数カ月ぶりに降り立った京都駅は、相変わらず近未来な作りをしていた。プラットホームだって0番ホームがあると知った時には、忘れかけていた幼心をくすぐられてしまった。だって不思議じゃない。0番ホームがあって、1番ホームがないなんて。
 新幹線口から通路を歩き、中央口を目指す。賑わう人混みを歩き抜け、エスカレーターを降りていく。此処は関西だから、エスカレーターの立つ場所もいつもと逆になる。関東にいる時と同じ感覚で立ってしまうと、通行の妨げになってしまうのだ。文化の違い、なのだろうか。
 中央口を出れば、ちょっとした広場に出る。目の前には京都タワーが佇んでおり、バス乗り場では観光客が目的地を目指すべく、あちこちと行き交っていた。あらためて京都に来たんだなと実感しながら、外壁にそっと身を預ける。ひんやりとした感覚にそっと目を伏せながら考えるのは、今から1年以上前のことだ。

 遠距離恋愛なんて柄じゃないと思っていた。
 玲央が京都に進学すると知ったときは、私も付いて行くべきなのかと中学生ながらに考えた。彼が進学する場所は、学力は京都で1位2位を争うほどに高い。運動能力だって、それなり高くなければならないし、彼がスポーツ推薦を頂いたバスケ部はインターハイ常勝校といっても過言ではない。もちろん私には学力は勿論、才能でも抜きん出ている面はなかった。それじゃあどうすれば彼と同じ高校に…。
 なんて、そんな心配は杞憂に終わった。
 そろそろ本命校を絞らなければならなかった秋の日。玲央は私に微笑みかけながら「名前はこっちの高校に進学しな」と一言告げたのだ。なんて残酷な響きなんだろうとあの日の私は思ったのだが、結果として私と玲央が別れることはなかった。それに私の学力で洛山にいこうなんざ、夢のまた夢なのだとその後の模試で示されてしまったらどうしようもない。
「私と名前なら遠距離なんて簡単に乗り越えられるわ」
 そういった彼が東京駅のホームから此処、京都に旅立ったのを下唇を噛み締めて見送ったあの日から、もう1年以上経ってしまったのだ。

 懐かしい日々に思いを馳せていると「お待たせ」と待ちに待っていた彼の声。ゆっくりと視界に映り込んだ玲央は、数カ月ぶりに見たせいなのか、以前より大人びて見えた。
「予定より早かったのね」
「また駅の中で迷うかなって思って、到着時刻より30分遅い時間伝えてたから」
「あのねー…」
 額に手を当てた玲央は、肩が上下してしまうほど大きな溜息を吐く。呆れたという感情がびしびし伝わってくる空気に、思わず唇が尖ってしまった。
「だから八条口…、あー、新幹線口でいいって言ったのに」
 互いがこうやって待ち合わせ場所に拘る理由。それは私が初めて京都に遊びに来た時、事件は起こった。…なんて大袈裟に言ってみたが、私と玲央の勘違いから、とんでもないすれ違いが発覚しただけである。京都駅という事だけ決めていたら、私は私で新幹線口の端から端をうろちょろ。最初こそ中央口で待っていた玲央だが、あまりにも姿を表さない私を探して、京阪線に地下鉄に、中央口の隅から隅までを走り回るという珍事が起きてしまったのだ。携帯を駆使してどうにかこうにか落ち合えたのだが、汗だくの玲央が「どうして待つってことが出来ないの!」と怒鳴ったのは言うまでもない。
 そんなことがあって以来、待ち合わせは新幹線八条口というのが鉄則になったのだが、京都市内を回ることを考えれば、中央口で落ち合ったほうが良い。何度目からかは私が中央口で良いといったことにより、そうなったのだが…結果は先程のやり取りで分かるだろう。
 迷う可能性も考え、玲央には到着時刻よりも30分遅い時間を伝えていたのだが、今回はすんなりと着いてしまった。そのため玲央よりも早く中央口で待機するという事態になっている。それでも、だ。私が伝えていた時刻より15分も早く到着するだなんて、玲央は本当に…。
「玲央って紳士だよね」
「はあ? 今はそんなこと…、もういいわ。早くホテルに荷物置いて出掛けましょう」
「はーい」

