吾輩は猫である。ただし名前はきちんとある。それも「黄瀬涼太」なんて立派な名前が。というより生物学上は猫ではなく人間なので、根本から間違っているのだが、それはこの際置いておく。
 数年前に物好きな彼女、名字名前さんに拾われて以来、衣食住に困ったことなし。まったくお金を出していないってことじゃあない。ただ彼女にお金を入れた封筒を手渡そうとしたら
「あんたは私に飼われてるんだから」
と、やんわり断られてしまった。もちろんそれで食い下がる気はちゃんちゃらなくて、いつも彼女のカバンに諭吉を一人だけ忍ばせる。初回だけは眉を吊り上げながら怒っていたのだが、二度目からはすんなりと受け入れてくれて、こちらとしてもありがたいというか。
 飯喰って、クソして、寝ちゃって。喉乾いたから目が覚めて、飲み物飲んで、今度は小便して。気が向いたら散歩して。いわゆるネオニートと呼ばれるものになっていた。彼女曰くペットらしいが、ペットと呼ぶにはあまりにも図体がでかすぎるし、ついでに言えば態度もでかいと思う。
 生きてるというにはあまりに堕落した生活だが、これがオレの人生だから、まあしょうがない。
 欲を言えば、もうちょっと彼女に構って欲しいし、出来たらペットとしてでなく人間として構ってほしい。もっと言っちゃえば、きちんと異性として見てほしい。これでも性欲旺盛、ヤりたい盛りの男だ。年頃の男女が一つ屋根の下に居るというのに、彼女と男女的な触れ合いは皆無。ペットなのだから、愛玩動物のように性欲の捌け口にしても良いと名乗りでたのに、彼女の答えはNO。そろそろ限界である。
 だからといって彼女に触れたことが無いわけでもない。猫のように彼女にじゃれれば、キスをしようとも、首筋を舐めようともがみがみと怒られることはなく、優しく窘められるだけ。それが不服というわけではない。なんというか、本当にペットとして見られているのだなと思えば思うほど泣きたくなる。
「ねーねー、名前ちゃん」
「はい、なんざんしょ」
「名前ちゃんにとってオレってなーに?」
「涼太はー…ペットでしょ」
 即答ってのも困ったもんだ。

 自分のことをネオニートと呼んだが、なにも仕事をしていないわけではない。彼女には散歩と偽って外に出る時というのはたいていモデルの仕事をこなしている。彼女に黙っている手前、住まわせてもらってからは男性誌の仕事しか受けていないのだが、それなりに人気はあると思っている。こういう時ほど彼女が流行に疎い人間でよかったと思ったことはない。
 雑誌は愚かテレビすらまともに見ようとしない彼女は、それはもう人のうん倍も流行に疎い。テレビで言っていたことをそのまま、今年のトレンドはあれとあれだと彼女に振れば、たいていは「なにそれ」という言葉が返ってきた。仮にも華の20代女性。もう少しアンテナをはっていて欲しい。
 見つからないのもありがたいが、ちょっとだけ見つけて欲しい願望があったりもする。散歩という名の仕事から帰ってくるたびに「涼太はお散歩にいけていいな」とか「私もお昼にごろごろしたい」とかブツブツと言われてしまうのがなんというか、癪だ。見返してやりたいという気持ちからくる願望は日に日に大きくなっている、気がしなくもない。
「名前ちゃんはファッション雑誌とか興味ないの?」
「雑誌ぃ?…そういう物を買うお金があるなら、私は食費に充てるね」
 花より団子という言葉がこんなにもしっくり来る返しはあるのだろうか。可愛い洋服、綺麗なモデルよりも美味しいご飯たちのほうが彼女の中では優先順位が高いらしい。無念。

 吾輩は猫である。しかしたまに犬である。忠犬ハチ公もびっくりのお留守番上手にだってなれるし、飼い主にはそれなりに忠誠心をもって接することもできる。基本的には気まぐれな性格が表立っているので、猫のようだと言われがちだが、実はそれは彼女の前だけだというのはここだけの話だ。
 立派な名前は彼女から授かったものではなく、両親からもらったものだ。帰る家だってきちんとある。今はまだ彼女という居場所が心地よすぎるので、どうにも帰る気が怒らない。はてはて、帰省本能とはなんなのか。吾輩にはそういった本能は備わっていないのか、はたまた彼女がいる場所が本当に帰るべき場所なのか。
「まー、死ぬときはきちんと黄瀬涼太でいたいんスけど」
「どういうこと?」
「そのうち教えるっス」
 もうしばらく、もうしばらく…は、いつまで続くのかわからない瞬間を故意的に先延ばししているだけで。その瞬間は必ずいつかは訪れる。
「オレも男なんスけどねー」
「知ってるけど、涼太は男ってよりオスだよね」
 その「いつか」が訪れる前に、吾輩は一体何ができるのだろうか。本当に帰ってくる家が此処に変わってくれているといいとは考えるが、果たして…。

(130302)
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