思わず隠れた物陰。ゆらり揺れる二つの影は、こちらの存在に全く気付く気配はなく、ひたすらに逢瀬を語らう。「今日はどうする」「明日は早いから」「うちに泊まればいいじゃん」って、なんだそれ。もう其処までの仲だったとか、予想外デース。
「…なんっちゃって」
 笑えない。そんな気はしていたけれど、まさか本当に笠松先輩と先輩マネージャー付き合ってるだなんて思わないじゃないか。だって笠松先輩は女性が苦手だし、マネージャーにだってぎこちない態度で接するし。…一部例外はいたけれど。
 勿論、その一部例外というのは先輩マネージャーのことだ。彼女と話すときだけは、目に見えて柔らかな雰囲気が醸し出されていた。いつもはつり上がっている眉が、彼女の前でだけはゆるく垂れ下がった。いつもは刺々しい言葉尻が、彼女の前だけでは軽やかな音を奏でた。誰がどう見ても、そういう関係だと思うのだろう。実際問題、そういう関係なのだと目の前で証明されたのだが。
 本来ならば今すぐにこの場から去らなければならないのに、私の意志に反して、足は棒のようになってしまって、隠れてしまった場所に張り付いてしまった気分だ。一歩踏み出すことはおろか、しゃがみ込むことすら出来ない。唯一出来るのは静かに息を吸って、静かに息を吐くことだけ。息を潜めるというフレーズがこんなにもしっくりくる時がくるなんて思いもよらなかった。
 すぐそばでは今夜の予定について、二人が未だに話し合う声が聞こえる。そろそろ限界かもなあ。もちろん立ちっぱなしの足ではなく、私の心が、だ。
 なんでこんな無謀な恋をしてしまったんだろう。なんて、答えは分かり切っている。だって私はバスケをする先輩の姿に恋してしまったのだから。最初はただバスケ部の人たちを支えたいなーぐらいに思って入部したのだが、日に日に先輩の姿勢に惹かれるものがった。人間、あんなに真っ直ぐ好きなものに向き合えるのかと感心したと同時に、胸にぽっと暖かい何かが生まれたら最後。いつの間にか目で追うだけじゃ収まらない感情に気がついてしまった。きっとすでに先輩とマネージャーの間には、そのとき私に生まれた感情以上のものが育っていたのだろうけど。
 ざっざっという何かの足音に思わず安堵してしまった。確かめてもいないのに、私は二人が立ち去ったのだと思ってしまったからだ。ずりずりと力なくへたれていく体はもうすぐ地面についてしまうのだろう。衝撃を覚悟して目をつむったのに、一向にそれはやってこない。代わりに感じたのは誰かに支えられる感覚と視界を覆った大きな手のひら。
「あーあ、とうとう見ちゃったんスか」
 敬語になりきれてない、独特の言葉遣い。やたらと高い位置から発される、男性にしてはほんのちょっとだけ高めの声。体育会系の部活動に所属して、たっぷりしごかれ汗だくのくせに、なぜか薄く匂ってくる品の良いコロンの香り。これだけ奴の特徴がそろっているのに、奴じゃないと言い張るなんて真似はするだけ無駄。
 覆われた手の平を引っ剥がそうとしながら「 き せ 」と彼の名を紡ぐ。ふっと微笑んだような返事をするのに、なかなか手の平は剥がれない。先ほどまで私の足が地面に張り付けられていたように、彼の手も私の顔に張り付けられていると勘違いしてしまいそうになる。頑なな手に「やめてよ」と言葉を紡げば、彼はちょっと困った音色で「今オレが手を離したら、名字ちゃん泣いちゃうから」と。
 彼の言葉が何を意味するのか。それがわからないほど私は子どもじゃない。だって私がいなくなったと勘違いした足音は黄瀬のものだった。おそらく私の恋心に気付いている黄瀬が私に見せたくないと思う光景があったから、彼は私の目を覆った。私は笠松先輩が好きだ。恋い焦がれている先輩は、人目に付かない場所で最愛の人と語らっていた。二人は未だ其処から離れていない。
「キスでもしちゃってる?」
「………」
「沈黙は肯定と受け止めるから」
 きっと黄瀬は困った顔をしているんだろう。見えなくったってわかる。それに二人は本当にキスをしているんだろう。愛し合っているからこそ出来る事だ。恋人同士なら日常茶飯事だろうに。
 頭の片隅では理解できているのに、どこかでは余程ショックだったらしい。じんわりと涙が滲む感覚がした。最悪だな。黄瀬に覆われたまんま泣いちゃうとか。泣いてないよ、なんて言ったって、絶対に嘘だってばれちゃうじゃん。
 一度溢れだした涙というものは、相当な事がない限り引っ込まないもので。彼の手の平が濡れた感覚を感じ取ってしまうのも仕方のないことだった。じとっとした何かに触れたらしい彼は、ひどく困った音色で「泣くなら口にすんじゃねーっての」と笑った。
「夢ならいいのに」
「残念だけど現実っスよ」
「わかってるけど、」
 好きになった時間も愛情の深さも、何もかも彼女より劣っているのは目に見えているからこそ、もっと早く先輩と出会っていたらとか、もっと先輩のことを知っていたらとか、妙な負け惜しみばかりが浮かんでくる。今更嘆いたって変わることはないし、時間というものは残酷なことに止まる・戻るという事を知らない。
 自嘲気味にこぼした「悔しい」という私の言葉に、黄瀬の手がぴくりと反応した。直後、頭上から深い溜息が聞こえてきたかと思うと、私の視界を覆っている手とは逆の手で、今度は私の体をぐっと引き寄せた。
 あまりに突然の出来事すぎて何の言葉も出せないでいると、彼はさらに力を強める。何やってんのアンタ。頭の中では黄瀬に向かって、大きな怒号をあげる立派な私がいるというのに、現実の私はただただフリーズしてしまった思考回路をどうやって取り戻そうかと慌てふためく。
「オレにしとけばいいのに」
 ふっと耳を掠めた言葉に、必要以上に体が硬直した。
ーー 彼はなんと言った? オレにしとけばいいのに?
 普段の彼からは想像がつかない程、弱々しい呟きだった。あまりにも現実離れしていて、やっぱり今起こっているすべてが夢なんじゃないのかと思った。そんな私の思考回路はすべてお見通しだったらしい彼は、これまたか細い声で「夢でも幻でもねーよ」と告げる。
「叶いやしない恋なんてやめて、オレにしときゃいいじゃん」
「な、にいって」
「絶対泣かせねーのに」
 柔らかな感触が額を襲う。遠くでは今度こそ誰かがここを去っていく音がしていた。
 もう私が見て困るような光景は広がっていないよ。だからこの手を剥がしてよ。そう伝えたいのに、喉は妙な緊張感のせいでうまく動いてくれない。
「オレでいいじゃん」
 その悲痛な叫びに私は首を振る事が出来るんだろうか。

(130324)
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