あの日、家に帰ってから征ちゃんと顔を合わせると苦い顔をされてしまった。もちろん一晩家に戻らなかったこともあるのだろうが、きっと彼は本能的に悟ってさとまったのではないか。もしくは私から香る彼の匂いに気づいてしまったのか。

あれから彼に呼ばれる事はほぼ無くなったに等しい。学校でさっちゃんや友達ちゃんに打ち明けることも出来ない、あの日のこと。ただ体を重ねただけならばどれだけ幸せなことだったのだろうか。互いの傷口を舐めあって、最終的には突き放されてしまって。あれは事実上の別れの言葉だったのかもしれない。彼女たちとどれだけ楽しく会話を弾ませようと、思考の片隅にちらついては消えるあの瞳。

「そういえば名前、知ってる?」
「んー」
「また黄瀬の女癖が悪化したらしいって」
「え?」
「きーちゃんってば、最近は落ち着いたと思ってたのにー」
「サエちゃんとも縁切ったような切れてないような、ってとこらしいからね」
「そう、なんだ」
「名前ちゃんは、その、大丈夫?」
「…大丈夫だよ」

視線をずらしてみりゃ、噂をすればなんとやらで話題の渦中にいる彼の姿。傍らにはサエちゃんでもない、アキさんでもない。無論、私でもない女性の影。それを捉えたであろう二人も声を揃えて呆れ返っている。本当に何をやっているんだろう。私も、貴方も。この前と同じように全力で走って行けたらどれだけ楽なんだろうか。一線を超えてもなお、彼の心に壁を感じてしまって尻込みするなんて。こういう時はどうしたらいいんだっけ。そうだ、蓋を…―― 。

「ちょっと、私お手洗い行ってくる」
「おー、いってら」

周りのように感情を上手く隠すことは出来ないし、むしろ下手くそだ。思ったことは顔に出やすいと何度も言われてきた。さっきだって、彼女たちには私の感情はバレバレだったんだろう。頭を冷やさなくては。

トイレの扉を開け入ると、そこには見慣れた後ろ姿。鏡越しに目が合えばペコリと頭を下げられるもんで、釣られて頭をさげる。何事もなかったかのように個室に向かおうと彼女の後ろを通りすぎようとした時に凛とした声に呼び止められた。

「また別れたんですか」
「…たぶんね」
「サエも涼太先輩とは別れました」
「えっ…?」
「あんな腑抜けた野郎なんて、こっちから願い下げですよ。サエは凛とした涼太先輩が好きだったんですから。それに…チャラチャラした女子よりも、あの女よりも、名前先輩のほうが涼太先輩には似合ってます。って、少なくともサエは思ってますから」
「サエ、ちゃん」
「それだけです。もう接点も薄くなりますけど、よかったらさつき先輩たちと一緒に出掛けましょうね」
「あ、うん…ありがと」
「いえ、思ったことを言ったまでですから」

それじゃあ、とメイクポーチを片手に出て行く彼女に小さく手を振る。毎度タイミングよく、彼女は尻込みする私を鼓舞してくれる。その言葉はいつもストレートに胸へ伝わり、ぽっかり空いた場所に収まる。とはいっても、今回は一筋縄では行かないのだ。せっかく励ましてくれたのに、ごめん。見えなくなった彼女の背中に謝罪する。だって、あれは完全な拒絶だったから。諭すような声色も色のない瞳も、全て。

あまり長居をしすぎるのも不自然だと重い、そそくさとトイレを出る。結局上手く頭を冷やせなかった。というよりは不可能なんだろう。全てから彼を排除するということが。俯き加減で歩く廊下はどうしてか薄暗い。夕立でもやってくるんだろうか。じめっとした肌にまとわりつく空気がうざったい。小さな溜息を吐いて教室まで急ぎ足で向かっていると、大きな背中にぶち当たる。其処から鼻腔をくすぐった懐かしい香りにハッとしたのも束の間、頭上から降ってくる声はやはり彼のものだ。

「大丈夫っスか?」
「う、うん…」
「…あー、名前ちゃんか」

お願いだ、そんな顔して笑わないで。

(120816)
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