かの有名な清水寺というのは、私が想像していたよりも山の中にあるようだ。車が一台が通ると、正直びくびくなるほど狭い坂道をひたすら登っていく。目の前には私よりも鍛えた体で「疲れた」だの「怠い」だのとブツブツ文句を呟く青い巨人が居た。
 辺りはすっかり夕暮れを迎えていた。予想外にも京都水族館でハッスルしすぎたせいで、清水寺が18時には閉まってしまうことを失念してしまっていた。それもこれもアザラシが可愛すぎたせいだ。イルカがチャーミングだったせいだ。
 市バスに乗り込んだのが16時。移動でもごっそり時間をとられるというのに、うっかりしすぎていた。水族館なんて東京に帰ってもあるのに。もしかすると涼太くんの学校がある県にででーんと存在するシーパラダイスのほうが楽しかったかもしれないのに。恐るべし旅行マジック。
 時間がないことと体力がないこと、うっかり失念してしまっていたことなどなど、多重に凹んでいると、前方から「おい、名前!」と私を楽しそうに呼ぶ声。何事かと思って顔を上げれば「牛しぐれまん食ってもいいか?」って。ねえ、私時間ないって言ってるんだけどな。
 清水道の小脇には二年坂や三年坂へと続く道がある。そこには京都らしい街並みが広がっており、とても人気らしい。小さな子どもたちの間では「二年坂で転ぶと二年、三年坂で転ぶと三年で死ぬ」とも言われておる坂。この目で見てみたいなと思いつつ、そこは素通りする。ついでにおせんべいやソフトクリームなどなどの甘い誘惑に負けそうな彼をぐいぐいと引っ張りながら。

「はっ?! ここ、ニュージョーリョーとかいんの?」
「入場料じゃなくて拝観料ね。ぐちぐち言ってないで、ほら、行こうよ」
 大人400円を二人分、800円を支払ってしおりを受け取る。ここのしおりは季節によって絵柄が変わる。今は冬真っ只中のため、清水が雪化粧した姿が描かれていた。四季折々、こういった楽しみもあるのがいいななんて思ってみたり。
「とりあえず入る前に手を清めようよ」
「パスパス、さみぃわ」
「ちょっ、大輝!」
 ポケットに手を突っ込んだまま、彼は入り口へと足を進める。手は清めたかったのに…。後ろ髪ひかれる思いで彼の後を追う。薄暗い場所を彼の少し後ろを追いかけるように歩く。
「ね、左側に恵比寿様だよ!」
「えびすぅ? …芸能人だろ、それ。ほら、さっさと行こーぜ」
 芸能人じゃねえよ! という私のツッコミは白いもやという名の溜息となって消えていく。彼はハクシキだ。もちろん薄い知識とかいて、薄識。


