「じゃあ、一年生への伝言は頼んだからね」 「了解ッス」 よろしくね!そう言った彼女は、スカートを翻しながら教室を後にする。たった三分間の逢瀬。鼻腔の奥に彼女の匂いが残っている気がした。 ―― 緊張しすぎて死ぬかと思った…! 余韻が残ったままの心臓は、未だに速いリズムを刻んでいる。しかもスネアドラムを叩いたような感覚じゃなく、バスドラムを早打ちしている感覚が体中を巡っているのだ。たった三分という短い間に、何ヶ月分の鼓動を打ったのかわかったもんじゃない。寿命、縮んだかも。 ほっぺたは赤くなってなかっただろうか。動揺が目に見えていなかっただろうか。目は泳ぐこと無く、ちゃんと彼女と合わせられていただろうか。声は震えていなかっただろうか。 彼女に貰ったメモを左手に、右手はポケットに突っ込み、最近買い替えたばかりのアイフォンを取り出す。部員のアドレスを呼び出しながら歩く、自分の机までの道のりはやけに遠く感じた。 「マネージャー、なんだって?」 「…え?」 「だから、名字のことだよ、名字」 机に着いた途端、同じクラスの部員から何の呼び出しだったのかと問いかけられた。彼女の名前を聞いただけで飛び上がる心臓に、思春期の中学生でももっとまともな反応するだろうと思ってしまう。 「っと…、今日の部活は監督もコーチも会議で出払うからミーティングだけだって事らしいッスよ」 「ふーん」 聞いたわりには素っ気ない態度の彼に、対人用の笑顔がひくりと歪んだ気がした。とはいえ、自分が逆の立場だったら同じような反応しかできないのだろう。彼女がミリ単位でも関わると常識や普通といった枠組みを忘れてしまう。 「にしてもさ、別に黄瀬じゃなくてもよくね?」 「…どういうことッスか?」 「ほら、このクラスってバスケ部員多いし、お前じゃなくても俺とかに言付けてもいいんじゃねーの?」 確かに。彼の言葉を聞いて浮かんだものは、その一言。彼の言うとおり、このクラスには自分も含め、バスケ部員は五人もいる。一軍でスタメンが自分だけだからとも思ったのだが、別にミーティングになったことぐらい誰に伝えても良い。さらに言えば、彼女のクラスにもバスケ部員はいる。しかし彼女は「一年生には」と。二クラスも離れたここで、自分と対面して、彼女はそう言ったのだ。 「モテる奴だとは思ってたけど、ここまでとはなー…って、黄瀬?お前、顔赤ぇぞ」 「へ?! や、そんなことないッスよ! 今日あっついからなー」 「…今日は肌寒くなるから上着が必要って、お天気のマイちゃんが言ってたぞ」 都合のいいことばかり考えてしまう。とどめに彼の一言。そんな、まるで、彼女が俺のこと好きみたいな…。 「もしかして、お前、あれか。名字のこと好…−−」 「わーー! アンタちょっと黙って!!」 同じクラスの奴から確信に触れられてしまった放課後。部活は勿論、彼女からの連絡通りミーティングのみが行われた。先輩の話を聞きながらも目は彼女を追っていたらしく、隣に腰掛けていた小堀先輩に「あまり分かりやすいと後で格好の餌食になるぞ」との忠告を受けてしまった。そんなに見ていたのかという驚きとそれだけは勘弁願いたいという気持ちが入り乱れる中、優しく笑う先輩の向こう側に悪魔が見えたとか見えなかったとか。 「きーせくーん」 荷物を肩にかけて、さあ帰ろうと意気込んだ時だ。可愛らしさの欠片もない勢いで背中にタックルされ、情けない声を上げてしまったのは。その相手が誰なのか、簡単に予想がついてしまうのも困ったものである。 「なんスか、森山先輩」 思わず顔が不機嫌に歪む。優しい小堀先輩の向こう側に見えた悪魔、それはこの森山先輩、その人だ。にたにたとだらしのない笑みを浮かべて、しまりのない口元はもう一度だけ「きせくーん」なんて甘ったるい声を出す。 「もう…、なんなんスか、めんどくさい」 「あれ〜? そんなこと言っていいのかな? オレ口が軽いから、思わず笠松に言っちゃいそうだな〜。黄瀬が、ミーティング中に、ずーっと名字の」 「あーーー!! オレが悪かったッス!」 そんな予感はしていたけれど、わざわざ口に出すのがこの先輩の腹立たしいポイントだ。いつも思うが、こういうところで先輩はイケメンという要素をことごとくだめにしていると思う。黙っていればイケメンなのに。 先輩に捕まるということは、根ほり葉ほり聞かれるという事。いつから好きだったのか、どういうところが好きなのか。よく話はするのか、見込みはあるのか。最後の質問には奇しくも今日、思い当たる節が出来てしまったため、顔が過剰に反応を示したらしい。先輩におおざっぱではあるが、事の顛末を話すと「そりゃあもう、両想いだろ」と。 「オレ、こういう状況初めてなんスよ…」 「こういう?」 「自分から好きになる、みたいな」 「モテ男は爆発しろよ、もう」 先輩たちとやいやい言いながら屋外にでると、丁度いいタイミングで彼女も同い年のマネージャーと帰宅しようとしていた。今がその時だと言わんばかりに肘で押してくる先輩をぶん殴ってしまいたいと本気で思ったのは、この瞬間が初めてだ。 向こうも此方に気づいたらしく、なぜか彼女も森山先輩から繰り出されるものと同じような事を、隣のマネージャーにやられているようだ。心なしか頬が少しだけ赤いけど、これはきっと、あれだ。夕焼けのせいだ。 「お前もだいぶ赤ぇぞ」 「ゆ、夕焼けのせいッス」 「まだ日はくれてないけどな」 声をかけるべきかどうか迷っていると、彼女たちの方から「お疲れさまでした。さよなら」と。先輩たちが「気をつけて帰れよー」と返答する中、後れをとりながらも声を出すことに成功。 「まっ…、またね、名字さん!」 一瞬驚いたような顔をした彼女は、さっき以上に顔を赤くしてふんわりと笑う。遠慮がちに手を振りながら「またね、黄瀬くん」だって。 天にも昇りそうな気分の中、考えるのは明日の告白プラン。すぐそばで先輩たちが「名指しかよ」とか「リア充は爆発しろ」とかなんとか言っているのだって、今はウェディングマーチに聞こえてくる。彼女、本当にほっぺた赤かったな。 「お前もだよ」 「夕日のせいッス」 「だから、まだ日は暮れてねえよ馬鹿」 しずく様リクエスト/130531 |