 今回も玲央オススメの京都スポットを隈なく見て回った。この前偶然見つけたという甘味カフェにも連れて行ってもらった。抹茶のパフェがすごく美味しくて、思わず鼻息が荒くなってしまったのだが、玲央はそんな私を見ても引かずに「可愛い」と言ってくれる。大変出来た彼氏様だ。
 四条だか三条だか、とにかくその辺にある手作りのアクセサリーショップにも連れて行ってもらえた。可愛らしいデザインのものが多くて、あれやこれやと目を移りをするも、すべてピアス。こっそり落胆していると「ここ、無料でピアスからイヤリングに変えてくれるのよ」と玲央が耳打ちしてくる。嘘だと思って見回すと、確かにその文字が。さらに片方ずつでも販売してくれると。洛山のチームカラーにも見えるミルキーブルーの石が可愛らしい花のピアスをイヤリングに変えてもらおうと意気揚々とレジに向かっていると、商品を乗せたトレーごと玲央に奪われてしまった。「私からのプレゼント」とウィンクをひとつ頂いてしまったのだが、どう見ても私以上に色気があって、ちょっとした劣等感が生まれてしまったのは秘密だ。
「今何時かしら?」
「んーっと、18時過ぎ?」
「そう」
 四条河原町の通りをぽてぽてと歩く。しっかりと繋がれた手が嬉しくてぶんぶんと振っていたら、玲央がくすりと笑う音が聞こえて、ちょっとだけ恥ずかしさが込み上げてきた。
 今日の晩御飯も玲央が予約してくれた湯豆腐店に行くらしい。高校生なのにとぽつり零した言葉は、どうやら彼に伝わったらしく「知り合いがちょっとね」と。一体どういう知り合いなのだろう。
「この時間だしねー…ほとんど神社閉まっちゃっ、あっ」
「ん?」
 京都の観光名所はほとんどが17時なり18時には閉まってしまう。そのためきちんとしたスケジュールで、その通りに回らないとあそこに行けなかったという事態に陥りかねない。今回はそうではなく、どちらかと言えばお店の予約まで時間を持て余した状態である。先程から視界に入ってくるおせんべいだとかぜんざいなどなどを食べて時間を潰してもいいのだが、せっかく玲央が予約してくれたお店があるというのに、空腹状態で食べれないのは勿体無い。
「名前、もうちょっと歩けるかしら?」
 手を引いてくれる玲央の力が少しだけ強くなる。辺りは少しずつ夕暮れに色を変えていた。
「祇園の名所に行くわよ」


 八坂神社。鮮やかな朱色と急な階段がとても印象的だった。祇園のバス停のすぐ側にある其処は、確かに有名どころである。
 玲央に手を引かれるがまま上った頃には、ほんの少しだが息が上がってしまっていたため、若いのに情けないと怒られてしまった。日頃の運動不足がここで発覚してしまうとは。
 門をくぐり中に入ると、むかしホラーゲームで見たことのあるような風景が広がっていた。さっきまでの喧騒が嘘のように静かな空間に、京都らしさを感じてしまう。
「ここにはね、美の神様もいらっしゃるのよ」
「ふーん」
 玲央に引かれてついた場所には、たくさんの提灯が飾られていた。夕方の、日も暮れ出した薄暗い空間には、その一箇所がとても幻想的に見える。どうやら舞殿といわれる場所らしい。其処で結婚式を上げるカップルもいるらしく、頭の片隅で白無垢を着た自分の隣に紋付き袴を着た玲央を思い浮かべて口元が緩んでしまった。


 本殿が直ぐ側にあるのだが、今回の目的地は其処ではないらしい。もうすこし歩いた場所にあったのは、たくさんの黄色いのぼりが立ち並んだ場所。鳥居の向こう側には先程見かけた門とおなじ朱色をしている建物らしきものが見える。
「び、…ご、まえ、しゃ?」
「美御前社(うつくしごぜんしゃ)よ」
 鳥居をくぐり抜ける前にあった、何やら水らしきものが湧いている場所。石には「美容水」の文字が掘られていた。
 玲央曰く、それはご神水らしく、身も心も美しく磨かれるものらしい。欲張って肌につけすぎず、数滴つけるのが良いらしい。
「これで綺麗になれるの?」
「なりたいと願えばね」
 二人並んでお賽銭を投げ、二拝二拍手一拝。願うのは玲央に釣り合う美しさが手に入れられますように。目を伏せるなか、そろりと盗み見た彼の横顔は、やっぱり女性から見ても美しい。いつか彼が胸を張って彼女だと言えるような美人になりたいものだ。
 景気付けにということで、おみくじを引いてみることにした。今までいろいろな場所に行き、二人でおみくじを引いてきた。自慢ではないが、これまで玲央とおみくじを引いて中吉より低い結果を出したことがない。彼と居ると常に運気は上がっているのだと思う。
「今回はどうかしら」
「今回も大吉だといいな」
「現実はそう簡単にいかないものよ」
 なにそれと口答えするつもりだったのだが、ばっと見せ合った結果に愕然とした。読み間違えるはずがない、たった一文字。


