久方ぶりに見た彼はどこか憂いを帯びている気がした。少しだけ乱れたネクタイとその隙間から見える赤に、それまで何を行なっていたのか、経験に乏しい私でも安易に想像できた。彼自身も私の視線が其処に集中していると気づいたんだろう。一度だけ自分の首元を確認すると納得したような声を出して、此方を向いた。

「あー、付けるなって言ったのに…あのアバズレとはもうヤんねー…」
「黄瀬くん、」
「…ショック?こんな俺とか」

だから、そんな風に笑わないで。
痛々しいような笑顔が胸に突き刺さる。この人は失恋の痛みの上手な和らげ方を知らないから、どんどん自分で傷を抉っていく。見てるこっちまで痛くなるほど深く、ふかく。

「やめなよ、そういうの」
「なんで?」
「私ってさ、まだ彼女なの…?」
「…さあ」

ネクタイを直しながら答える彼の瞳はあの日と同じ、色を映していない。曖昧な答えは私を繋ぎ止めるためなのか、彼自身も明確な答えをだせないからなのか。乱れていたタイがきゅっと絞められれば、もうあの赤はちらつくこともなく、綺麗に隠された。

「よくないよ、周りにも自分にも」
「ウザい」
「ねえ」
「ウザいって言ったの。わかる?」

彼の方へ伸ばされた手ははたき落とされた。睨みつけるような視線を送る瞳には、私が映っていない。冷たい言葉よりも視線よりも、その事が酷く悲しいことに思えた。あの日、彼に近づけたと思ったのは気のせいだった。あの時の彼のあたたかさも、なにもかも。

「それとも…、名前ちゃんが相手してくれるんスか?」
「え?」
「できないっしょ?」
「…で、きるよ」
「ほんとに?」
「できるって言ってるじゃん」

挑発的に顎へと伸ばされた手に応えるように上を向く。少しだけ揺らいだ視線が、彼の迷いを表しているようで。私は本気なんだ。そう言わんとばかりにじっと見つめれば、堪忍したように添えられた手は力なく降ろされる。同じように重力に逆らえなくなったのか、頭も擡げられ、普段なら見えない彼の旋毛が此方を向く。ああ、彼処にキスを落としたのは一体いつの事だったっけ。瞬間、空気が漏れたような笑い声が聞こえる。ぼーっと見つめていた視線も瞬時にその音が聞こえた方にピントを合わせる。くつくつと揺れる髪の毛と肩が、なぜだかやけに物悲しい。

「強がんなっての…マジで」

先程よりも歪な笑顔が咲いた。ねえ、どうして貴方は泣きそうな顔で笑うの。どうして「悲しい」「哀しい」という感情をもっと上手に表せないの。1人じゃ無理なら、私がいるのに。そんな嘆きは彼に届くわけもなく、ぎりぎりと音がしそうな笑顔と彼の呟きだけが冷たく響き渡る。

「ごめん…名前ちゃんは俺が傷つけちゃイケナイ相手っスよ」
「そんなのわかんない」
「わかる」
「わかんないよ」
「わかるっスよ、少なくとも俺には。だから、俺みたいなクズに構ってちゃ人生勿体無いっしょ」

ごめん。再度告げられた謝罪の後、彼は踵を返す。キラキラと輝いていた背中も今はどうしてだか、鈍く輝きを失った様に思えた。走り出しそうになる足をぐっと押さえつけて、脳内で何度も繰り返す。追いかけちゃダメだ。私がいるのに、なんて結局は私のエゴ。そういえば、彼はあれから泣いたのだろうか。あんなにも全身で泣いていたのに。さっきだって、泣きそうだったのに。彼は私と違って、感情を表に出すのが下手くそだ、本当に。

(120817)
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