 清水の舞台から飛び降りる気持ち〜とかなんとかと使われている、かの有名な舞台に立っている。夕暮れ時のためか、舞台したにてライトアップされている景色がとても綺麗だ。気持ちだけタイムスリップしたような、そんな気分になってしまう。
「大輝、大輝。写真撮ろうよ」
「パスパス。んなバカップルみてえなこと出来っか」
―― 出来ないんじゃなくて、やるんだよ馬鹿!
 …と言えたならいいけれど、生憎、彼は一度でも「NO」といえばそれを貫く男だ。妙な所で一本気というか、頑固というか。こうなってしまえば仕方ない。楽しそうに写真を撮り合うカップルを横目に、彼の隣に並んでお参りをした。
 清水寺のおみくじというのは、わりと凶がでやすい…と私の友人が言っていた。しかしながら私は生まれてこの方、一度もおみくじで凶を引き当てたことがなかった。だから「凶が出た方が牛しぐれまん奢りな」なんて言って、にかーと笑う彼の賭けに乗ったのだ。私は凶なんて引かないと妙な自身を持っていたあの瞬間の自分にげんこつを送ってやりたい。人生というのは何があるのかわからないのだ。
「じゃあ牛しぐれまんはお前の奢りな」
「なんで大輝は大吉なのよ…」
「日頃の行いだろ」
「それはない」
 舞台を抜けて、開けた場所に出る。もう少し進んで右に下れば音羽の滝、手前で左に向かえば地主神社がある場所だ。手前のほうでおみくじをくくりつけて、そっと両手を合わせる。どうかどうか、これ以上運気が下がりませんように。
 くるりと振り返ると、どうやら彼は携帯をいじりながら待っていてくれてたらしい。さっきまで人のことを散々置いていったというのに。所々で優しさとか甘さを見せるのはずるいと思う。そんな彼の一面に惚れたか惚れていないかと言われれば、前者なのだが。
 改めて彼に惚れ直しつつ、視線を少しだけ上げた時にはっと息をのんだ。
「あぁ!!」
「うっせ!」
 私の目が捉えた現実。それは地主神社の入り口に係の方がロープを張っている姿だ。なんで、どうして。18時までじゃなかったの。焦りのせいで疑問ばかりが頭のなかをぐるぐる回っている。上手く動かない手をどうにかこうにか動かしながら、公式サイトに辿り着いた時に私の疑問は解消された。ここでも私はうっかり失念していたのだ。清水寺自体は18時まで開門しているが、地主神社は17時まで。一時間早く閉まってしまうのだ。
 ぼーっと鳥居を見上げながら、心でこっそり涙をのむ。きっと彼はここが有名だから私が来たがったと思っているのだろう。彼には伝えていないが、私がここに来たがった目的はこの神社だったのだ。此処は縁結びのご利益があると有名な場所。目を瞑りながら石から石に歩いていければ恋が成就するという恋占いの石だって有名だ。
 お恥ずかしながら恋は成就している。だからそれにすがらなくてもいいだろうと周りはいってくるだろう。しかし、だ。人の心とは非常に不確かなもので、あっという間に移ろう。未来が約束されなくてもいいから、できることならば彼ともっと長く一緒にいたいと神頼みしたかったのだ。…というのも、後の祭りだが。
「ま、また来年だな」
「え?」
 同じように鳥居を見つめていたらしい彼が予想外の言葉を漏らした。
「んだよ、行きたかったんじゃねえの? あそこ」
 くいっと顎で刺した場所は、紛れも無い地主神社だった。
「別に」
「ふーん…あそこってあれじゃん。女子が行きてえ場所じゃねえの?」
「そうらしいけど」
「エンムスビ?だっけ」
「だっ! 大輝、知ってたの?!」
「さあな」
 にたり。意地の悪そうな笑みを浮かべた彼は、私の頭をぽんぽんっと軽くはたくと「行くぞ」とだけ声を掛けて、先に進んでいく。なんだそれ、なんだそれ。また来年ってなによ。それはまた来年も私と一緒に来てくれるって期待してもいい…のだろうか。
「もう、待ってよ!」
 思わず小走りで彼の後ろを追いかける。私の考えてること、ちゃっかり分かってますよってか。馬鹿やろうが、大好きだ。