「きょ、凶…」
 京都に降り立った時からついてると思っていたのに、それは間違いだったのだろうか。道にも迷わなかったし、玲央が連れて行ってくれる場所はすべていい場所だらけだった。これといったトラブルもなかった。それなのに。
「もー、なんで…」
「前向きに考えなさいよ」
 背中にべしっという衝撃が走る。もちろんそんな事する間柄の人は、京都ではたった一人しかいない。じとりと玲央が居る方を見れば、彼はふふっと笑っていた。
「これだけついてるのに凶ってことは、これから今以上についてるってことでしょう?」
「そうかもしれないけど」
「けどじゃないの、そうなのよ!」
 ったくもー。彼はそう言って笑うと、また私の手を引いておみくじを結びに連れて行く。此処に結んだからもう安心よと彼が指さした場所は、どう考えても私の身長じゃ届かない場所だった。
「絶対私が結べない場所だよ」
「ちょっとでも高いほうがいいでしょ」
 いたずらっぽく笑った彼は、ふと思い出したように腕時計を確認した。刹那、目を大きく見開いて「やだ!」と一言。どうやら予約していた時間がすぐそこまで迫っていたらしい。
「そんなに急がなきゃダメなの?」
「急がなきゃダメよ。祇園からあそこまで、どれくらいかかると思ってるのよ」
 今日は玲央に手を引かれっぱなしである。それでも口元が緩んでしまうのは、きっとぐいぐいと引っ張っていく彼の力のせいだ。
 玲央はどちらかと言えば女性らしい印象を持たれることが多いだろう。実際、一人称は「私」だしチームメイトの中には「玲央ねえ」と呼ぶ人もいるらしい。色気だって私以上にあるし、正直な話、玲央に女性的な魅力で勝る場所は胸くらいしかない。
 そんな彼の男らしい手が私の腕を掴んで、男らしい力で引っ張っていくのだ。こんな玲央の一面を知っているのは、もしかすると私だけかもしれない、なんて。頭上では玲央が一生懸命「ここは大黒様で縁結びが〜」と説明してくれてるのだが、そんな気持ちの余裕は微塵もない。ごめんね、玲央。

 門を出て、後は階段を降りるのみというところで思わず足が止まる。
「きれー…」
 体がつんっと前のめりになってしまった玲央だが、私がぽろりと零した言葉に、それは誇らしげな顔を見せた。
「横浜なんかより風情があって素敵でしょ」
「あっちはあっちで魅力が」
「知ってるわよ」
 思わず言い返してしまったのだが、確かに都会で見るものとは違った顔の夜景はとても魅力的だった。京都だからこそという街並みと現代的な車のライト。人の行き交う姿と携帯の灯り。すべてが交わって、ひとつのアートのようだった。
「ずっと眺めていたいところだけど、お店の予約があるからね」
 くっと玲央に手を引かれる。思わず待って!と言いそうになった。それくらい後ろ髪ひかれてしまうのだ、その景色は。


 玲央の後ろをくっつくように歩きながら、写真の一枚でも撮っておけばよかったと後悔していると、ふっと空気が弛む音がした。
「また連れてくわよ」
 ぎゅっと握られた手の平が彼の温度を伝える。足取りはステップを踏むように軽くなった。確約ではない。それでも彼から紡ぎだされた「また」という言葉だけで、私は翼が生えたような気分になれるのだ。
 また此処で彼と会える。それはもう暫く遠距離恋愛が続いてしまうという意味だが、もう暫くは彼とお付き合い出来るんだという小さな自信が生まれる。きっと口にしたら玲央に怒られてしまうけど、それでも私としては嬉しいことこの上ないのだ。
 これは私のスキップしてしまいそうな足元とでれでれに緩んだ口元を見た玲央が、気持ち悪い何かを見るように眉根を寄せるちょっと前までのお話。

(130412)
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