が鳴って、解凍が終了したことを知らせた。 「…いいけど。なんで?」 「あー…もうちっとリョーサイしてるとこ見てえ」 「…」 「…とか思ったりして」 「…お、おお、構わんよ火神クン」 「なに動揺してんスか」 「はあ?ど、動揺なんかしてないんですけどおー」 後ろで、ピー、ピーと繰り返しレンジが音を上げる。ちょうどよい口実になったと半ば安堵しながら、振り返って冷凍ごはんの準備をする。レンジを開けるとほかほかとした湯気がむあっとあがった。白米の匂いに咽そうになりながらも、取り出そうとする。ちょうどそのとき、いつの間にかキッチンに入ってきた大我に後ろから抱き締められる。私よりもずっとずっと太くて長い腕が、ぐるりと私を覆う。 「…何をしてるんでしょう大我クン」 「もー、あんたほんとかわいいな」 「は、はあ?なにを言ってるのやら」 「あー、やべー。…ちょー幸せ」 「こ、そばゆいよ大我」 「ななしさん、好きっス」 な、な、なななにを言ってるんだこの男は…!かああと自分の頬が、さっきの大我に負けず劣らず赤くなっていることが分かった。そのまま私のうなじに大我が顔を埋める。温かい、私のものではない温度が不思議と心地よかった。もう少しこのままでいてほしいなんてとても恥ずかしくて言えないけれど、せめて悪態はつかないでおいてやろう。…まったく、これだからアメリカ被れは困るのだ。 ルーティン こんな優しい毎日が、そう、ずっと続いてく。 (120729) |