 彼の隣を上機嫌で歩いていると、京都市内が一望できる場所へとやってきたようだ。ここも写真を撮る人で賑わっている。私も彼らを倣って、ポケットからデジカメを取り出し、絶景を撮影する。すぐ隣で同じ景色を眺める男から「お前ケータイとか落としそうだな」と先ほどのカッコいい雰囲気は一変し、小馬鹿にされた。此処は無視を決め込んでやる。
 見渡す限りの辺りはすっかり暗くなっており、すーっと広がる夜景は心を穏やかにさせた。普段見慣れた景色よりも低い場所で輝く光に、ここは別世界なのだと教えられた。
「きれー…」
「文明の進化だな」
「…台無し」
 今見ているのは人工的なものだと言わんばかりの彼のつぶやきは無視できず、ノーガードな脇腹を肘でつつく。鈍い呻き声が聞こえたが、これは天罰だ。心してその痛みを受け入れるが良い。
「彼氏に酷い仕打ちだな」
「彼女の感動を半減させるような発言したのは誰よ」
「オレか」
「あなたです」
 痛みで呻いているかと思いきや、今度は肩を上下に揺らしてくつくつと笑い出す。こういう表情がころころ変わるところにも惚れているんだなと実感するのは、胸の奥がきゅんと疼くから。子供みたいな笑い方も意地の悪い笑い方も全部が青峰大輝で、どんな顔も私の彼氏なんだよな。
「おい。あれ、京都タワーか?」
「んー? そだね、駅前のとこだ」
「オレらが泊まってんのもあの辺か」
「うん。 交通の便を考えて、駅近のホテルにしたから」
 じーっと私を見つめる青は、この暗がりではどんな感情を抱いているのかちっともわからない。どうにか感情が読めそうな口元と眉は、何かを言い淀むように歪んでは元の位置に戻るという反復運動を繰り返す。うっすらと唇が開いたと思えば、そこはいーっとゆるやかなカーブが描かれた。
「あー…、ホテルってエロい響きだな」
「はあ?!」
 予想外…ってほどではなかったが、このムードには似つかわしくない言葉に、喉からは刺々しい台詞が吐き出される。いや、ここは甘い台詞で恋人の足腰を砕くようなそんなシチュエーションじゃないのか。
 恨みがましい目で見ていると、「もう行くぞ」なんて言葉と共に腕を無理矢理引っ張られた。体が傾くほどの力で引っ張るもんだから、文句のひとつでもいってやるつもりだったのに。ちらりと見えた彼の耳がいつもよりも赤くて、出かかった言葉は飲み込む他なかった。


「なんだここ」
「音羽の滝だよ。なんか色々とご利益があるみたい」
「じゃあたらふく飲むか」
「飲み過ぎるとご利益減るんだってよ」
 んだそりゃ。今度はくしゃりと笑った。
 地主神社が閉門したためか、音羽の滝にはそりゃもう長い列が出来ていた。時刻は17時半。待っていたら松原通に面したお店はほとんど閉まってしまうだろう。列と帰り道をキョロキョロと眺めていると、大輝は怪訝そうな顔をして顎をくいっと動かした。
「並ばねえの?」
「でもほら、牛しぐれまんのお店とか閉まっちゃうかもだし」
 ぽそりと私がつぶやくと、彼はそりゃまあ呆れ返ったみたいな顔で私のことを見つめる。かと思えば、途端にばつの悪そうな顔をして頭をぼりぼりと掻きだした。
「牛ナントカまんは東京でも食えんだろ」
「それはわかんないよ」
「うっせ。とにかく此処の水は今日しか飲めねえんだから、並ぶぞ」
 ぶっきらぼうな物言いのくせに、さっきよりも柔らかい手つきで私の腕をとる。そしてそのまま列の最後尾に並んで寒いだのなんだのと文句を垂らす。まったく優しいのか意地が悪いのか。…うそ、本当は優しい事を知っていて、そういうところも大好きだ。ってのは黙ってておこう。
「途中でやめたはなしね」
「マジか」
「まじまじ」
 並びながら見上げるライトアップされた清水寺はとても綺麗だった。隣の彼はいったい何を思って、この建物を見上げ、この滝に何を願うのだろうか。ねえ神様、もしも私と彼の願いが一緒ならば、優先的に叶えてほしいです。


「やっぱ腹減ったな」
 日に焼けた肌に白い歯がきらりと光りながら、私に微笑みかける。
 神様、訂正です。どうか私には特別優しい彼のために、松原通りのお店の閉店時間を延ばしてください。私の我侭に付き合ってくれる彼に八つ橋シューとか牛しぐれまんとか湯豆腐とかお団子とか、その他もろもろを食べさせてあげたいのです。

(130221)
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