「ねー、おなか減った」

 いうなれば、人より大きな猫。相当な気分屋だし、見た目に反して燃費は悪い。くつろげるリビングにやってきては、此方を構うこと無くごろごろとソファを占領する。まるで彼のほうが、この部屋の主のようだ。ソファから伸びる手足は、成人男性のそれよりも遥かに大きいのに、彼自身は子猫と表現したほうが良いだろう。
 そんな大きな子猫を尻目に、疲れ果てた体を動かして、さほど重たくもない荷物を大げさな音を立てて床に置く。私は疲れました。今日はすっごく疲れてるんですよ。言葉には出さず、態度で示す辺りは私のほうが子供なのかもしれない。
 とうの昔に紅がとれてしまった唇から、文句をぶつぶつとこぼしつつも、体は彼のために動きまわる。おなかへったと言われてしまえば、彼のために買いだめしておいたお菓子の出番といいますか。食器棚の隣、三段の小さなキャビネットの一番下。そこには彼専用と言っても過言ではないお菓子たちが、息を潜めている。そのうちの一つを手にとって、大きな子猫へと投げやると、気の抜けた声が聞こえた。

「ねえ、これこの前も食べたんだけど」

 そう言われても仕方ないのです。だってそれ、スーパーで安売りしてたんだもん。独身OLのおさいふ事情はそんなものです。
 晩ご飯の支度にかかるため、エプロンを巻く。その際に彼から「スーツのままだと汚れるよ」などと小言を言われてしまって、思わず禁句を口にしてしまった。

「だって、仕事で疲れてるもん」

 気がついた時にはもう遅い。それをまた意地になって、敦が来ると仕事が増えるとか、二人分の食事を作らなきゃいけないとか、今言う必要ないことまでぽろぽろと出てくるから笑えない。大人気なければ、可愛げもない。最悪だ。彼はどうして、こんな年増な女と付き合うなんて酔狂な事を考えたんだろう。
 ぐるぐるとせわしない思考の片隅で、ソファが軋んだ音がした。大きな子猫が立ち上がったらしい。

「ふうん」

 さして興味はない。そうとも取れる返事に心臓が飛び跳ねる。この余裕のなさも、精神的には彼のほうが歳上なのかもしれない。

「じゃあアレだ。オレもう来なくてもいいんだ」

 彼がこっちを向いているのかどうかも分からない。返事を聞いた時から、視線は俯いてしまった。今見えるのは、キッチンのシンクの眩しいシルバーのみ。その単色だからこそ、案外冷静さを取り戻せたのかもしれない。
 なんだかんだ言って、私は彼に支えられている。一人暮らしをはじめて、なれない家事をこなせてきたのも、彼の助けがあったからだ。帰ってくると彼がソファで寝ていて、お風呂は綺麗に掃除されている。洗濯物は畳まれている事こそ無いものの、ベッドの上にきちんと取り込まれている。そして何より、帰ってきた時に返ってくる声がある。一人暮らしなのに、ひとりではない。彼が、敦がいる部屋に帰ってくるという事が、私にとって何よりの癒やしであり、幸せなのだ。
 彼に届くか届かないかの声で、いやだと呟く。届いていたら恥ずかしいけれど、届かなかったら少し残念なこの気持ちは何と呼ぶのだろう。確かめるように彼の方を見つめれば、どこか満足した顔の彼と目が合った。そしてソファから腰を上げると、徐々にキッチンへと近づいてくる。

「ねえ、今日はオムライスがいいんだけど」
「冷蔵庫には肉じゃがの材料しか入ってないよ」
「えー…、じゃあ明日ね」

 身長差だけは、そのへんのカップルよりもうん倍ちかくあるのに、今日はやけに声が近い。その答えは直後につむじの辺りに響いた鋭い痛みで判明するのだが。
 それよりもなによりも、また明日も彼が此処に来てくれるという事実だけが、私の胸を弾ませる。もういっその事、ここに住んじゃえばいいのに。その一言は、いつ伝えてしまおうか。

「ねえ、名前ちん」
「うん?」
「オレね、名前ちんが思ってるほど、ガキじゃねえから」

 そう言って笑った姿を見る限り、そう遠くはない日に伝えられるような気がして、口元が緩んだのは言うまでもなく。


この部屋をふたりのものにすることを決めた日
ぴっぴ様リクエスト/130901
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